2025年 北海道大学地震火山観測研究センターシンポジウム ― 2025/03/18 12:34
2025年3月15日(土)、午後1時から4時まで表記シンポジウムが行われました。テーマは「日本海沿岸の地震と津波 ~ 能登半島地震から学ぶ ~」でした。会場は北大学術交流会館でした。私はYouTubeで視聴しました。
プログラムは下のようで30分ずつの4件の講演がありました。
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プログラム
開会挨拶
能登半島地震から学ぶ日本海沿岸で発生する大地震の特徴(谷岡勇市郎)
海底地震観測から明らかになった能登半島地震の余震活動(村井芳夫)
能登半島地震による津波(山中悠資)
古文書と地質記録から探る北海道日本海沿岸の地震津波像(西村裕一)
質疑応答・閉会の挨拶
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<谷岡勇市郞氏>
日本海側の東北から北海道にかけて過去に大きな地震が起きています。
1833年 庄内地震
1940年 積丹半島沖地震
1964年 新潟地震
1972年 サハリン沖地震
1983年 日本海中部地震
1993年 北海道南西沖地震
2024年 能登半島地震
などです。
日本海側ではユーラシアプレート(アムールプレート)と北米プレートが年1cmの速度で短縮していますから、400年経てば4mのすべりを起こすひずみが溜まります。
海洋研究開発機構では秋田・山形沖に海底地震計を設置してエアガンとストリーマ観測装置で地震観測を行いました。その結果、日本海側のプレートが日本列島の下に沈み込んでいるということはなくて、海底活断層が多数分布していること、海のプレートと陸のプレートに間に遷移層があり、ここでひずみが解消されていることがわかりました。日本海側の大地震は海底活断層によって起きているのです。
2024年能登半島地震による海岸の隆起はALOS2(エイロス2)の観測で能登半島の北海岸が2〜4m隆起していることが分かりました。
宍倉ほかの現地調査では隆起テラスは、標高4mと7mの高さにあり、少なくとも2段、場所によっては3段の隆起テラスが確認されています。2段であれば900年〜1,400年間隔、3段であれば500年〜800年の間隔で地震が発生していることになります。地震の繰り返し間隔は500年〜数千年で、平均すると500年で5m隆起していることになります。
北海道の日本海側には20個の海底活断層があります。1993年の北海道南西沖地震では奥尻島は80cm沈降しました。このように沈降が起こると津波はより危険になります。今回の能登半島地震では海岸が隆起したため、半島の北海岸では津波の被害はほとんどありませんでした。
<村井芳夫氏>
能登半島付近では2007年、2023年、2024年に大きな地震が起きています。
2024年の地震は延長150kmの断層が動いたM7.6の地震でした。余震分布を明らかにすると大きな地震の破壊領域を推定できます。海底で起きた地震の余震分布を明らかにするためには海底での地震波の観測が必要です。陸の観測点だけでは地震波の屈折によって精度が落ちます。
今回の能登半島地震の余震観測を行いました。期間は2024年1月24日から2月24日までです。海洋研究開発機構(JAMSTEC)の白鳳丸で深度6,000mまで耐える地震計を設置しました。その結果、気象庁が推定していた震源よりも全体に浅くなりました。震源の深さは約15kmまでで10km付近が多かったです。
海底活断層との対応を見ると、余震域の西側では南東傾斜で海底活断層と一致しています。東側では北西傾斜で、これも海底活断層の位置と一致しています。真ん中付近では両方の断層が見られました。今回の地震では富山湾内の活断層は動いていません。
<山中悠資氏>
2025年1月1日午後4時10分頃、能登半島地震が発生しました。午後4時12分には津波注意報が出され、その後、大津波警報に変更され、津波警報、津波注意報を経て1月2日には解除されました。観測情報としては最大1mの津波で、内陸で氾濫、浸水しました。
津波被害調査は、土木学会海岸工学委員会が1月4日に先遣隊を派遣し、1月5日〜7日に調査を行いました。北西海岸は海岸が隆起したため津波高は高くありませんでした。
今回の地震では、住民による津波の映像があり、これを解析することで津波の様子を再現できました。
津波は能登半島先端付近の富山湾側の飯田湾や上越市直江津、富山湾などで観測されました。この中で、飯田湾は被害が大きかったですが、津波観測点はありません。しかし、映像が多く残っていて津波襲来の様子が分かります。津波は飯田港から襲来し、第1波は比較的小さかったのですが第2波以降が大きな波であることが分かりました。
上越市直江津では観測データがあり、保倉川河口に固定カメラが設置されていました。解析結果を見ると、通常の防波堤でも津波を防ぐ効果があることが分かります。
富山湾では2〜3分で津波が到達しています。これは湾内の海底斜面が崩壊したためと考えられます(参照:Yanagisawa et al,2024)。
<西村裕一氏>
古文書と地質記録で津波の歴史などを明らかにしてきました。
1993年の北海道南西沖地震ではロシア・沿海州で3人の死者が出ています。奥尻島での津波遡上高は最大31,7mでした。これは津波が沢を遡ったためです。
1983年の日本海中部地震では最大波高14mで4人が亡くなっています。
1947年の留萌すぐ沖地震(留萌西方沖地震)はM6.7でした。
1940年の積丹半島沖地震(神威岬沖地震)はM7.5で死者10人が出ました。最大津波は利尻町で3mを記録しています。この地震ではロシアに6mの津波が襲来しました。
1834年にM≒6.4の石狩地震がありました。噴砂があり、アイヌの家が潰れたり会所が損壊したりしました。松前藩が5月18日に幕府に報告しています。この地震の震源は海上か陸上か不明です。
1792年にM≒7.1の後志地震がありました。忍路で岩壁が崩れ、船が流失し、漁に出ていたアイヌ5人が死亡しています。津波被害は忍路から古平まで及びました。「地震があったら沖に出よ」という52年前の教訓が伝わっていたと言います。
その52年前の津波が1741年に起きた渡島大島の山体崩壊による津波です。和人だけで1,500人が死亡しました。
古文書でも記録が残っていない古い時代の津波については、津波堆積物という津波の痕跡を調査します。津波堆積物は波高5m以上の津波で形成されるとされています。地震動による液状化でできる噴砂の跡(砂脈)や地割れなども地震発生の根拠となります。
北海道では、現在のエネルギー環境地質研究所(当時、道立総合研究機構地質研究所)が奥尻島のワサビヤチ川で津波堆積物のトレンチ調査を行い、12世紀、1,500〜1,600年前、2,500年前、3,000年前の4層の津波堆積物を見つけています(加瀬ほか、2016)。
ロシア・沿海州で4年間、津波堆積物調査を行いました。ヴァレンティン湾では1993年、1983年の津波堆積物のほかに、700年前〜800年前、2,000年前の津波堆積物がありました。
北海道日本海側の津波堆積物は、後志以北では見つかっていません。 奥尻島や渡島半島では瀬棚沖から松前沖に分布する海底断層F17(国交省ほか、2014)が12世紀に動いた可能性があります。
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