安平山に登ってきました2023/05/01 13:42

 2023年4月28日、安平山(あんぺい・ざん)に登ってきました。安平山は、安平(あびら)町・JR追分駅の南西にある標高166mのスキー場の山です。山頂には三角点があります。地理院地図には登山道は描かれていません。

 

 安平山は、南の安平川(あびら・がわ)と北の嶮淵川(けぬふち・がわ)に挟まれた北北西-南南東に連なる馬追丘陵の北端付近に位置しています。地形的には丘陵です。

 

 国道234号やJR室蘭本線が通る安平川の低地の両岸には約12万年前の寒冷期(後期更新世)の段丘面が広がっています。「海成段丘アトラス」(小池・町田編、2001)ではfT6(海洋酸素ステージ6の河成段丘)としています。

 馬追丘陵を構成している地質は、新第三紀の中期〜後期中新世・馬追山層の硬質頁岩で、安平山付近では北北西-南南東の走向を示し東に60度ほどで傾斜しています。安平山の西730m付近に背斜軸があり、この付近から西では地層は西に30度ほどで傾斜しています。

 

 安平山周辺を構成する地質が泥の堆積物であること、火山噴出物が表面を覆っているために、登山道には地質露頭は全くありません。

 登山道の脇には花の終わったフクジュソウがたくさん生えています。 この時期の花は、スミレ、エゾエンゴサク、カタクリ、エンレイソウ、ニシキゴロモなどです。キタコブシ、エゾヤマザクラが満開です。

 

安平山登山口

写真1 安平山スキー場の南にある登山口

 国道274号からは安平山スキー場の案内板を辿っていくと行き着けます。「入口 INの看板は、安平山パークゴルフ場のものです。

 

緩傾斜面

写真2 標高75m付近の緩斜面

 傾斜3度の緩斜面が山麓に広がっています。河成段丘の上に崖錐堆積物(山麓緩斜面堆積物)が載っていると考えられます。

 

分かれ道

写真3 「楽々コース」と「直登コース」の分かれ

 「楽々コース」は、頂上から南東に延びる幅広い尾根に登って緩やかな坂を辿っていきます。「直登コース」は、スキー場のリフトの下に出てゲレンデを上って行くようです。

 

フクジュソウ

写真4 花の終わったフクジュソウ

 粒の一つ一つが果実だとか。登山道の至るところにフクジュソウがあります。花が咲いている頃は見ものでしょう。

 

エゾエンゴサク

写真5 エゾエンゴサク

 低い山ですが、下の方では花が終わっていても登るにつれて花が咲いているようになります。

 

キタコブシとエゾヤマザクラ

写真6 キタコブシとエゾヤマザクラ

 ちょうど満開です。

 

ヒトリシズカ

写真7 ヒトリシズカ

 見ることができたのは、この一箇所だけでした。

 

頂上からの眺め

写真8 頂上からの眺め

 左手に夕張岳が見えるはずですが、この日は雲で夕張山地は見えませんでした。


 

フッキソウ

写真9 フッキソウ

 多分、フッキソウでしょう。テカったような葉が特徴のようで常緑性です。虫に食われています。

 


フッキソウの群落

写真10 フッキソウの群落

 

ニリンソウ

写真11 ニシキゴロモ

 

ニリンソウ

写真12 ニリンソウ

 

アオイスミレ

写真13 アオイスミレ

 スミレには色々種類があるようで、この山でも色の違うスミレが見られます。これは葉っぱの形と花の色からアオイスミレと思います。

 

カタクリ

写真14 カタクリ

 エゾエンゴサクの群落の中に、カタクリが咲いていました。

 

 

令和5年度 北海道地すべり学会特別講演会・研究発表会2023/05/11 21:02

 2023428日(金)午後1時から午後520分まで、表記の行事がTKP札幌ビジネスセンター赤レンガ前ホールの会場とオンラインで開かれました。特別講演、研究発表の概要を紹介します。

 

<特別講演>

 

太田英将(太田ジオリサーチ):実測値のみを用いた斜面解析と対策工

 

 大学を卒業して地質コンサルタント会社に入社しました。しかし、そこで行っていることは対策工のための抑止力を算定することのみでした。

 崩れていない斜面の評価と対策が必要と感じました。2000(平成12)年に土砂災害防止法(土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律)が成立し、翌年4月に施行されました。この法律は、どこが、いつ、どんな風に崩れるかを明らかにし予防することが目的です。

 しかし、「この崖、危なくないですか」という問いに答えられるかと聞かれると、難しいというのが実際です。どんな時に危ないのか、今の安定度はどうか、崩壊する可能性のある土層の厚さはどのくらいか、土層強度はどの程度か、不確実性はどの程度あるのか、など課題は沢山あります。

 

 一方、工事によって造られる新しい斜面については標準勾配というものが決められています。この標準勾配がどうやって決められたかいろいろ調べましたが、はっきりしません。水力発電に関わってダムの地すべりで用いられたのが最初のようです。目的は必要抑止力を算出するためらしいです。

 

 道路災害事例を検討した結果、50%以上が調査を行った箇所以外で発生していることが明らかになりました。

 土壌雨量指数を用いると崩壊地域を推定できます。

 山地斜面の土の中で何が起きているのか。山地斜面には植物根や動物の巣穴などのパイプが形成されていて、排水システムとして働いています。この排水システムの許容量を超える水が供給されると崩壊が発生します。許容量は土壌雨量指数にほぼ等しいと考えられます。一度崩れたところは安全になります。

 斜面技術の目的は、斜面崩壊を一時的に防止することです。崩壊の直接的原因は水です。その場所が一番先に崩れないように水圧を低減することが重要です。周辺が崩れれば落ち残った箇所は水圧が低減するので安全度は上がります。

 

 地すべりの安定計算を順算法で行う場合、実測値で計算できるか。

 必要なことは土質定数を正確に設定できるかと三次元解析です。残留強度を用いるか、準残留強度か初期強度か、などの問題があります。

 表層崩壊に対しては現地での土層強度検査棒試験(土検棒試験)が有効です。この試験では土層厚、換算N値、粘着力、内部摩擦角を得ることができます。

 斜面の安定計算では、1)土の単位体積重量、2)土の内部摩擦角、3)土の粘着力、4)間隙水圧、5)斜面の傾斜角が必要です。検査棒試験で内部摩擦角と粘着力が得られます。過剰間隙水圧を上載荷重で代用すれば崩壊時の安全率を順算法で算出できます。逆に、崩壊した時の安全率を0.99とすれば崩壊時にどの程度の水圧が作用していたかを推定することができます。


 2003年の菱刈町の崩壊では100トンの岩塊が飛びました。2004年の新潟県中越地震では直径2mの岩塊が、2010年の広島県庄原水害や2012年の京急追浜の斜面崩壊では直径10mの岩塊が飛びました。

 表層崩壊の特徴は、1)簡単には崩壊しない、2)土壌雨量指数は地中の排水パイプの能力を表している、3)過剰間隙水圧が発生するには斜面上方に一定程度の高さが必要である、4)一度崩壊したら崩れにくく隣接する斜面は崩れにくい、5)小崩壊があると崩れにくい、6)崩壊する深さには最頻値があり、粘着力のみで土が自立する深さに等しい、などが挙げられます。

 

 表土層は基本的に風成層です。例えば、古墳は、もともとは石張りでしたが、その上に風が運んだ土が積もって今見るような姿になりました。その厚さは1700年間で80㎝(1年で0.5mm)です。

 

 裏に崖を抱えた民家などでは対策工がいるかどうかの判断を迫られます。また、崩れたら補償してくれるかと言われます。

 このような場合、鍵は水圧ですので過剰間隙水圧をどうやって抑制するかです。旧国鉄では線路脇の斜面に水平の排水パイプを打設して過剰間隙水圧を減少させていました。先に崩れる場所を予測し地下水排除工で崩壊を遅らせます。隣の斜面が先に崩壊すれば地下水が排除されます。

 地下水流の音を探知して水みちを探す手法があります。

 

 三次元安定計算を行って一番危険な場所を探すという方法もあります。基盤岩の上面、地下水位面、地表面のデータが必要です。

 

 民間の斜面対策を行う場合は、補償の問題がつきまといます。斜面対策を提案して崩れた時は、調査費の10倍の補償費が必要になります。民間の仕事は、低予算・短工期、結果責任ですがノウハウはたくさん手に入ります。

 安定解析は、確定論的解析から確率論的解析へと移行しつつあります。その場合、信頼性設計の手法が役に立ちます。現在採用されている安全率、1.2とか1.5の理論的裏付けは明確ではありません。三次元解析の計画安全率を決めたものはありません。なので、安全率が 1.0を上回れば良しとします。信頼性設計法のレベル2が現在広く行われている計画安全率を用いた仕様規定設計法に、ほぼ近いと言えます。

 

 手順としては、土検棒で土層深と土質定数を決めて三次元土層モデルを作成します。降雨は年に1-2回の大雨を想定し、地震の水平震度は0.25を用います。記録的大雨は、土壌雨量指数第一位相当の雨量です。

 このようにして対策工を立案しますが、対策するかどうかは依頼者に決めてもらいます。その場合、残存崩壊確率を明記し、絶対に崩壊しないとは言えないが崩壊する確率は0.数パーセントになることを説明します。

 依頼者に理解してもらい、納得してもらうことが大事です。

 

<研究発表> 

 

石川達也氏ほか:機械学習を用いた地盤特性を考慮した広域斜面災害リスク評価

 

 北海道土砂災害警戒情報システムは空振りが多いです。5kmのメッシュについて縦軸に60分間の積算雨量、横軸に土壌雨量指数をとり、このグラフ上に過去に災害が起きた時の雨の降り方をプロットして整理し、「土砂災害のおそれが高まる範囲」を設定します。この線をクリティカルライン(CL)とよびます。2時間後の60分間積算雨量と土壌雨量指数を予測し、CLを越えるようであれば土砂災害警戒情報を出します。

 北海道の場合、日高山脈がこのシステムの対象外となっています。また、災害発生データなしでCLを引いている、小規模崩壊に対応できない、地盤特性が考慮されていないなどの問題があります。

 今回は、地形、降雨、凍結融解に関する20項目について機械学習を行い、CLの設定の妥当性を検討しました。

 

石丸聡ほか:周氷河斜面周辺の崩壊発生場と形態的特徴

 

 周氷河斜面には後氷期の開析前線が形成されます。この前線によって形成された急斜面を含んで崩壊する深層タイプと前線の上部の堆積物が崩壊する浅層タイプとがあります。

 深層タイプの崩壊は、2014年の礼文島・高山、2016年の日勝峠、同年の羅臼町などで発生しています。礼文島や羅臼町の崩壊地では、最終間氷期(5e海成段丘形成の時代)の上に斜面堆積物が載っていて、薄い遮水層や様々な堆積物が含まれています。羅臼町の崩壊ではパイピングホールが崩壊斜面に現れました。周氷河堆積物は透水性の異なる地層が積み重ねっています。

 現在、「周氷河斜面調査マニュアル」を作成中です。

 

雨宮和夫:奥尻島神威山岩屑なだれについて

 

 神威山岩屑なだれを初めて認定したのは勝井(1984)です。加藤ほか(1985)はトリガーとして地震を想定しました。

 岩屑なだれの表層付近には1640年の駒ヶ岳のテフラ(Ko-d)が載っています。崩壊は2回連続的で起きました。岩屑なだれの内部構造は、発生源の地質構成をほぼ保存している岩塊層と源構造が破壊されて残っていない基質相に分けられます。岩屑なだれ堆積物中の埋もれ木の放射性炭素年代測定から、発生年代は930年前頃で1113世紀と考えられます。

 北の神威脇から神威山の下を通り、南のホヤ石川へ続く弓状の巨大変形構造が想定されます。この地形にも注意する必要があります。

 

<感 想>

 

 太田氏の話は大変面白い内容でした。

 土木系の技術者はあまり注目していないように思いますが、砂防系の人たちは斜面でトレンチを掘って表土層の水みちがどうなっているかを調べています。斜面崩壊の場合、地下水の処理を行えば崩壊を遅らせることができるという発想は、現場から得られた知恵であると同時に、対策を行った結果からも自信を持っているのでしょう。

 民間の発注者の仕事で大事なことは「理解と納得」というのは、不確定要素の多い自然を相手にする技術者としては肝に銘じておくべきことと感じました。

 

 石丸氏らの発表では「周氷河斜面調査マニュアル」の作成を進めていると言います。

 奥尻島・高山の現場では人が亡くなっていますし、羅臼町の崩壊では土砂が泥しぶきを上げて海まで高速で流れ下っています。これまで見過ごされていた高速の斜面崩壊が発生する素因に周氷河堆積物が関与していると考えられます。どこに注目して、どんな調査をすれば良いのかをまとめてほしいと思います。

 

 雨宮氏の発表は、若い技術者への伝言と聞きました。本当に地震で崩壊したのか、崩壊土砂は海に突っ込んで津波が発生したのか、など興味のある課題があると感じました。

 

本の紹介:人類の起源2023/05/13 12:51

篠田謙一:人類の起源

篠田謙一、人類の起源 古代DNAが語る ホモサピエンスの「大いなる旅」。中公新書、20222月初版、2023312版。

 

 現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て全世界に広がったという筋書きに疑問を持っていましたが、この本を読んですっきりしました。

 

 中央アフリカ周辺で生活していた現生人類は、約6万年前にアフリカを出ました。このことは、ほぼ確定です。しかし、その後5万年前頃までの現生人類の詳細は不明です。

 シベリア西部・アルタイ地方のデニソワ洞窟からはネアンデルタール人やホモ・サピエンスの遺物、そして謎のデニソワ人の骨が見つかっています。さらに、デニソワ人とネアンデルタール人が交雑していた証拠が見つかっています。

 

 というような話が満載で、現在、分からないことは何なのかも書かれています。昔習った北京原人やジャワ原人といった名前も出てきます。

 人類揺籃の地アフリカの中での人類の移動、ヨーロッパに進出した人類、アジア集団がどのように成立したか、日本列島にどのように渡ってきたか、新大陸アメリカへの進出、が詳しく書かれています。

 

 そして、「終章 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこの行くのか−古代ゲノム研究の意義」は、現在の人種問題や嫌中・嫌韓といった問題が、いかに意味のないものかを説得力を持って語っています。

 

 1年で12版を重ねたこの良書を多くの人が読んでくれればと思います。

 

5月15日の札幌の大通2023/05/16 14:25

 2023515日(月)の札幌の大通です。


大通3丁目

写真1 大通西3丁目付近

 綠が豊富になってきました。左に見えるライラックも、ほぼ満開です。空は山背状態で雲が低く垂れ込めています。ちょっと早い気がしますが、リラ冷えの季節です。

 

噴水

写真2 大通西3丁目の噴水

 全開状態の噴水です。中心の噴水も本当は円形になるはずですが、南北の吹き出し口から水が出ていません。

 

大通4丁目

写真3 大通西4丁目

 祭の準備中です。

 これからしばらく、三吉神社例大祭(南1西8514日;日〜15日;月)、ライラック祭(517日;水〜28日;日)、YOSAKOIそうらん祭り(67日;水〜11日;日)、札幌まつり(北海道神宮例祭:614日;水〜16日;金)、さっぽろ夏まつり(大通ではビアガーデン:721日;金〜816日;水)が開かれます。

 



星 博幸氏講演会:「日本海拡大時の日本列島の変動―地質と古地磁気の研究からどこまでわかっているか―」2023/05/16 15:22

 510日は地質の日です。明治時代初めに来日したB.S.ライマンが指導して作成した「日本蝦夷地質要略之図」が1876(明治9)年510日に出版されました。また、1878(明治11)年510日に内務省地理局地質課(現在の(独)産業技術総合研究所・地質調査総合センター)が発足しました。

 

 表記講演会は、第40回地球科学講演会・「地質の日」協賛行事として開かれたもので、大阪市立自然史博物館主催、地学団体研究会大阪支部および日本地質学会近畿支部共催です。

 2023514日(日)午後2時から4時まで、自然史博物館の会場とYouTubeでの配信のハイブリッド開催でした。

 

 513日(土)には、日本地質学会主催の「地質の日」オンライン普及講演会「日本列島の地質探訪古生代から新生代まで」がYouTubeライブで開かれました。

 

 以下、星氏の講演の概要を紹介します。

 

星 博幸氏:日本海拡大時の日本列島の変動地質と古地磁気の研究からどこまでわかっているか

 

 日本列島は、1,900万年前まではアジア大陸の一部でした。1,700万年前頃に大陸から分離しはじめ、1,450万年前に現在の日本列島の姿になりました。これまで、1,500万年前頃に急激に日本海が拡大したと言われてきましたが、それよりも早く拡大は終了していたと考えられます。

 

 地質学の考え方について説明します。

 この写真で示している露頭は、下に花崗岩類があり、その上に礫岩が載っています。花崗岩は年代測定から1.2憶年前にできたことが分かっています。一般的に、花崗岩は地下10数㎞にあったマグマ溜りが冷えて固まってできます。この冷えたマグマが地殻変動によって上昇し、さらに侵食を受けて地表に現れます。

 礫岩は花崗岩の礫を含み、アンモナイトの化石を含んでいます。礫岩の礫は丸みを帯びていて、大きさは人の頭ほどです。このような礫は、海の礫浜や河原で見ることができます。

 

 古地磁気は、地層ができた時の地磁気の方向が記録されたものです。日本列島が誕生した頃の古地磁気を測ってみると東北日本では地磁気の北が北西を向いているのに対し、西南日本は北東向きです。このことから、日本列島は1,500万年頃に急速に回転したと考えられてきました。

 しかし、日本海の海底で得られたデータと合わないのです。回転した時期は、もっと早いのではないかと考えました。


 大阪府と奈良県の境にある二上山をフィールドとして研究を始めました。

 二上山は領家花崗岩類や領家変成岩類の基盤岩類の上に二上層群のドンズルボー層、原川層、定ヶ城層が載っています。この付近には、火砕流である玉手山凝灰岩、石仏凝灰岩、室生・名張の火砕流などがあり、これらは回転していません。つまり、1,600万年前より若い地層は回転していません。

 東北日本では2,000万年前から1,600万年前は伸長応力場にあって正断層が発達しグラーベン(地溝)やホルスト(地塁)が形成されました。その断層崖の下には淘汰の悪い角礫からなる崖錐堆積物が堆積します。新潟や山形の内陸堆積盆地がこれに相当します。

 300万年前に日本列島付近の引張応力場が圧縮応力場に反転します。このために地磁気方位がバラバラになってしまいました。

 愛知県の知多半島の師崎層群は、1,000m以上の厚さがあり深海堆積物で構成されています。これは、海底が急速に沈んでいるためで、正断層によって沈んでいると推定されます。

 日本海が拡大した直後の特異なマグマ活動があります。潮岬の枕状溶岩、ドンズルボー層のザクロ石を含む流紋岩や火砕岩、室生火砕流堆積物、熊野酸性岩、大峯・大台コールドロン、熊野カルデラなどで、時代はいずれも1,500万年前です。

 石仏凝灰岩や室生火砕流堆積物の供給源は、アパタイトの化学分析の結果から大台カルデラと結論が出ました。

 

 日本海が拡大し日本列島が回転をしていた頃(1816Ma)、太平洋側で何が起きていたか。三つの仮説がありますが、鍵になるのは熊野酸性岩や巨大カルデラの形成などの大規模な火成岩類の活動年代と地球化学的性質、および伊豆衝突帯の地質と古地磁気方位だと考えています。

 

<感 想>

 

 大変面白い話でした。

 日本海の拡大が終了した頃、太平洋側ではどのようにプレートが配置していて、どのプレートが西南日本に沈み込んだのかを明らかにすることが大きな課題となっています。

 日本海が拡大しているのと同時期に、伊豆小笠原弧が衝突を始めています。この時代、いったい何が起きていたのか、非常に興味があります。

 日本列島が大陸から離れる原動力は何なのかも興味深い問題だと思います。

 

 最後の質問の時間には、いろいろな疑問が出されました。小学生が古地磁気について質問していたのには感心すると同時に、なんか希望を持つことができました。

 

 地質学会のYouTubeチャネルには、いろいろな動画が載っています。

 YouTube 一般社団法人日本地質学会 公式チャネル >動画 )