12月の大雪2016/12/10 19:09

 夕べ(2016年12月9日)から雪が降り,一気に積もりました.この時期に,こんなに降ったのは記憶にありません.私が札幌に来たのは,1963(昭和38)年です.
 仕方なく今朝,雪かきをしました.歩道に積みきれず,一部は家の裏に運びました.正月にはみんな来るので,少しでも家の前の道路は空けておきたいのですが,この雪ではなんともできません.幸い,排雪を頼んでいるので何とかなるとは思いますが,この勢いで降られたらどうなることかと心配です.

札幌郊外の大雪
図1 札幌市の北東郊外の積雪状況
 すっかり真冬の状態です.午後3時頃です.札幌新道は,伏古インターチェンジから小樽側は通行止めになっていました.市電は運行していませんでした.札幌中央図書館で岡田弘(おかだ・ひろむ)さんの講演があるので,行こうと思って出かけたのですが諦めました.

12月の大雪
図2 窓の外は吹雪

 太陽活動の第24太陽周期の黒点数はピークを過ぎて減少に向かっています.つまり,現在太陽活動が不活発になりつつあります.
 太陽活動と気候変動の関係は一筋縄ではいかないようですが,極めて単純に考えると次のようになります.
 太陽活動が不活発になると太陽磁場によるバリアが弱くなって地球に届く宇宙線が増えます.宇宙線によって電子が作られ,それが雲の水滴を作りやすくします.雲が増えることによって地球表面は寒くなります.
 つまり,太陽活動が不活発になると地球は寒冷化に向かうと考えられます.

 このような現象は,分かっている範囲では1645年頃から1715年頃(慶安から元禄の頃)のマウンダー極小期,1810年頃(寛政の頃)を中心としたダルトン極小期などが知られています.1770年頃〜1815年頃にかけては江戸の隅田川が何回か凍ったという記録があるそうです(例えば,http://edo-g.com/blog/2016/02/heater.html ).

 ところで,大気中の二酸化炭素の量は増加の一途をたどっています.気象庁の観測では,2015年は400ppmを越えています.世界の平均濃度は400.0ppmです.

二酸化炭素濃度
図2 二酸化炭素濃度の経年変化(気象庁)
 1992年に増加量がほぼ0になっていますが,それ以外の年は増加しています.1750年頃の平均的な二酸化炭素濃度は,278ppmとされていますので,1.4倍になっています.綾里(りょうり:青い線)は岩手県三陸町です.

 二酸化炭素が環境に及ぼす影響としては,温暖化のほかに海洋の酸性化があります.酸性化によって絶滅する種もあると予想されています.
 なので,いずれにしても二酸化炭素の排出は,できるだけ押さえるのが良いのだろうと思います.

南スーダン、南シナ海,北朝鮮2016/12/09 20:32


南スーダン,南シナ海,北朝鮮
自衛隊を生かす会 編著,2016年11月,南スーダン、南シナ海,北朝鮮 新安保法制発動の焦点.かもがわ出版.

 2016年11月21日,駆けつけ警護などの新任務を与えられた陸上自衛隊第11次隊の先発隊が,南スーダンの首都ジュバに到着しました.第11次隊は青森市に司令部がある第9師団の施設科隊員(工兵)約300人と普通科隊員(歩兵)約50人からなり,駆けつけ警護などを受け持つのは普通科隊員です.

 この本の「まえがき」で自衛隊を生かす会の事務局長である松竹伸幸氏は次のように述べています.
 「この新安保法制の評価は,これまでは法律の条文をめぐって議論されてきましたが,今後はまさに法律が実施される現実をめぐる議論に移行していきます.」(本書,2p)
 時宜を得た出版です.

 以下,印象に残ったことを紹介します.

総論:新安保法制で別次元に進む自衛隊の海外派兵;柳澤協二(元内閣官房副長官補)
 自衛隊の海外派遣は,国連の活動としてのPKOと対米協力としての後方支援があります.南スーダンでは,PKO5原則は完全に崩れています.自衛隊は戦争をすると言うことです.対米協力では今そこが戦場でなければどこでも行けるし,弾薬も提供することになりました.
 自衛隊を南スーダンに派遣することによって,日本は何をしたいのかがはっきりしないという問題があります.

南スーダン:九条とPKOの矛盾を真正面から議論すべきだ;伊勢崎賢治(東京外国語大学教授)
 1999年に国連事務総長の名で発布された告知によって,もし無垢の住民がPKOの目の前で攻撃を受けたら,PKOはその脅威に「紛争の当事者」として対抗し,戦時国際法・国際人道法に則って「交戦」することになりました.
 今,PKOを撤退させるのは遅すぎます.PKOが増員されたので小康状態になるときがあるはずで,その時自衛隊を完全に撤退させましょう.

南スーダン:駆けつけ警護の問題を現場から考える;渡邊 敬(元陸将)
 日本が最初に参加したカンボジアのPKOに関与しました.日本は自己防衛のための武器使用と妨害排除のための武器使用を分けていますが,PKOではこのような区別はありません.国連の交戦規定と日本の交戦規定が違っているというのが大きな問題です.安保法制によって,ある地域の治安を維持し安定させるための普通科部隊(歩兵部隊)を派遣できるようになりました.

南スーダン:国際協力NGOの立場から問題を考える;谷山博史(日本国際ボランティアセンター代表)
 谷山氏達は2005年に包括的平和協定が結ばれた後に,スーダン南部に入りました.しかし,2011年の南スーダン独立後にスーダンで内戦が起こり,事務所にいた駐在代表の今井高樹氏が孤立してしまいました.この時は政府軍も反政府軍も民兵を動員し,正規兵・非正規兵の区別もありませんでした.事務所は荒らされましたが,今井氏は息を潜めていました.そのうちに兵士達は去って行き,今井氏は国連の非武装の民政機関の人に助け出されました.
 今の南スーダンは自衛隊のPKO 派遣原則が満たされていない状況です.

 その他にも,現在の国際情勢を考える上で参考になる記事が満載です.上に上げた以外の執筆者と表題を示します.
 石山永一郎氏(共同通信編集委員):東南アジアの視点から問題を捉える;南シナ海
 太田文雄氏(元陸将・情報本部長):自衛隊は警戒監視に関与すべきである;南シナ海
 加藤 朗氏(桜美林大学教授):安全保障の観点から問題を捉える;南シナ海
 津上俊哉氏(元通産省北東アジア局長):中国専門家の立場から問題を見る;南シナ海
 泥 憲和氏(元陸自三曹):派遣される自衛隊員の立場で訴える;南スーダン
 蓮池 透氏(元拉致被害者家族会事務局長):安倍内閣に拉致問題の解決を期待できるのか;北朝鮮
 モハメッド・オマル・アブディン氏(東京外国語大学特任助教):戦争現場の人は日本に何を期待するか;南スーダン


本の紹介:ザ・パーフェクト2016/12/09 14:47



ザ・パーフェクト
土屋 健執筆,小林快次・櫻井和彦・西村智弘監修,ザ・パーフェクト−日本初の恐竜全身骨格発掘記 ハドロサウルス発見から進化の謎まで.誠文堂新光社,2016年7月.

 北海道むかわ町で発見された恐竜化石の発掘物語です.
 この恐竜化石は,2016年12月現在,クリーニング中でまだ完全に姿を現していません.しかし,かなり良好な状態で全身骨格が発掘されました.

 この本の特徴は,発掘に携わった9人に焦点を当てていることです.そのため,時系列的に見るとダブっている記述があったり,むかわ町穂別博物館の売りの一つであるホベツアラキリュウの全く同じ写真が2枚載っていたりします.

 しかし,非常に面白い本です.特に佐藤たまきさんが,博物館に収蔵されていた骨を見てクビナガリュウではないと判断した場面が印象的です.
 余談ですが,佐藤さんは女性科学者に贈られる猿橋賞を2016年4月に受賞しています.

 恐竜の死骸が海の中をだだよっている服部雅人さんのイラストができあがるまでのやり取りも紹介されています.第4部では,服部さんのイラストで様々な恐竜を紹介しています.

 執筆者の土屋さんは金沢大学で地質学・古生物学を学び,現在サイエンスライターとして活躍しています.
 発掘に関わった人たちの生い立ちや子ども時代をどう過ごしたかが書かれているので,特に,化石や恐竜などに興味を持っている若い人に読んで欲しい本です.

 なお,幾つか誤植がありますが,78パージの1行目「北海道開拓記念博物館」は,「北海道開拓記念館」です.


「北方領土」返還論のおかしさ2016/12/07 14:26

 明治十七(1884)年7月,千島列島の一番北にあるシュムシュ島のアイヌ民族19戸・97名がシコタン島に強制移住させられました.
 これは,明治八(1875)年8月に批准された樺太千島交換条約で,千島列島全島が日本領となったためです.
 当時の千島列島は,エトロフ島のすぐ北のウルップ島とシムシル島にはアリュート民族,24軒・90人が住んでいました.千島列島の北の端,シュムシュ島にはアイヌ民族が住んでいたのです.
 ウルップ島にもシュムシュ島にもロシア正教の教会が一つずつありました.この頃のシュムシュ島のアイヌ民族は,ロシア人との接触が長かったのでロシア文化の影響を受け,ロシア正教の信徒が多い上,名前もロシア人風でした.このような状況を変えるために,明治政府はシュムシュ島を拠点とするアイヌ民族に物資を輸送し,獣皮類の交易を行いました.
 さらに,冒頭で書いたようにシコタン島への強制移住を行ったのです.

 しかし,新しい環境に適応できなかったシュムシュ島のアイヌ民族は減少し続け,第二次世界大戦直前には数名を数えるに過ぎなくなったのです.
(以上は,榎森 進,アイヌ民族の歴史.草風館,2007による)

 「日本国民」として扱い,強制的に移住させた人たちの故郷を日本に取り戻さなくて良いのでしょうか.
 確かに,歴史的にみると「択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる北方領土は、私たちの父祖が開拓し受け継いできたもので、未だかつて一度も外国の領土となったことのない我が国固有の領土です。」(北方領土復帰期成同盟のウェブサイト)というのは,納得できないではありません.
 しかし,平和的な交渉によって日本の領土となった地域を放棄するというのは,どう考えてもおかしいと言わざるを得ません.腰を据えて取り組まなければならないことですが,原則を譲ってしまっては,それこそ孫子の代に顔向けできないでしょう.


宇宙は「もつれ」でできている2016/12/01 15:29



gilder
L.ギルダー,山田克哉監訳,窪田恭子訳,宇宙は「もつれ」でできている.ブルーバックス,講談社. 原題は,The Age of Entanglement : When quantum physics was reborrn です.entanglement は「もつれ」です.

 「監訳者まえがき」の冒頭部分が,この本の特徴を見事に言い表しています.量子力学の歴史を,多くの物理学者の討論などを紹介しながら述べた本です.

 第1章は「ちぐはぐな靴下」という題です.量子論に重大な転機をもたらした J. ベルの不等式の話から始まります.

 以下の各章は,時代順に量子力学が,どのような人によって,どのような議論を通じて発展してきたかを述べています.
 議論の内容を完全には理解できませんが,登場する人物は有名な人ばかりです.さすがに,1950年頃からの物理学者は,私が名前を知らない人が多くなります.

 この本を読んで,インターネットなどで量子力学の分かりやすいウェブサイトを見ると,何となく分かったような気になります.

<分かりやすい量子力学のウェブサイト>

・30分で分かる量子力学の世界
( http://ryoushi-rikigaku.com/index.html )
 *「原子より内側と外側には、全く異なる2つの世界があります。 この境目の壁はとても大きく、一方の常識は他方に通用しません。 当然、物理法則も全く違います。通常の物理学が通用しない、原子の内側の物理学が、量子力学です。」
 という説明は納得できます.

・【誰でも分かる】「量子力学」ってなんなの? 詳しい人に聞いてきた【入門編】
(https://haken.inte.co.jp/i-engineer/interesting/ryoshirikigaku ) 
 *量子力学の世界を非常に分かりやすく説明しています.量子の一つである電子が,粒と波の両方の性質を持つ実験の絵と説明が見事です.


夕張川新水路80年シンポ2016/11/25 17:19

 夕張川は,夕張山地を横断し由仁安平低地を北に向かい,馬追丘陵を横断して石狩低地へと流れています.栗山町のJR栗丘駅の西で新水路となり,石狩平野を横断して西北西に向かい,国道337号の美原大橋の上流で石狩川に合流します.
 この新水路が完成してから今年で80年で,それを記念してシンポジウムが開かれました.

 最初に,札幌開発建設部江別河川事務所長の岡部啓二氏が「夕張川新水路の概要」と題して講演しました.
 夕張川では,明治三十一(1898)年9月,同三十七(1904)年6・7月に洪水に見舞われています.旧夕張川の蛇行部の一つである「木詰(きづまり」では,大量の流木が溜まって水の流れを止めるために「洪水の元凶」と言われていました.現在も,木詰という地名は地理院地図に載っていて,旧夕張川を渡る町道には木詰橋がかかっています.
 明治四十三(1910)年に第1期拓殖計画が策定され,石狩川の本格的な治水事業が始まります.この年に保原元治(ほばら・もとじ)が北海道庁に着任します.保原は夕張川の調査を行い,新水路事業を策定します.
 新水路工事は大正十一(1922)年に開始され,昭和十一(1936)年8月に新水路の通水が行われました.これに先立つ同年4月下旬,融雪水により夕張川が増水したため,南幌町と長沼町の農民が工事中の新水路へ水を流し堤防決壊を防ぎました.
 この新水路が完成したことによって,夕張川が石狩川に合流するまでの距離が34kmから11kmになりました.当然,河床勾配がきつくなります.そのため非常に激しい河床洗掘が起き,清幌(きよほろ)床止が設置されました.南幌市街の北東にある南幌リバーサイド公園付近です.
 現在は,夕張シューパロダム(大夕張ダムの直下流)の完成により治水事業は大きく進展しました.

 この後,DVD「夕張川 治水に命を賭けた男達」の上映があり,パネルディスカッションに移りました.

 パネルディスカッションには,保原元治氏のご息女である佐々木光枝氏も参加し,保原氏の思い出を語られました.


江別河川事務所長・岡部啓二氏
講演する札幌開発建設部江別河川事務所長 阿部啓二氏


新水路通水
新水路通水時の様子(当日配付資料より)


パネラー1
パネラー(1)
 左から,コーディネーターの鈴木英一環境技術研究センター理事長,佐々木光枝氏,,三好富士夫南幌町長


パネラー2
パネラー(2)
 左から,戸川雅光長沼町長,山田大隆酪農楽典大学特任教授,宮藤秀之札幌開発建設部次長


「北方領土」2016/11/24 12:09

<日ソ共同宣言から60年>

 1945年8月の敗戦によって,日本は千島列島を失いました.人の記憶がはっきりするのは3才くらいからと言われています.すでに敗戦から71年が過ぎている今,千島で暮らしていた人たちで,故郷としての記憶を持っている人たちが少なくなりつつあります.
 戦後レジームの一つとして残っているこの問題の解決が急がれます.

 2016年10月19日は,1956(昭和三十一)年に日ソ共同宣言が発表されてから60年になります.この宣言の中では,「北方領土」について次のように述べられています.

「9 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。」

 しかし,その後,平和条約は結ばれず,ロシアとの領土問題は未だに解決していません.
 
<サンフランシスコ平和条約>

 ところで,日ソ共同宣言の前,1951年9月に結ばれたサンフランシスコ平和条約には,次のような条文があります.

「 第二章 領域 第二条(c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」

 この条文は,普通に読めば,千島列島の国後島からカムチャッカ半島に近接する占守島(しゅむしゅ・とう)までの領有を放棄するということだと思います.

<放棄した千島の中に国後・択捉は入らないのか?>

 サンフランシスコ平和条約批准のための国会で西村熊夫条約局長は次のように答弁しています.これは,批准国会での政府の統一見解でした.
 「条約にある千島列島の範囲については,北千島と南千島の両者を含むと考えています.」(1951年10月19日)

 では,いつ変更になったのか.

 1955年6月にロンドンで日ソ国交回復交渉が始まりました.この時,日本が最初に示した領土問題の覚書は次のようなものでした.

 「歯舞諸島,色丹島,千島列島及び南樺太は歴史的にみて日本の領土であるが,平和回復に際しこれら地域の帰属に関し隔意なき意見の交換をすることを提案する」(1955年6月7日)

 この提案をよく読んで欲しいのですが,樺太千島交換条約で交換した樺太についても意見交換をするという「能天気」なものです.ましてや,「北方領土」という考えも持っていなかったと考えられます.

 同年8月になって,ソ連が歯舞と色丹については放棄する意志があることが,ほのめかされます.この交渉の全権であった松本俊一氏が東京に訓令(上級官庁が権限の行使を指揮するために発する命令)を仰いだところ,
 「歯舞,色丹のみの返還では領土問題の解決にならないという見解をとって,国後,択捉の二つの島についても,この二島は千島,樺太交換条約の示すように日本固有の領土であって,いわゆる千島列島に含まれていないという見解を示してきた.」(不破,76p)
 というのです.

 つまり,1955年8月にサンフランシスコ平和条約の「千島放棄条項」の解釈変更が行われたのです.完全な後出しです.

<日露通好条約 いわゆる下田条約>

 1855(安政元)年に日露通好条約,いわゆる下田条約が徳川幕府とロシアの間で結ばれました.
 この条約では,「ウルップ全島夫より北の方クリル諸島」となっているので,クリル諸島には択捉島以南は含まれないと言う主張があります.つまり,ここで言う千島列島というのは,得撫島(うるっぷ・とう)以北の島のことで,歯舞群島,色丹島,国後島,択捉島の四島は千島列島に入らない.「北方領土」(択捉島,国後島,色丹島,歯舞群島)は日本固有の領土だという考えです.
 なお,この日露通好条約では,樺太について国境を設けず,日露混在の地とされました.

 以下に,日露通好条約の二つの条文を示します.

 第一の条文は日本語条文です.

「今より後日本国と魯西亜国との境 ヱトロプ島と ウルップ島との間に在るへし ヱトロプ全島は日本に属し ウルップ全島夫より北の方クリル諸島は魯西亜に属す カラフト島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす 是まて仕来の通たるへし」(日本語条文:ウィキペディア,2016年10月20日)

 しかし,オランダ語条文は次のようになっていて,イトルプ島(択捉島)より南の島も千島列島だと読むことができます.つまり,下の文章で「「・・ウロプ島全島は残りの,北の方の,クリル諸島とともに・・」となっているのが正確な文章だそうです.

 第二の条文はオランダ語条文です.

「これから後、境界はイトルプ(イェドロプ)島とウロプ島の間にあるべし。イトルプ全島は日本に属しそしてウロプ全島は残りの、北のほうの、クリル諸島とともに、ロシアの所有に属する。カラフト(サハリン)島について言えば、従来どおりロシアと日本との間に不分割のままにとどまる」(条約交渉で使われたオランダ語条文の翻訳:出典はウィキペディア)

<樺太千島交換条約>

 1875(明治8)年5月に樺太千島交換条約が署名され,千島列島が日本領土,樺太がロシア領と確定しました.1855年の日露通好条約の国境条項は失効しました.
 つまり,北方領土の原点は,平和的に結ばれた樺太・千島交換条約が基本になるのが妥当だと言えます.

 余談ですが,この条約を初代駐露全権公使として締結したのは,榎本武揚です.榎本は,この後ペテルブルグからウラジオストックまで,ロシアを横断して帰国しました.この時の記録が,「榎本武揚 シベリア日記」(講談社編,2008)です.この本を読むと,榎本が地形や地質について造詣が深いことが良く分かります.

<歯舞群島,色丹島について>

 歯舞群島,色丹島について,ロシアは小クリール群島(小千島列島)と称してクリール群島(千島列島)の一部と見なしています.
 しかし,1869(明治二)年,北海道に国郡制が設置された時,これらの島は根室国花咲郡に属していました.1884(明治十七)年に千島国色丹郡色丹村となりました.
 このように,歯舞群島,色丹島は歴史的にみても日本が実効支配してきた地域で北海道の一部であり,千島列島に含まれないと国際的にも認められてきたと言えます.

 これらの島の地質は,根室半島の続きで主に根室層郡が分布しています.これに対して,国後島,択捉島は知床半島の続きで,爺爺岳(国後島:標高1,822m),茂世路岳(択捉島:標高1,124m)などの活火山が存在します.さらに,その北の千島列島にも多く活火山があり,千島列島全体で18世紀初頭以降,噴火記録のある火山が32あると言われています.

 面積は「北方領土」で約5,000平方キロメートル,「北方領土」を除く中千島,北千島の合計が約5,320平方キロメートルです.これらの島を放棄するのが「北方領土」返還だとすると納得できないものがあります.

<参考にした図書など>

・石塚𠮷浩,千島列島の火山.
( https://staff.aist.go.jp/y.ishizuka/kuril/kurilindex/kurilindex.html )
 :千島列島の火山分布が示されています.北千島,中千島,南千島の区分も分かります.

・講談社編,2008,榎本武揚 シベリア日記.(講談社学術文庫)
 *樺太千島交換条約を締結した榎本が,1878(明治十一)年7月26日にペテルブルグを出発し,同年9月29日にウラジオストックに到着するまでの日記です.

・気象庁・日本活火山総覧(第4版)Web掲載版.
( http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html ) 
 *「もくじ」の後ろの方に「北方領土」として択捉島と国後島の11の活火山が載っています.

・田中俊明,1,991,千島列島と日本固有の領土−国後,択捉は千島列島の一部−.Studies in Languages and cultures,No.2.

・日本国外務省・ロシア連邦外務省,1992,日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集.
( http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/1992.pdf )

・不破哲三,1998,千島問題と平和条約.新日本出版社.
 *丹念に資料に当たり,「北方領土」問題を解決するには,どうすべきかを述べています.

・北方領土問題
( http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm )
 *非常に優れたウェブサイトです.正確な「北方領土」の知識が得られます.日本がポツダム宣言を正式に受諾したのは,1945年9月2日であることが年表に示されています.


本の紹介:旅をする木2016/10/24 11:03



旅をする木
星野道夫,旅をする木.1999年3月,文春文庫.

 今年は,星野道夫が1996年8月8日に亡くなって20年です.

 NHKBSプレミアムで「星野道夫 没後20年“旅をする本”の物語」という番組が,今年3月に放送されました.
 星野道夫の「旅をする木」という本が,いろいろな人の手に渡り世界中を旅をしたというドキュメンタリーでした.この本が,人から人へと渡っていく途中,ある人が「木」に横棒を足して,「本」に変えたのです.

 この番組を見て,「旅をする木」を読みました.こんな文章を書くことができたら良いのにと思います.文章が優しく,情景や登場する人たちの様子が目に浮かんでくるのです.内容は,経験に裏打ちされた深いものとなっています.

 星野道夫の最後が衝撃的だったため,「動物写真家」と簡単に言われることがありますが,アラスカ大学野生動物管理学部に4年間留学したり,アラスカのインディアンの村で生活したりと様々な経験を積んでいます.そこから得られた考えを優しい言葉で記しています.

 「旅をする木」は,星野道夫の人生観というか世界観が良くわかる本です.

参考HP
Michio Hoshino
< http://www.michio-hoshino.com/index.html >


本の紹介:日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか2016/10/16 15:39


日本はなぜ戦争ができる国になったのか
矢部宏治,日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか.集英社インターナショナル,2016年5月.

 この本は,著者が1945年から朝鮮戦争が休戦となる直前の1952年までの占領期に日本に何が起こったのかを調べた結果をまとめたものです.

 一言で言えば,「戦争になったら,日本軍は米軍の指揮下に入る」という「統一指揮権密約」があり,2015年9月19日に「成立」した安保関連法は,そのために必要な「国内法の整備」であったと言うことです.

 大本に遡ってみれば見えてくることがあるという信念のもと,公開されたアメリカの文書などを読み込んで分かりやすく説明しています.
 軍事的には,日本は未だに占領期の状態のまま,米軍が日本とその周辺で自由に行動する権利を持っていると言うことです.その法的な根拠として,日米安全保障条約を初めとする表の文書のほかに,密約があります.

 例えば,吉田首相が,口頭で1回目の「統一指揮権密約」を結んだのは,1952年7月23日です.そこでは,「有事の際に単一の司令官は不可欠であり,現状のもとではその司令官は合衆国によって任命さるべきである」ということに吉田首相が同意しました.アメリカの極東司令官であったマーク・クラーク大将が本国に送った機密報告書で明らかになったことです.

 このように,公開された機密文書をもとに,戦後すぐの日本で何が起きていたのかを明らかにしています.それは,悲しくなるような内容ですが,実態を知っておくことは大事だと思います.

 「戦後レジームからの脱却」というのであれば,この体制をこそ変えなければならないと強く思います.
 辺野古での人権侵害を含む暴挙,オスプレイの全国への配備,低空飛行訓練などの根拠が,恐らくここにあると思います.今の問題に直結しているのです.


本の紹介:鉱石の生い立ち2016/10/12 17:21


鉱石の生い立ち
島崎英彦,鉱石の生い立ち.2016年9月,明文書房.

 1968年から1999年に定年退職するまで,東京大学で金属鉱床学を担当してきた著者が長年蓄えた深い学問と知識を傾けた本です.
 
 分かりやすい文章で,鉱床学の基礎的なことも含め述べています.金属鉱床についての知識を得ることができると同時に,興味深い話が満載で飽きさせません.
 
 例えば,ニッケルは何故,熱水性鉱床で産出しないのか,金鉱床である九州の菱刈鉱山の発見物語,黒鉱成因論の変遷など,自身の体験も含めながら述べています.

 扱われている金属は,ニッケル,白金,錫,鉄、金,銅,鉛・亜鉛,タングステン・モリブデンなどです.

 鉱石に興味を持っている人には,見逃せない1冊です.

 なお,著者の「島崎英彦のホームページ」( http://www1.odn.ne.jp/~caw40120/index.htm )の「近著紹介(3)」に,本書を書いた動機と目次がが載っています.