羊蹄山喜茂別コース2016/09/03 11:57

 一度,羊蹄山に登りたくて,思い切って出かけました.

 迷走した台風10号が去ったあとの台風一過の天気を狙ったのですが,暑さが厳しくて標高1,260m付近で引き返してきました.
 足の付け根付近が痙り始めたので,帰りのことを考えるととても無理と考えました.まだ,樹林帯を抜けない高さで,見晴らしもほとんどなく残念でした.
 塩熱タブレットやジェルの補助食品を持ち,水は3.5リットル持って行ったのですがダメでした.

 おそらく,羊蹄山のどのコースもそうだと思いますが,とにかく登りが延々と続きます.喜茂別コースでは,標高1,200mを越えても樹林で風があまり通りません.
 12時半には登山口に戻ってきましたが,パンツ,シャツはもちろんズボンまで汗でびしょ濡れでした.

 すこし涼しくなったらもう一度,登ってみようと思っています.やっぱり,羊蹄山自然公園から登る真狩コースが良いかなと思っています.

 なお,松浦武四郎の「後方羊蹄日誌」では,1858(安政五)年3月18日(二月四日)に羊蹄山に登ったと書かれていますが,これは武四郎の創作だと考えるのが妥当なようです(例えば,増田 宏,松浦武四郎他登った北海道の山.桐生山野研究会.
<http://akanekopn.web.fc2.com/yama/sanyaken/sanyaken81.html>).

 帰りは,まず,ふきだし湧水に寄って3.5リットルの水を汲み,倶知安から赤井川を経て小樽に抜ける国道393号を通りました.

 ツールド北海道の第2ステージのレースとぶつかって,赤井川の道の駅で1時間ほど待ってレースを見ました.先頭集団の速さと最後尾の集団の走りが対照的でした.それと,支援の車の多いことにもびっくりしました.

 距離が長い分,マラソンなどよりも交通規制が大変で,赤井川の道の駅の交差点には,警官3人と警備会社の警備員3人が張り付いていました.選手達が到着する前に信号を全部赤にして,警官が交通整理にあたっていました.


札幌岳
1.朝の札幌岳
 家を5時に出たので,中山峠は6時頃通過しました.中山峠の手前の駐車帯から見た札幌岳です.谷には霧は出ています.


羊蹄山とニセコアンヌプリ
2.羊蹄山
 中山峠の札幌行き駐車場から見た羊蹄山です.中腹に雲がかかっていますが,頂上は快晴です.右はニセコアンヌプリです.


山麓の緩斜面
3.山麓の緩斜面(1)
 登山ポスト(標高350m付近)から作業用林道と分かれる登山歩道入口付近までの緩斜面は平均傾斜は6度です.


土石流堆積物
4.山麓の緩斜面(2)
 山麓の緩斜面の表面には最大径2mほどの転石が見られ,土石流堆積物と考えられます.


頂上は見えない
5.頂上は見えない
 つづら折りになっている林道の標高480m付近から雲に隠れた頂上を見たところです.


火砕物
6.登山道対岸の火砕物
 対岸の崖は火砕岩が厚く堆積しているように見えます.沢による浸食で急な斜面となっていて,なだれ発生斜面でしょう.斜面に樹林がほとんど着いていません.「留寿都図幅」では,羊蹄火山噴出物・本体火山噴出物のもっとも新たらしい破砕的抛出物(火山岩塊・火山弾・火山灰・浮石・スコリア)としています.


輝石安山岩
7.安山岩の転石
 標高950m付近の新鮮な輝石安山岩の転石です.この付近までの登山道に露頭はありません.所々に安山岩の転石がある程度です.


京極市街
8.京極市街の一部
 標高1,025m付近から京極市街が少し見えます.この付近は,手前に見えるようなダケカンバの大木が目立ちます.登山道からの見通しはほとんどなく,風もあまり通らないのでやたら汗が出ます.


東から見た羊蹄山
9.東から見た羊蹄山
 ふきだし湧水へ向かう道道97号豊浦京極線から見た羊蹄山です.山麓中央の盛り上がった地形は,喜茂別コース対岸の尾根の末端で,「留寿都図幅」では羊蹄火山噴出物・第1期溶岩としています.江草ほか(2003)では,新羊蹄火山の溶岩としているものに相当すると思います.


ふきだし湧水
10.ふきだし湧水
 いつ見ても豪快な湧水です.湧水量は1日8万トンで水温は6.5度だそうです.咽に滲みる冷たさです.


ツールド北海道
11.ツールド北海道
 これは第二集団です.トップは一人で逃げていきました.この交差点を写真の右の方に曲がって,樺立(かばたて)トンネルを抜けて倶知安盆地に入っていきます.

本の紹介 風土記の世界2016/08/30 08:23


風土記の世界
三浦弘之,風土記の世界.岩波新書,2016年4月.

 風土記というのは,西暦700年代の初め(八世紀初め)に律令政府に提出された書物です.今,残っているのは,五つの国の風土記と後世の書物に引用された逸文(いつぶん)のみです.
 著者の考えでは,中国の歴史書に倣って紀・志・列伝の三部の「日本書」(にほんじょ)が計画されました.しかし,養老四年(西暦720年)に成立したのは「紀(帝紀)」 30巻と「系図」 1巻でした.これが日本書紀ですが,「日本書 紀」と「表」のみが完成し,「志」や「列伝」は完成しなかったと言います.

 ここで,「志」というのは,「紀伝体」の歴史書のうち,天文・地理・礼楽などを事項別に分類して記した部分」(デジタル大辞典)のことです.「礼楽」というのは,社会秩序を定める礼と,人心を感化する楽.」(同前)のことです.
 「紀伝体」というのは,「史記」など中国の正史の標準的な形式で,帝王の年代記である「本紀」,皇子や臣下の伝記である「列伝」,社会現象を記した「志」,年表や系譜などを記した「表」からなります.

 浦島太郎の話が日本書紀の雄略二十二年七月の条に出てくるそうです.その最後に「語(こと)は、別巻に在り。」と書かれていて,この別巻というのは「日本書 列伝」と考えるのが単純明快だと言います.

 和銅三年に平城京に都が移され,和銅六年(西暦713年)に律令政府が風土記撰録を諸国に命じました.「志」の編纂事業です.そこには,「あらゆる制度や空間的な広がりの中で把握された国家のさまが記される.」(本書21ページ)のです.「紀」や「列伝」が,「過去の時間(歴史)を記述した書」であるのと対照的です.
 
 ところで,一般的には記紀と称されて古事記と日本書紀が一組のものと考えられています.しかし,著者は古事記の「序」は後世の偽作と考えています.そう考えるのがもっとも論理的だと言います.「日本書 紀」と組になるのは,「志」に相当する風土記と考えるのが良いようです.

 和銅六年に出された撰録の命令は,六十一の国と三つの島に出されました.そのうち,まとまった形で残っているのは,常陸,出雲,播磨,豊後,肥前の五カ国のもので,逸文として残っているのは三十〜四十カ国だといいます.

 この本では,第二章で現存する風土記について概観し,第三章以降でそれぞれの風土記について述べています.
 風土記には,それぞれの国によって独特の味わいがあり,本書の帯に記された言葉「古代を知る何でもありの宝庫!」の内容が述べられています.
 現在行われている祭りの中には,この頃から続いていると考えられるものもあるということです.

 「日本」として国をまとめていく段階でも,地方には地方としての文化があることが具体的に分かり,非常に面白い内容となっています.


2016北海道マラソン2016/08/28 21:31

 今年も快晴のもと,北海道マラソンが行われました.
 むっとするような風ではなく,秋の気配を感じさせる風でした.でも,日差しはかなり強く走るにはちょっと辛い条件でした.

 このマラソンの売りは,やっぱり北大の中を南北に通る中央道路を走ることでしょう.40km地点が北大総合博物館前,かつての理学部の建物です.ここに給水所が置かれています.北大の南門から出て道庁赤レンガを遠くに見ながらゴールに向かいます.


14m地点のトップ集団
1.14km手前の男子先頭集団


40km手前の先頭
2.北大第二農場脇を走る先頭の選手
 北大の北18条にある第二農場の脇を走ります.新川通の木陰のないコースから,気持ちの良いコースになります.


北大中央通
3.北大の中央通を走り抜けます.


40km地点
4.40km地点
 給水する人で大混雑です.


北大南門
5.北大の南門から道庁赤レンガへ
 ここまで来れば,あと1kmちょっとです.でも,へばっているとこの距離でも歩くことさえできなくなります.
 9時スタートで,この時13時35分頃ですから,5時間の制限時間にどうにか間に合いそうです.これだけの人がフルマラソンを完走するのですから,見ているだけで感動します.


大野池のスイレン
6.北大・大野池のスイレン
 大野池は,サクシコトニ川の途中につくられた池で,その昔スケート場として学生が造ったものだと言います.北大中央道路のすぐ脇にあります.


日本人はどこから来たのか?2016/08/22 18:17



日本人はどこから来たのか?
海部陽介,日本人はどこから来たのか?.文藝春秋,2016年2月.

 著者は,現在,国立科学博物館 人類史研究グループ長である.

 この本では,まず世界のホモ・サピエンスの遺跡の信頼できる年代の地図を示す.中東の4.9万年前から始まって日本の3.8万年前までの遺跡分布図である.

 この図から分かることは,アフリカを出たホモ・サピエンスは,ヒマラヤ山脈を挟んで南と北のルートを辿って日本に到達した.この拡散は爆発的なものであった.

 拡散ルート上の遺跡から出た人骨を使っての検討も行っている.
 また,ホモ・サピエンスの遺跡であった証拠としては人骨のほかに装飾品や細石刃・骨角器などの遺物があり,これらの検討も行っている.

 日本への移入ルートは三つ考えられるという.
(1)当時大陸と地続きであった台湾から南西諸島を経て沖縄島へ到達した.(南方ルート)
(2)朝鮮半島から対馬を通って九州・本州に到達した.(対馬ルート)
(3)シベリアからサハリンを通って北海道に到達した.(北方ルート)

 最初に日本に移入したのは3.8万年前の対馬ルートからであったと考えられるが,このルートから移入した集団は,北方系文化の指標である石刃技法を持っていたこと,南方ルート由来の海洋渡航技術を持っていたことが文化的な面から注目される.

 このことを考慮すると,日本列島へ移入したグループは,ヒマラヤ山脈を挟んで南と北から拡散したホモ・サピエンスが混じり合って日本にやってきたと考えるのが妥当である.

 遺伝子系統樹によるホモ・サピエンスの移動は海岸ルートが基本で,これらの集団が内陸へと移動したと考えている.著者の唱えるルートはこれとは大きく異なっている.
 信頼できる年代が出ている遺跡を基礎に置いているので,著者の考えはかなり真実に近いように思う.


北海道 大学駅伝2016/08/21 16:03

 2016年8月20日(土),札幌市のモエレ沼公園の周回コース(1周3.3km)で北海道の大学駅伝が行われました.正式名称は,北海道知事杯 第28回北海道大学駅伝対校選手権大会です.
 男子は,101.06kmで第1区から第8区まであり,一番短い区間は,第3区の6.52km,最も長い区間は第9区の19.56kmです.
 女子は,35.86kmで第1区から第6区まであり,最短区間は3.26km,最長区間は9.78kmです.

 参加校は,男子が9校,女子が3校で,優勝は男子が北海道教育大学,女子が北翔大学でした.
 何と言っても話題の第一は,男子で北海道教育大学が13大会ぶりに優勝し11月6日の全日本大学駅伝(伊勢路)に出場することでしょう.札幌学院大学は2位,北海道大学が3位でした.

 午前中は曇り空で,あまり暑くなく良かったのですが,午後は雨が降り出し一時は篠突くような降りになりました.

 天気が良ければ最後まで見ようと思ったのですが,諦めて小ぶりになったのを見計らって帰ってきました.それでも途中で降られ,ずぶ濡れになりました.

 超1流選手が競うオリンピックも面白いですが,こういう大会でそれぞれの選手が一生懸命に走っているのを見るのは楽しいものです.

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

鈴木選手
1.競り合う第2区の北教大の鈴木選手(赤のユニホーム)と北大の嶋田選手.
 鈴木選手がこの区間でトップに立ち,北教大がそのまま押し切り優勝しました.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

北大オープン参加チーム
2.北大のオープン参加チーム
 第8区までの選手を揃えての出場です.第2区の目良選手で,区間7位でした.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

柳原選手
3.北大・第3区の柳原選手
 区間賞を取りました.後ろは札幌学院大の齋藤選手です.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

澤上選手
4.北大・オープン参加チーム第3区の澤上選手
 6.52kmを走りきりました.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

次子第1走
5.女子の第1走者
 先頭から北翔大・明選手,北大・上田選手.北教大・宮武選手です.スタート前頃から雨が激しくなり,ずぶ濡れでのレースになりました.野球場裏のトイレの前で雨宿りしながらの撮影です.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

審判も大変
6.審判も大変
 暑さが厳しくないとはいえ汗もかいているでしょうし,おそらく全身ずぶ濡れでしょう.−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

アップダウン
7.アップダウン
 コースには3箇所のアップダウンがあります.ここは一番きつい登りですが,距離はそれほどありません.右手がモエレ山への224段の階段になります.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


台風一過2016/08/19 11:03

 8月17日,台風7号が襟裳岬に上陸し,温帯低気圧になって北に去って行きました.カムチャッカ半島の南東に高気圧があり,東に行くことができなくて,そのまま北上しサハリンへ行ったようです.

 18日,札幌は台風一過の晴天になりました.でも,午後には雲が多くなり,遠くの山の見通しはきかなくなりました.天気が良いので自転車ででかけました.


豊平川下流
写真1 国道275号雁来大橋から見た豊平川捷水路
 局地的・集中的に雨が降って水が濁っている.たまたま,寒地土木研究所の調査船が動いていた.


豊平川下流
写真2 豊平川捷水路右岸堤防から南を見る
 中央やや左遠くに恵庭岳,銀色の屋根は札幌ドーム.右の建物はゴミ焼却場です.堤防沿いに咲いている白い花は,野良ニンジンです.右の高水敷は牧草地になっています.水はここまでは上がっていません.


石狩川河畔林
写真3 石狩川20k付近の河畔林と入道雲
 まだ夏は続くようです.


石狩大橋
写真4 国道275号新石狩大橋は工事中
 新石狩大橋は,4車線化が進んでいます.交通量が多い割に幅が狭い橋で,自転車で渡るのは必死です.


石狩川低地
写真5 石狩川右岸の低地
 石狩大橋を渡った石狩川右岸から見た石狩平野です.もうすぐ稲が色づきます.


篠津運河
写真6 篠津運河
 篠津運河の正式名称は,篠津中央篠津運河用水と言います.新篠津村の石狩川頭首工から取水して,この篠津運河水門までの用排水路で延長は23kmです.この水門から下流は篠津川になり石狩川に注ぎます.篠津運河水門から上流を見ました..


石狩川
写真7 増水した石狩川
 豊平川捷水路が合流する付近の右岸から見た石狩川です.流れていくのは腐りかかった流木がほとんどで,根こそぎにされて流れていくものはごく稀にしかありません.右に雲がかかった手稲山,左に三角の恵庭岳が見えます.


石狩大橋
写真8 国道337号石狩大橋から上流を見る
 すぐ上流にはJR札沼線(さっしょう・せん),通称学園都市線の石狩川橋梁があります.


モエレ沼
写真9 モエレ沼
 最後はモエレ沼です.モエレ沼に架かっている橋の中で,ただ一つ歩行者専用の水郷北大橋の上から北西を見ています.1896(明治29)年の5万分の1地形図を見ると,この付近は河道跡が二つあります.その名残が,真ん中の島だと考えられます.


厚沢部アスリートクラブ2016/07/25 16:01


 2016年度の全道小学生陸上競技大会で,厚沢部アスリートクラブの6年女子が,400mリレーで優勝し全国大会へ出場することになりました.
 
 厚沢部町は,人口4,100人ちょっとで高齢者が多く年々人口が減少している町です.そんな町で活動する厚沢部アスリートクラブが全国大会に出るというのは,本当に快挙と言って良いでしょう.


2016全道小学生大会6年女子400mリレー
写真 1位ゴールする厚沢部アスリートクラブ

 小学生のような幼い時の運動能力は,天性のものが大きいと思います.ですから,今回の全国大会出場も個々人の能力の高さが大きな要素であったでしょう.しかし,指導者の質の高さも大きな要因であると思います.

 サッカーの長友選手は,次のように述べています.
 「1に楽しむ、2に勝ちにこだわる、3に体幹+バランス。どんなスポーツをするにしても小学生時代にはこの3つが重要だと思います。」(長友佑都 著,長友佑都 体幹トレーニング20.77ページ.2014年,KKベストセラーズ)

 楽しく身体を動かして,試合に勝つことのうれしさをを味わうことが,子供たちがスポーツを続けていく原動力になると思います.
 この点で,厚沢部アスリートクラブの指導は合理的で,練習の合間には子供たちがうれしそうに,さらに身体を動かしているのが印象的です.

 このようなクラブが少しでも増えれば,日本のスポーツも発展していくと思います.
 オリンピックのメダルを目指すのも良いですが,スポーツを通じて得られる様々なものは,その人にとって一生の宝になると思います.


採1回岩見沢トレイルラン2016/07/25 13:36

 第1回の岩見沢トレイルランが,2016年7月24日(日)に行われました.
 岩見沢市街の南東にある岩見沢グリーンランド背後の標高100mほどの山を走るコースで,スタートとゴール付近を除いて,ほとんどが林の中を走る土のコースです.


トレイルランの丘
写真1 この山の林の中を走る
 スタート地点の標高は35mほどで,この写真の一番高いところには見晴台があり標高120mちょっとです.コースは,最後にこの見晴台まで上がり,降りてきてゴールになります.この丘の地質は,中新世の泥岩が主なものです.


スタート地点
写真2 スタート地点
 音楽堂の,まさにステージの前がスタート地点です.8時半過ぎ頃の写真で,まだ人は,まばらです.10kmのスタートが10時,15Kmは10時20分でした.


15km集合写真
写真3 15kmコース参加者
 申し込み時点では,参加者は146人で,そのうち女子が24人でした.10kmコースの参加者は119人で,両コース合わせて265人が林の中を駆け抜けました.


 スタートは遊園地の北海道グリーンランドの隣りにある野外音楽堂の舞台の前です.ここからアスファルト道路を東に走り,林道に入って一気に50mほどを登ります.ここからはほとんど林の中のコースで,この季節でも暑さはそれほど感じません.この日は,風が涼しく気持ちの良い日でした.

 唯一見晴らしが開けるのは,幌向川に面した萩の山スキー場のてっぺんを通る時で,夕張岳から芦別岳までが見えます.

 15kmコースは,途中の林道を高速道路近くの利根別自然公園あたりまで行って,戻ってきて10kmコースに戻ります.

 最後は,いわみざわ公園のキャンプ場に出てきて,グリーンランドの東を通り,見晴台に登りゴールに向って降りて行きます.

 この大会の良いところは,何と言ってもコースが非常に優しいことです.一度登ると多少アップダウンのある林の中の道を走ります.日差しが多少強くてもそれほど汗をかきません.
 次に,コースは,ほとんどが土で足に優しいです.変に足を取られることもなく安心して走れます.
 さらに,制限時間が10kmコースでは2時間30分,15kmコースが4時間です.つまり,10kmコースなら1kmを15分,15kmコースでは同じく16分で走れば(歩けば)制限時間内でゴールできます.林の中を早足で散歩すると思えば,気を張らずに誰でも参加できます.
 キロ程表示は手作りながら,キチンと設けられています.ただ,走っていて5kmのキロ程が狂っているように思いました.
 そして,第1回で参加者が少ないこともあるでしょうが,駐車場に余裕があって助かりました.例えば,千歳マラソンでは駐車場を探すのに一苦労します.

 私は,この日15kmに出ました.スタートしてすぐに,みんなに置いて行かれてしまいました.何人かと一番最後を走っていましたが,10km手前からスイーパーの人に助けられながらの歩きになってしまいました.それでも,歩きながらスイーパーの人の体験談などを聞くことができ楽しい1日でした.

 15kmを2時間15分(1km9分ペース)を目標にしていましたが,後半,歩いたため2時間40分かかってしまいました.
 帰りは新篠津の塩辛い温泉につかって足の疲れをとりました.

 トレイルランが,どんなものかを体験したい人にお勧めの大会です.スキー場のゲレンデを上り下りする苦しいトレイルランニングとひと味もふた味も違い,トレイルランニングの楽しさを味わうことができます.



本の紹介:南海トラフ地震2016/07/19 21:10



南海トラフ地震
山岡耕春(やまおか・こうしゅん),南海トラフ地震.2016年1月,岩波新書.

 フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでいる南海トラフでは,100年から200年間隔で巨大地震が発生している.最新の地震は,1946年12月21日に発生した昭和南海地震である.近い将来,必ず次の南海トラフ地震が発生する.その場合,強い揺れや巨大な津波によって日本が回復不能な影響を受けるおそれがあるというのが,著者がこの本を執筆した動機である.

 目次は次のようになっている.

 はじめに
 序章 巨大地震の胎動
 第1章 くり返す南海トラフ地震
 第2章 最大クラスの地震とは
 第3章 津波,連動噴火,誘発地震
 第4章 被害予測と震災対策
 終章 それでも日本列島に生きる
 おわりに

 第4章で「予測の費用対効果」が述べられている.
 地震が起きると公表して,そのための応急対策にかかる費用と予測が的中した場合の利益を比較する.東海地震の場合,応急対策費用は1日あたり1,700億円とされていて,予測が出され警戒宣言が1週間続くと1兆2千億円かかる.一方,予測が的中した場合の利益というのは,道路交通の制限,鉄道の運行停止,店舗や工場,事務所の営業停止などによって被害が減少した額である.2003年,内閣府の試算によると利益は約6兆円とされている.
 予測を行った回数に対して地震が実際に発生した回数(=的中率)が20%以上であると利益に対して応急対策コストが下回ると言う.つまり,予測する価値があるということである.

 一番の問題は,「直前予知は可能か」ということを考える場合,「地震が起きる」ということが公表された時に,どのような対策をとるのかが決まらなければ,予測の評価ができないということである.

 少し分かりにくい議論であるが,実用的には納得できる.

 2011年の東北地方太平洋沖地震以来,内閣府で巨大地震・津波に対する検討が進められてきて,その成果が発表されている.
( http://www.jishin.go.jp )
 「平田 直,首都直下地震」(2016年2月,岩波新書)もそうであるが,その内容をわかりやすく解説した本である.


本の紹介:日本憲法史2016/07/01 21:04


日本憲法史
小路田泰直(こじた・やすなお),日本憲法史 八百年の伝統と日本国憲法.かもがわ出版,2016年4月.

 イギリスの「立憲主義」の歴史は1215年のマグナカルタ制定以来であるのに対し,日本での「立憲主義」形式の歴史を,鎌倉時代に北条泰時によって制定された関東御成敗式目(1232年)にまで遡って追ってみようというのが,本書の目的です.

 関東御成敗式目は,「道理」と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに制定されたものでした.この本では,「道理」=死者の輿論としています.つまり,『法とは,昔制定され,廃止しようと思えばいつでも廃止できたにもかかわらず,代々の輿論がそれを支持してきたために,長年生き残り,すでに慣習の域に達した「古い法律」のことであった.』(46ページ)と著者は言います.ここで「輿論」は,世論のことです.

 この伝統は,建武式目(1336年),武家諸法度(元和令:1615年)に受け継がれます.武家諸法度の論理の構築に貢献したのは,荻生徂徠,古事記をもとにした本居宣長,平田篤胤でした.
 明治維新の王政復古に大きな影響を与えたのは,死者と対話をとりしきる唯一者として天皇をおいた水戸学でした.水戸学では,天皇がそのような位置にあるのは,長いこと実際の政治に関わっていなかったからだと考えました.

 このような流れの中で制定された明治憲法は,一つは天皇が死者の輿論を聞き取る形で発布する,二つには天皇の不執政化がはかられたという特徴を持ちます.大日本帝国憲法の第十条から第十六条にある『天皇大権』は天皇の『統治権』の及ぶ範囲を限定するためのものでした.

 一方で,大日本帝国憲法は「第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」としています.立憲主義にもとづいて実際に政治を行う上では,法と「民主主義」のもとに官僚制を統御する必要があります.大日本帝国憲法では内閣総理大臣の規定がありません.憲法発布に先立つ1885(明治18)年に内閣制が制定され,国務大臣の首班として内閣総理大臣が置かれました.
 政党政治を行うことで,政権に就いた政党の党首が内閣総理大臣になるという方法が生み出されました.しかし,政党政治はうまく機能しませんでした.

 政党政治を安定させることによって立憲政治を安定させるために考え出されたのが美濃部憲法学です.
 「美濃部憲法学の特徴は,国家を,法の力によって人格を与えられた法人同様の団体と見做す域を超えて,それ自体が固有の意志をもつ,自然人同様の存在と見做したことにあった.」(110ページ)
 議会も天皇も,しょせんは国家という有機体の「機関」(器官)であり,独立の主体とは見なさなかったのです.そして,国家がもつ固有の意志というのは,「自分の意志に反して他の如何なる意志に依っても支配せられない」意志のことで,これが主権国家の「主権」の本質であるとしました.
 主権国家同士は,自分の意志で他の国家の意志による制限を受け入れるという主権の自己制限によって並存が可能になります.
 同時にこの頃,国家存立の基礎を民族の実在に置くという20世紀の普遍的な考え方が支配的となりました.

 1946年2月に,日本国憲法マッカーサー草案に接した時の閣議では,最初は戸惑いがあったが『「米国案は主義として日本案と大差無し」といった妥協的態度に収斂していった』(145ページ)と言います.

 大日本帝国憲法と日本国憲法には連続性があります.

(1)日本国憲法の制定は大日本帝国憲法の第七十三条にもとづいて行われています.
「第7章 補則
 第73条将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
 2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

(2)日本国憲法は「第一章 天皇』で,大日本帝国憲法を踏襲しています.

(3)日本国憲法の第七条の「国事に関する行為」規定は,大日本帝国憲法の「天皇大権」諸規定を継承しています.特に,現憲法の第五項は,下に示す大日本帝国憲法の第十条を継承しています.
「第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル」

 そして,何よりも日本国憲法の第一条です.明治憲法でも天皇不執政論から第一条と第三条が設けられています.
 日本国憲法
「第一章 天皇
 第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
 大日本帝国憲法
「第1章 天皇
 第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」

 「むすびに」で著者は次のように述べています.
『改めてもう一度いうが,憲法とは死者の輿論の謂である.従って現代人がそう勝手気ままに制定したり,変えたりしていいものではない.一旦制定すれば,むしろ「不磨の大典」として変えないのが本来である.』(167ページ)
 そして,自民党の『日本国憲法改正草案』には,死者の輿論を聞こうとする姿勢は全く見られないとしています.この草案が憲法となった時,日本には憲法がなくなるのではないだろうかと述べています.

 私にとっては非常に難解な本でした.が,いろいろと勉強になる内容でした.
 紹介は省きましたが,この本の中で述べられている石原莞爾の「世界最終戦争構想」は興味深い内容でした.