日本人はどこから来たのか? ― 2016/08/22 18:17
海部陽介,日本人はどこから来たのか?.文藝春秋,2016年2月.
著者は,現在,国立科学博物館 人類史研究グループ長である.
この本では,まず世界のホモ・サピエンスの遺跡の信頼できる年代の地図を示す.中東の4.9万年前から始まって日本の3.8万年前までの遺跡分布図である.
この図から分かることは,アフリカを出たホモ・サピエンスは,ヒマラヤ山脈を挟んで南と北のルートを辿って日本に到達した.この拡散は爆発的なものであった.
拡散ルート上の遺跡から出た人骨を使っての検討も行っている.
また,ホモ・サピエンスの遺跡であった証拠としては人骨のほかに装飾品や細石刃・骨角器などの遺物があり,これらの検討も行っている.
日本への移入ルートは三つ考えられるという.
(1)当時大陸と地続きであった台湾から南西諸島を経て沖縄島へ到達した.(南方ルート)
(2)朝鮮半島から対馬を通って九州・本州に到達した.(対馬ルート)
(3)シベリアからサハリンを通って北海道に到達した.(北方ルート)
最初に日本に移入したのは3.8万年前の対馬ルートからであったと考えられるが,このルートから移入した集団は,北方系文化の指標である石刃技法を持っていたこと,南方ルート由来の海洋渡航技術を持っていたことが文化的な面から注目される.
このことを考慮すると,日本列島へ移入したグループは,ヒマラヤ山脈を挟んで南と北から拡散したホモ・サピエンスが混じり合って日本にやってきたと考えるのが妥当である.
遺伝子系統樹によるホモ・サピエンスの移動は海岸ルートが基本で,これらの集団が内陸へと移動したと考えている.著者の唱えるルートはこれとは大きく異なっている.
信頼できる年代が出ている遺跡を基礎に置いているので,著者の考えはかなり真実に近いように思う.
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