液状化した札幌市清田区里塚周辺の地形2018/09/30 15:11

札幌市清田区,国道36号の美しが丘1-5の信号の北東一帯が,平成30年北海道胆振東部地震で液状化の発生した場所です(日経 XTECH,2018年9月10日13:30).


この地域は直線の国道36号の北東にあり,大きく弧を描いている市道北野1条通の南の地域です.この市道は,かつての国道36号で元をたどると札幌本道です.


札幌本道は,1872(明治五)年~1873(明治六)年にかけて開拓使が建設したもので,函館と札幌を結ぶ西洋式の馬車用道路です.この札幌本道の絵図が,「新道出来形絵図」として残っていて,北大図書館・北方資料室のデータベースで見ることが出来ます.(輪厚(わっつ)付近の絵図は,請求記号:図類261(2) 30-1(北大北方資料室)).

この絵図では,起点側(右側)に「輪厚」として7~8件の家が描かれ,道は大きく北にうねって元に戻っています.絵図には三つの小川が描かれています.


ところで,札幌本道が何故,平野側(北東側)に迂回したのでしょうか.


1919(大正八)年に発行された2万5千分の1地形図「輪厚」を見るとその答が分かるような気がします.

この付近では,三里川の支流が幾つにも分かれて南から北へ流下しています.直線でこの区間を通過した場合,札幌本道にかかる三里川の本・支流は少なくとも5本ほどあります.これらの河岸は比高20m~40m ほどあり,当時の技術ではこれらの川を横断することが難しかったでしょう.それで,これらの支流が合流する地点まで路線を移したのだろうと想像できます.


旧地形図「輪厚」

図1 三里川付近の河川系

札幌本道は輪厚川を渡った後,北に迂回し三里川を横断して台地に登り,再び直線道路となります.(この地図は,国土地理院発行の「大正八年 大日本帝國陸地測量部発行の2万5千分の1地形図『輪厚』」の謄本に加筆したものです.)


現在の国道は,わずかに山側(南西側)に線形を変えて,この付近を通過しています.

この付近一帯は,広く支笏火砕流が堆積しています.支笏火砕流堆積物は,河岸では急崖を形成することが多いです.

札幌本道は,厚別川の河床低地の前後でもカーブを描いています.支笏火砕流堆積物の崖を上り下りするのために道をカーブさせたのでしょう.


ウィリアム・スミス・クラークは帰国の際に,この道を通り島松川の河畔にあった島松駅逓所で教え子たちと分かれています.ここも,道は島松川の前後で緩くカーブを描いています.


なお,現在,「輪厚」の地名は JR 北広島駅南西の輪厚川と仁井別川に挟まれた国道36号線周辺の地域です.



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