本の紹介:森と木と建築の日本史2022/09/01 13:45


森と木と建築の日本史

海野 聡、森と木と建築の日本史。岩波新書、20224月。

 

圧倒される内容です。

 

「日本人は木とともに文化を作りあげてきた」で始まる序章、人々が木をどう利用してきたかについての一般的な知識をまとめた第一章と続き、古代、中世、近世、近代から現代へと、木と人との関わりについて述べています。

著者の視野は広く、現地での木の選定から運搬そして木の特長を生かした建築方法までを、それぞれの時代でどう行ってきたかを具体的な事例にもとづいて述べています。

 

法隆寺の西院(さいいん)には最古の木造建築である金堂があります。ここで用いられている柱の太さは約60cmあります。現在の住宅の柱の太さが10cm程度であるのに比べて圧倒的な太さです。また、内部には巨大な一枚板で作り出された約1m幅の扉があります。

 五重塔の心柱は直径88cmを越え、高さは30mを越えています。ただし、この心柱は二本の木材を継いだものです。

このように、古代では非常に大きな材が用いられています。周辺に豊かな森林が広がっていたことが推定されます。

奈良盆地への運搬は、近江国の田上山(たなかみやま:大津市)からヒノキを伐り出し、瀬田川から宇治川、巨椋池を経て木津川に入り、奈良盆地の北の泉木津からは陸路を運搬しました。木材を伐り出す杣(そま)は、近江国や甲賀、播磨国にもありました。

 

中世に入ると巨大な木材の入手が困難になります。

鎌倉の鶴岡八幡宮の神宮寺の創建時には伊豆の天城山付近から伐り出された木材が、海路で鎌倉に運ばれています。天竜川や木曽川の上流からも木を切り出して、鎌倉材木座海岸に運ばれました。

東大寺大仏殿は、治承四(1180)年に平重衡による南都焼き討ちで焼失しました。この再建のためには長さ20m40m、太さ1.5mの巨大な木材が必要で、周防国(山口県東部地方)から木材を運びました。

この頃から木材の規格化が行われるようになります。また、多様な樹種を使用するようになります。

室町時代以降、書院造りが展開して引き戸で分けられた畳を敷き詰めた小部屋が多くつくられるようになります。特に、引き戸は高い精度の施工が要求されます。これを実現したのがダイカンナ(台鉋)です。

 

近世に入り豊臣、徳川の時代になると木曽や信州伊那などから木材が供給されるようになります。同時に木曽では山林の荒廃が進み木曽川下流の治水にも影響を与えます。そこで、飛騨高山が木材供給地となります。

また、古い建造物の修理ではヒノキがマツやツガに置き換えられる例が増えます。同時に、山林の保護も進みます。鷹狩りの鷹を獲るための巣山(すやま)、全ての樹木の伐採が禁じられた留山(とめやま)、御用材の生産や住民の入会(いりあい)・利用が許された明山(あきやま)が指定されました。

さらにすすんで、伐採の範囲を決めて順番に伐採していく輪伐法も採用されました。

 

そのほか、京都の東本願寺・御影堂(ごえいどう)の巨材、姫路城大天守の長さ24m、直径1mの大柱、興福寺中金堂でのカナダあるいはアフリカの木材の使用や薬師寺金堂でのタイワンヒノキの使用などについても述べています。

 

 建築様式にとどまらず、木材の選定、運搬から見える日本の森林環境の変化まで述べられていて非常に中身の濃い内容となっています。

 

 余談ですが、法隆寺の建設については「西岡常一・宮上茂隆著、穂積和夫イラスト、日本人はどのようにして建造物をつくってきたか 1 法隆寺 世界最古の木造建築。草思社、1980が非常に参考になります。この本は新版が出ています。