佐竹健治教授の最終講義 ― 2024/03/27 15:21
東京大学地震研究所の佐竹健治教授の最終講義が、2024年3月18日午後1時半から午後2時半まで、東大地震研究所の会場とオンラインで開かれました。私はzoomで視聴しました。
講演のタイトルは「同時代の地震から学んできたこと」です。概要を紹介します。
佐竹氏は、1982年に北海道大学理学部地球物理学科を卒業し、1987年に東京大学で学位を取得しました。1988年から1995年までカリフォルニア工科大学、ミシガン大学で教職に就いたのち、1995年に地質調査所に入所しました。その後、2008年に東大地震研究所に入り、所長を務めた後、2024年3月に退職しました。
この間、1983年の日本海中部地震、1992年のニカラグア地震、2004年のスマトラ・アンダマン地震、2011年の東北地方太平洋沖地震を経験しています。
北大では横山 泉教授のもとで研究を行いました。この時、2011年の東北地方太平洋沖地震発生時に政府の地震調査委員会の委員長を務めていた故阿部勝征氏が一緒でした。
1983年の日本海中部地震の時には北大の有珠観測所にいて、有珠近辺の地震でないことはすぐに確信しました。テレビで輪島港の津波の映像を見ていました。地震の発生は5月26日午前11時59分で、12時14分に大津波警報が発令されました。津波による犠牲者は100名で、この中には能代港で41人(多分35人)の死者、男鹿市の加茂青砂小学校の児童13人の犠牲者が含まれています。
この地震では、積丹半島に3mの津波が襲来しました。6月1日にはメカニズム解を出し讀賣新聞が正断層型と報じました。表面波の解析も行い、モーメントマグニチュード(Mw)7.8という結果を得ました。
日本海で発生する地震に関連して、1940年の積丹半島沖地震と1964年の新潟地震の見直しが行われ、水路部がこれらの地震による海底隆起を確認しました。
また、地震による自由震動や検潮所のデータを用いて津波波形インバージョン解析(逆解析)を行いました。1990年から津波波形インバージョン解析は迅速にできるようになりました。
1992年のニカラグア地震は、津波地震で最大10mの津波が襲来しました。
カスケード沈み込み帯の1700年地震の液状化の調査を行いました。この地震はマグニチュード9で、震源断層の長さは1,000kmでした。
1995年に地質調査所に入所して霧多布湿原での津波堆積物調査を行いました。泥炭と火山灰が積み重なっていて、その間に十勝根室沖で起きる地震の砂質津波堆積物が挟まっています。
2004年にスマトラ・アンダマン地震(スマトラ島沖地震)が起きました。15分後に震源を推定し65分後にはマグニチュード8.5としました(最終的にMw=9.1)。この時、太平洋沿岸諸国には津波警報を出すネットワークができていましたが、インド洋沿岸諸国は入っていませんでした。死者は228,000人で、ヨーロッパから来ていた観光客がかなり犠牲になりました。
アンダマン島で津波堆積物調査を行いました。その結果、アンダマン島では北部が隆起し南部が沈降している証拠を得ることができました。
日本海溝でマグニチュード9クラスの連動型巨大地震が起きる可能性は、2008年にはわかっていました。石巻平野や仙台平野で869年の貞観地震津波の堆積物が見つかっていました。1896年(明治三陸地震津波)、1933年(昭和三陸地震津波)、1960年(チリ地震津波)、2011年(東北地方太平洋沖地震)の津波堆積物があります。
東北地方太平洋沖地震津波の波形は、釜石沖の波高計が捉えていました。それを見ると最初はゆっくりと水面が上昇して、その後急激に上昇しています。869年の地震と1896年の地震が同時に発生したような波形です。
<感 想>
佐竹氏が地質調査所に入った1995年は、地質調査所の発注で私たちが大成町・平浜で北海道南西沖地震の津波堆積物調査を行った年です。以後、道東の厚岸町・国泰寺前で行った津波堆積物のトレンチ調査や浜中湿原での津波堆積物調査でも一緒に作業をしました。
私にとって印象的な佐竹氏の仕事は、1741年の渡島大島山体崩壊による津波について決着をつけた論文です(Satake, K. and Kato, Y. , Geophys . Res . Lett . , 28 , 427-430 , 2001 .)。
渡島半島の西海岸には、あちこちに渡島大島の1741年の火山灰が見られるので渡島大島が噴火したのは確かなのですが、津波の規模が大きすぎるという意見が多数だったように思います。この論文は、渡島大島の北側の海底の深度1,200m付近まで崩壊跡があり、その先深度2,000m付近まで流山を含む移動土塊があることを明らかにしたものです。
シンポジウム 北海道の地震火山現象 ― 2024/03/19 16:49
2024年3月16日(土)午後1時から4時まで、北大学術交流会館の会場とYouTubeで行われました。YouTubeで視聴しました。
プログラムは以下のとおりです。
開会挨拶
高橋浩晃氏:十勝根室沖のひずみ蓄積状況と超巨大地震
青山 裕氏:十勝岳の観測研究から見えてきた活動変化と内部構造
ポスター展示による研究紹介(休憩時間)
橋本武志氏:北海道の地下構造〜電磁気で見る地震・火山噴火の発生場
西村裕一氏:地質痕跡に基づく北海道における長期地震活動の特徴
質疑応答・閉会の挨拶
<高橋浩晃氏>
北海道は海に囲まれています。
日本海沿岸では1940年に積丹半島沖地震、1964年に新潟地震、1983年に日本海中部地震、1993年に北海道南西沖地震、2007年に新潟県中越沖地震、そして2024年の能登半島沖地震などが起きています。
千島海溝では、2004年の釧路沖地震以来、大きな地震は起きていず、現在も静穏期が継続中です。たまたまです。
古文書の記録としては厚岸町国泰寺に保存されている日観記に1843年の十勝沖地震の記録があり、1939(大正14)年以降は地震記録がそろっています。
古文書に残っていない、より古い記録は、津波堆積物の調査で明らかにされています。浜中町の調査では6,000年前からの津波堆積物が確認されています。
地震の発生確率は、簡単に言えば地震の起こりやすさです。
政府の地震調査研究推進本部(地震本部)では根室沖でマグニチュード7.8~8.5程度の巨大地震が起きる確率は80%程度としています。千島海溝南部ではマグニチュード8.8の超巨大地震が起きる確率は7~40%で、同じ方法で計算すると南海トラフ地震の発生確率は20%となります。
道東の太平洋側では津波被害が甚大になります。津波浸水想定では釧路川を津波が10㎞遡るとされています。
千島海溝でどんなプレート境界地震が起きるかを明らかにするために海底の動きを観測しています。海底地殻変動観測です。
まず、海底⾯に基準点となる標識を設置します。船などで基準点の直上まで行って船と基準点の距離を測定します。船の位置は衛星測位技術で計測します。これによって、ある時間でどの程度海底面が動いたかが分かります。現在、三つの基準点を設置して観測をしています。
プレート間巨大地震では、2011年東北地方太平洋沖地震のように浅いところで広い範囲にわたってひずみがたまって超巨大津波を起こすタイプと2003年十勝沖地震のようにやや深いところにひずみがたまっていて巨大津波を起こさないタイプがあります。
今までに得られたデータでは十勝根室沖では2011年タイプのひずみの溜まり方をしていると考えられます。十勝根室沖では全域が固着していて、地震が起きた場合の最大モーメントマグニチュードは9.3と想定しています。
<青山 裕氏>
十勝岳は大雪山国立公園の一部であり、史跡名勝天然記念物であり、十勝岳ジオパークです。
十勝岳で現在盛んに噴気を上げているのは前十勝の東にある62-II火口です。
十勝岳の近年の噴火は、1926年のマグマ水蒸気噴火と中央火口丘の崩壊による土石流の流下、1962年の準プリニー式噴火、1988年~1989年にかけての噴火です。この3回の噴火の間隔は36年と26年で、現在すでに最後の噴火から35年経過しています。
十勝岳の火山活動はマグマ噴火の先行現象があります。昔は大正火口付近で硫黄の採掘を行っていました。噴火活動が活発になる前に熱活動が活発になる、硫黄が出る、体感地震がある、地表に亀裂ができるといった現象がありました。
地表面の変動については1964年から気象庁がデータをそろえています。62-II火口では噴気が連続的になり一時衰退した後、2018年から再び活発になっています。
望岳台と前十勝の距離を測定しています。それによると12年間で50㎝長くなっています。地下の浅いところで膨張していることを示しています。
北大では2014m年から精密観測を行っています。その結果によると、2015年5月~7月にかけて山体の膨張が加速し山が盛り上がって割れ目が形成されました。
2005年までは安定した活動で2006年から2018年は静穏になり2018年以後活発になっています。地磁気、温度、圧力を観測し解析を行いました。
2019年11月には前十勝観測点で1ラジアンの地殻変動が観測されました。この変動の場所が移動しました。モデル計算をしたところ前十勝の地下500mで円盤状物質が収縮しているという結果となりました。
2020年9月14日には深いところの情報を得ることができました。海面下1㎞の深いところに変動源があると考えられます。
富良野川の深さ20~30㎞の位置で深部低周波が観測されています。
マグマ噴火は切迫していません。火山ガスを衛星画像で観測した結果、1日数百トンの火山ガスが出ていることが分かりました。
2022年7月には地温が80℃になりました。山体は安定していますが、変質作用が進行して山体を保持する強度が弱くなっている可能性があります。
<橋本武志氏>
電磁気を利用した地下構造探査を行い地震発生・火山噴火の発生場を探っています。
北海道の地質は約1500万年前に三つの地質体が合体して出来上がりました。現在は太平洋プレートが年8㎝の速度で移動し北海道を圧縮しています。活断層の走向は南北で、活火山は千島海溝、日本海溝に並行に分布しています。
地下構造探査では地下の伝導度を測る電磁気探査を用います。マグマは電気を通しやすく、震源分布は電気の通りにくい、やや硬いところに集中しています。
電磁探査の方法はマグネトテルリク法(MT法)で、磁場センサと電場センサを用いて自然の地磁気と地電流を観測します。測定器を設置して数週間、観測を続けます。
北海道を東西に横切る測線で観測を行いました。
支笏湖から日高山脈を横断して十勝川河口に至る測線では、地下50kmまで探査できました。結果は次のようでした。
・日高山脈の下は硬くてガチガチの状態です。
・日高山脈の西側に地震帯があります。
・石狩平野、十勝平野は厚い堆積層です。
・支笏カルデラの地下には電気の通りやすい塊があり、マグマがあると推定されます。
増毛山地から富良野盆地を通り、十勝岳から中標津に抜ける測線で探査を行いました。結果は次のようでした。
・富良野盆地の下に柔らかい物質があります。
・富良野盆地では、深度20〜40kmに電気の通りやすい領域があります。この領域の周囲で深部低周波地震が起きています。
・十勝岳から大雪山にかけて巨大な低比抵抗物体があります。マグマの供給系だと推定されます。
・この物体の周りで深部低周波地震が発生していて、真上に大雪山系と十勝連峰があります。これはマグマ溜まりの元になるマグマレザーバで、粥状のマグマがあると考えられます。
<西村裕一氏>
最初に、能登半島地震の津波痕跡調査に行ってきたので、その話をします。
砂浜の海岸には浮遊物の帯ができています。これが津波の遡上した位置を示しています。遡上限界は5m以下でした。
珠洲市の永橋漁港では地盤が2,2m隆起していました。サンゴ藻(サンゴモ)が付着している位置が地震前の海面です。
気象庁の津波観測装置は津波で破壊されて観測不能になっていました。
津波の履歴調査は自然現象と社会環境とに目配りが必要です。古文書や伝承は人の住んでいるところのデータです。北海道では1611年の津波の記録が最も古く、300年少し前までしか分かりません。そこで、津波堆積物の調査が役に立ちます。
2011年の東北地方太平洋沖地震の津波堆積物調査を行いました。海の砂が仙台平野一面を埋め尽くしていました。この砂を掘ると1611年の津波堆積物、915年の十和田火山灰、869年の津波堆積物が確認できました。
北海道・浦幌町の海岸から500mほど内陸で津波堆積物の調査をしました。ここは、人が住んだ痕跡がなく川の流路もありません。歴史時代の津波堆積物は、ここまで達していません。数千年間には海岸線の位置も変わりますし、砂丘の発達具合によっては津波が遮られます。
ここでは、3,000年間に8回の巨大津波がありました。平均間隔は350〜400年です。2007年には500年間隔地震津波が想定されるようになりました。
このような長期評価は決定論的評価で超大規模地震津波を想定しハザードマップを作り避難タワーなどを設置します。
これに対して、確率論的評価ではさまざまなケースを考えて津波の全体像を明らかにし、小さな津波も評価します。これは保険料率の設定に利用されます。
日本海沿岸は古い津波の記録がなく情報不足で確率論的評価になります。
オホーツク海沿岸は津波被害の記録がなく、津波堆積物も確認されていません。
注意が必要なのは根室海峡沿岸です。ここでは津波堆積物が見つかっています。
千島海溝沿岸では、花咲に20m以上の津波が2,500年で7回襲っています。別海では2,500年で2回、国後島の泊で2,500年に3回の津波、色丹島で6回の津波がありました。
襟裳岬から西では17世紀に巨大津波があり、高さ10mの段丘の上を500m浸入しました。1610年の慶長奥州津波の可能性があります。
<感 想>
電磁気探査による地下深部の構造解明は非常に興味深いものでした。支笏カルデラのマグマ溜まり、大雪連峰・十勝連峰へのマグマ供給源と考えられる巨大な低比抵抗物質など、いつ爆発的噴火が起きるか分かりませんが、人類が記憶していない巨大な噴火が起きる可能性を否定できないデータのように思います。
北大地震火山観測研究センターの一連の講演会は、非常に興味深い内容です。
本の紹介:戦争語彙集 ― 2024/03/13 15:07
オスタップ・スリヴィンスキー 作、ロバート・キャンベル 訳著、戦争語彙集。岩浪書店、2023年12月。
一風変わった題名のこの本は、2022年2月にロシアがウクライナに全面侵攻した後に語られたウクライナの人びとの言葉をスリヴィンスキーが書き留めたものです。
「『戦争語彙集』に集う声の持ち主は、家を追われ、未知なる世界へ踏み出さざるを得なかった人びとであり、ボランティアや医師、軍人、社会活動家やアーティストなど実にさまざまですが、それぞれの人生において戦争に見舞われた彼らは、共通の経験と一つの衝動によって結ばれた人びとなのです。」(本書 3ページ)
そして、後半は2023年6月にウクライナのリビウを訪れ、ウクライナ各地で人びとと語り合ったキャンベルの文章となっています。
戦争が人びとの日常生活に何をもたらし、どのように精神的な苦痛を与えているかがよく分かります。
ただ、ウクライナの人たちが明るくユーモアがあり、決してくじけない精神を持っていることも、よく分かります。
スベトラーナ・アレクシェービッチの「チェルノブイリの祈り」、関 礼子編の「福島からの手紙」、加藤直樹の「九月、東京の路上で」と同じように、普通に暮らしている人びとの声をすくい上げ記録した貴重な内容です。
令和6年 能登半島地震により発生した土砂災害の緊急調査報告会 ― 2024/03/12 13:01
令和6年 能登半島地震により発生した土砂災害の緊急調査報告会
(令和5年度 日本地すべり学会能登半島地震緊急調査報告会)
2024年3月7日(木)16時から18時まで、表記報告会が行われました。日本地すべり学会と砂防学会の共催でした。
Zoomで視聴しました。
プログラムは下のとおりです。
1.緊急調査の総括
砂防学会会長(調査団長) 大野宏之氏
2.先遣隊の緊急調査報告
信州大学教授 堤 大三氏
富山県立大学教授 古谷 元
3.地震による土砂災害の減災のための調査
北海道大学教授 山田 孝氏
4.能登半島地震の崩壊に関する地形解析(速報)
新潟大学教授 権田 豊氏
今回の報告会は、個々の地すべり、崩壊の紹介でした。箇条書きで概要を紹介します。
・地すべり移動土砂によって河川が閉塞されて湛水池ができた個所が結構あります。ただし、土砂ダムが決壊する危険性はあまりないようです。
・地すべり土砂が長距離を移動しています。土砂の流動性が大きいようです。
・地震発生時に積雪が多少あり、実効雨量は少しだけ大きくなっています。
・地すべりの全体ブロックが把握できない地すべりがあります。
・既存の法枠工が移動して破壊している箇所があります。
・崩壊が集中しているのは、新第三紀のデイサイト質火砕岩類の分布域で、次に多いのは泥岩分布域、次が砂岩・礫岩互層分布域です。デイサイト質火砕岩分布域での崩壊は、規模が大きい傾向にあります。
・崩壊が多い斜面の傾斜は、50°~55°です。
・活断層からの距離が15㎞付近まで崩壊が発生しています。一般的に言われている範囲より広いです。
・崩壊面積率は、活断層から3~4㎞と11~12㎞付近で大きくなる二つの山があります。
・崩壊に影響する因子としては、地質、傾斜、傾斜方向、活断層からの距離が効いているようです。
・今後、土砂の移動範囲、流動化の程度、生産土砂量、土砂移動距離などを明らかにする必要があります。
<感 想>
崩壊性地すべりというのは、概ね30 度未満の緩斜面で、降雨または地震によって突発的に発生し、土塊の大半が地すべり地から抜け出したものを言います。
層境界ですべり面が形成され地すべりとなる場合と地下水により流動化して土石流になり長距離移動する場合があります。この地すべりは三つの類型に分類されます。
1) 降下火砕堆積物/流れ盤(マントルベッディング)
2) 溶岩・火砕岩・大規模火砕流/流れ盤
3) 海成堆積岩/流れ盤
(以上、杉本ほか、2023による)
図 崩壊性地すべりの類型と推定される発生プロセスの一つ
(杉本宏之ほか、2023、文献調査に基づく崩壊性地すべりの類型化。令和5年度 砂防学会研究発表会概要集、187-188。)
今回の能登半島での斜面崩壊は、崩壊性地すべりに似た挙動を示しているようです。上の三つの類型の「火砕岩/流れ盤」に相当する場所で崩壊が多発しているようです。宝立山(ほうりゅうざん)付近には半島方向の背斜があり、その北の若山川に背斜があります。このような地質構造が崩壊の素因として大きく影響していると考えられます。
深層崩壊、周氷河斜面堆積物の崩壊、そして崩壊性地すべり、と集中的な降雨による土砂災害が増えています。地震による斜面崩壊も様々な形態があり、日本列島全体で斜面崩壊が活発になる時期になっているように感じます。
研究発表会・講演会 北海道の山岳研究 ― 2024/03/09 09:02
2024年3月2日(土)午前9時20,分から午後5時30分まで、表記行事が北海道大学・低温科学研究所(低温研)で行われました。主催は、岩花 剛(北大北極センター・アラスカ大)、白岩孝行(北大低温研)、曽根敏雄(氷河・雪氷圏環境研究舎)の三氏でした。
今回は、降りしきる雪の中、低温研へ行って聴講しました。
北海道大学低温科学研究所
北大構内の北東隅の第二農場に接していて、林に囲まれています。
午前中は北大などの主に若手研究者の発表が8件、午後は超ベテランを含めた研究者の発表が4件ありました。
午前中の発表は、ナキウサギ、高山植物、登山道のモニタリング、地表面変動、永久凍土、周氷河地形についてでした。午後は、生態系、昆虫、植物、崩壊と氷河地形についての講演でした。
私が興味を持った幾つかの発表を紹介します.分かりにくい所が多々あります。
岩花 剛氏(北大・北極センター・アラスカ大):大雪山系の地表面変動
地表面が凍結すると土壌中にアイスレンズができ凍上します。これを繰り返すことにより地表面が変動します。
衛星InSAR(干渉合成開口レーダー)画像を使った結果では、尾根の西斜面では毎年10cmの流動が観測されました。上下方向では2-4cmの移動が観測されました。忠別岳では毎年3〜6cmの変動が観測されました。
地表変動は6月頃まで沈下し、その後変動はなく10月頃から上昇しはじめ、年変動量は2cmほどです。
大野 浩氏(北見工業大学):知床山岳域における気象観測・永久凍土探査
知床連山の三ッ峯と硫黄山近くの風衝地(露岩地)で2019年以来、観測を行っています。
気温は20℃から−20℃の間で変動し、年平均気温は硫黄山地点で−0.5℃、三ッ峯地点で0.0℃でした。
地表面温度は、岩塊斜面では1.0〜2.5℃です。サイシルイ岳の風衝地で行った電気探査結果では、深度1.5m以深で比抵抗が大きくなり、掘削によって氷が確認できました。
白岩孝行氏(北大・低温科学研究所):羊蹄山山頂における地温観測結果と周氷河環境
羊蹄山に山岳永久凍土があるかどうかの調査を行いました。大雪山のパルサは消滅しています。羊蹄山の山頂火口(父釜)の北西に北山を最高点とする母釜と子釜があります。この火口の風衝地である北西向き斜面で、気温、深度9mまでの地温、積雪を測定しました。この斜面にはアースハンモックがあり、深度2.2mまで凍結していることが分かりました。この氷は雨水によって融けてしまいます。
曽根敏雄氏(氷河雪氷圏環境研究舎):大雪山における周氷河地形
周氷河環境というのは、凍結作用が強く働く環境ことで、凍上と融解による隆起と沈下が繰り返し起きる場所です。このような環境では、沢を挟んで雪が積もる急な斜面と反対側のあまり雪が積もらない緩い斜面で非対称な谷ができます。
白雲岳の斜面では岩塊ローブが年2cmほど移動しています。北海岳と白雲岳の間の稜線には、凍結割れ目多角形土が分布しています。
石川 守氏(北大・環境院):大雪山永久凍土帯における淘汰構造土
構造土というのは、凍結融解作用によって形成される幾何学的な形をした地表面の模様や微地形です。多角形土、円形土、条線土などがあります。
これらの構造土の形成は、自己組織化モデルが適用できるという研究があります。
大雪山系の白雲岳では、冬は15〜20m/secの西風が吹き、深度1,5m以下に永久凍土があります。傾斜4°ほどの斜面に多角形土や条線土が形成されています。
高橋伸幸氏(北海学園大学):大雪山の崩壊地形と氷河地形
氷河地形は北大雪、表大雪、十勝岳に分布しています。
忠別岳の北に大規模な崩壊でできた岩塊流があります。全長約1,300m、幅約450mです。この岩塊流の上には1739年のTa-aテフラと1694年のKo-c2テフラが載っています。この頃には、この岩塊流が形成されたことになります。この大規模崩壊の原因は、地震ではないかと考えています。考えられるのは、500〜600年前とされる旭岳の噴火時の地震です。
平ヶ岳から南北に延びる尾根の東側に巨大地すべりがあります。この地すべり堆積物の上には、1739年のTa-aテフラ、1694年のKo-c2テフラ、西暦947年以前のB-Tmテフラが載っています。
平ヶ岳から白雲岳に向かう登山道の1860m付近から1875mにかけて二つの岩塊原が広がっています。このうちの上方の岩塊原はモレーンではないかと考えられます。
石狩岳の南の尾根を源流とする石狩沢上流(地理院地図ではペテトク沢)に四期の氷河跡が認められます。堆積物中の木片の炭素年代は4.7万年前で、含まれる礫には擦痕があります。また、氷縞粘土や氷河底面に堆積するロッジメントティルもあります。氷河があった時代の雪線高度は標高約1,050mで、この辺りは一面、雪に覆われていたと推定されます。花粉分析の結果からは5,000年前までは冷涼、2,000年前まで温暖、そして再び冷涼になったと推定されています。氷成堆積物や氷河が残した氷の塊の跡であるケトルホールもあります。
そのほか、銀泉台の径4mほどの巨礫やトムラウシにも氷河の痕跡があります。
<感 想>
北海道の山岳地域の植物、昆虫、周氷河地形、崩壊など様々な分野の話を聞くことができ、興味深い講演会でした。
北海道自然保護協会の会長をつとめた佐藤 謙さんが、20代の頃に踏査した日高の植物の写真をたくさん見せてくれたのは感激しました。50年経って日高の植生が変化したことを検討する貴重な資料だと思いました。
高橋氏の講演は私にとっては、かなり刺激的でした。爆裂火口の跡と考えられてきた斜面がカールではないかという話でした。石狩川源流部の氷河堆積物の存在や白雲岳の南斜面の岩塊原はモレーンの可能性があるというのも非常に興味深かったです。この岩塊原の場所は、北緯43度39分、東経142度54分40秒 付近の、なだらかな尾根だと思います。グーグルアースで見ると岩塊原が広がっているのが分かります。
周氷河環境で形成された斜面堆積物が災害を起こしています。それとは別に、気候変動に敏感に反応する高山地域での研究も重要だと感じました。