日米核同盟と安保法制-北朝鮮情勢の影 ― 2018/01/24 15:29
2018年1月20日,午後3時から午後5時半まで表記の講演会が開かれました.安保法制違憲訴訟北海道の会 創立1周年記念講演会です.
安保法制違憲訴訟は,釧路から那覇まで全国22都市で25件の裁判が起こされています.北海道では釧路地方裁判所と札幌地方裁判所で裁判が進行中です.
安保法制違憲訴訟北海道
( http://anpoiken-hok.com )
安保法制違憲道東訴訟の会
( https://www.facebook.com/anpoikendotobengo/ )

写真1 講演する太田昌克氏
太田氏の原点
共同通信編集委員で論説委員の太田昌克氏が「日米核同盟と安保法制、北朝鮮情勢の影」と題して講演しました.取材で日本・世界各地を飛び回っている人の話は,臨場感があり非常に面白かったです.
太田氏は早稲田大学政治経済学部を卒業し,政策研究大学院大学で博士号を取り,1992年に共同通信社に入社しました.広島支局にいた時に被曝者の方の取材をし,核問題に関心を持ち調べはじめました.
胎内被曝によって小頭症で生まれた人が,1994年当時48才になっていて,父親と暮らしているのを取材しました.父親が食事を口に運んでやるという生活をしていました.父親の「わしが死んだらこの子はどげんなるんじゃ」と言う言葉が忘れられません.
今現在も被害は続いているのです.
ICANのノーベル平和賞受賞
ICANがノーベル平和賞を受賞したので現地に行き,サーロー節子さんと川崎 哲(あきら)さんの対談を記事にしました(京都新聞,2018年1月1日).サーローさんは.核の被害者として核兵器廃絶に全力を尽くしてきました.川崎さんはNGO「ピースボート」の共同代表として核廃絶に取り組んできました.
川崎さん達が安倍首相に面会を求めたところ,首相官邸に来てもらっては困るので内閣府の陳情担当のところに行ってくれと言われました.
ICANのベアトリス・フィン事務局長も安倍首相に面会を申し入れましたが,日程の都合がつかないと言うことで面会できませんでした.それで,国会に乗り込んで各党代表と意見交換をしました.フィン事務局長は,国会に調査委員会をつくって核兵器禁止条約に参加できないか検討して欲しいと提案しました.
フィン事務局長の考えは,日本は核の傘のもとにいるから核兵器禁止条約に参加できないということは,核兵器の使用を認めると言うことになる,というものです.
核兵器禁止条約の流れ
核廃絶運動はノルウェー,メキシコ,オーストリアなどが主導して進められてきました.
1968年に核兵器の不拡散に関する条約(核拡散防止条約:NPT)が国連で採択されました.この条約は,核保有五大国以外の核の保有を禁止するという不平等条約でした.
今回の核兵器禁止条約に対する日本政府の態度は次のようなものでした.
1)核保有国が条約交渉に参加していないので核廃絶には結びつかない.
2)核の傘は,特に今の国際情勢では必要である.
3)漸進的かつ段階的に,しかも安全保障環境が整っている時に核軍縮は進めるべきである.
外務省にはアメリカグループと軍縮グループがあり,前者は核兵器禁止条約などトンデモナイ話だという態度です.当時の岸田外相は,交渉に参加しても良いと表明していましたが,最終的にアメリカグループが主導して開会式のみ参加して交渉には参加しないと決めました.谷地正太郎(やち・しょうたろう)国家安全保障局長と杉山晋輔外務事務次官の力が大きかったようです.
オバマ前大統領の広島訪問
バラク・オバマ前大統領は,2009年4月にプラハで演説し「米国は、核兵器のない世界の平和と安全を追求する」と表明しました.
オバマ前大統領の任期が迫っていた2016年7月上旬に,ホワイトハウスで大統領の広島訪問を推進した人に取材しました.その人は,オフレコを条件に大統領は核の先制不使用を決めるかもしれないと語りました.しかし,この内容をワシントンポストが7月10日に報じました.
これに対する日本政府の反応は,「核なき世界なんてあり得ない」というものでした.当時のアメリカ政府内でも,国防長官のR.M.ゲーツ長官とエネルギー庁長官は反対,国務省のジョン・F.ケリー長官は,同盟国,特に日本を説得するのが大変だと述べました.
2017年2月の安倍首相とトランプ大統領の日米共同声明には,
「核及び通常戦力の双方によるあらゆる種類の米国の軍事力を使った日本の防衛に対する米国のコミットメントは揺るぎない。」
「両首脳は,日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されることを確認した。」
という文言が日本の働きかけで入れられました.
北朝鮮情勢
北朝鮮に関してはアメリカの政策のブレがあり,その影響があります.
クリントン時代の国防長官であったウィリアム・J.ペリー氏は,1994年に北朝鮮の寧辺(ニョンビョン)核施設の攻撃を計画しました.しかし,1994年10月に合意が成立し「米朝枠組み合意」が結ばれました.
しかし,1998年8月に北朝鮮はテポドン1号の発射実験を行いました.すでに国防長官を辞めていたペリー氏が,クリントン大統領の要請で北朝鮮との交渉に当たるため1999年5月に北朝鮮を訪れ,金正日総書記の第一の側近と4日間の交渉しました.その後,2000年10月に金総書記が,特使をアメリカに派遣しました.クリントン大統領が北朝鮮を訪問すれば,休戦状態の朝鮮戦争を終わらせることができたかもしれないとされています.
その後,2000年の大統領選挙でジョージ・W・ブッシュ氏が大統領となったため,この成果は生かされませんでした.
今後の北朝鮮の軍事技術開発は,大陸間弾道ミサイルが大気圏に再突入した後の精密誘導技術を確立することだと考えられます.そのためには人工衛星による地表観測が必要になります.
昨年12月に報じられた北朝鮮の人工衛星打ち上げのニュースは,このような背景があります.
北朝鮮への先制攻撃
2017年8月22日に,グアム島から飛来した核搭載可能な戦略爆撃機B52が日本列島を横断して日本海へ抜け,航空自衛隊のF35戦闘機と共同訓練を行いました.
安保法制が成立して以降,日米が共同しての軍事対応が目立っています.
2017年11月にトランプ大統領が訪日した際に,安倍首相は「2日間にわたる話合いを通じ、改めて、日米が100%共にあることを力強く確認した」と述べました.
ドナルド・トランプ大統領は,北朝鮮への先制攻撃を否定していません.つまり,アメリカが始める戦争に,日本が参加する条件がつくられています.しかも,核の使用が排除されていません.先に述べた2017年8月の自衛隊と米軍の共同訓練は,北朝鮮に対する核攻撃の可能性が排除されていないことを示しています.

写真2 挨拶する司会の高崎 暢(たかさき・とおる)氏

写真3 挨拶する川原茂雄氏(安保法制違憲訴訟北海道の会 代表世話人)
全国の安保法制違憲訴訟
日本全国で安保法制違憲訴訟が行われています.札幌は2月9日(金)15時から第4回口頭弁論があります.札幌地方裁判所(大通西11丁目 南向き)に14時30前に行けば傍聴できます.

太田昌克,偽装の被爆国 核を捨てられない日本
岩波書店,2017年9月
実際に話を聞いた日本政府高官の本音が紹介されています.また,アメリカ政府高官の取材内容も示されていて面白い本です.
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