本の紹介:日本憲法史2016/07/01 21:04


日本憲法史
小路田泰直(こじた・やすなお),日本憲法史 八百年の伝統と日本国憲法.かもがわ出版,2016年4月.

 イギリスの「立憲主義」の歴史は1215年のマグナカルタ制定以来であるのに対し,日本での「立憲主義」形式の歴史を,鎌倉時代に北条泰時によって制定された関東御成敗式目(1232年)にまで遡って追ってみようというのが,本書の目的です.

 関東御成敗式目は,「道理」と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに制定されたものでした.この本では,「道理」=死者の輿論としています.つまり,『法とは,昔制定され,廃止しようと思えばいつでも廃止できたにもかかわらず,代々の輿論がそれを支持してきたために,長年生き残り,すでに慣習の域に達した「古い法律」のことであった.』(46ページ)と著者は言います.ここで「輿論」は,世論のことです.

 この伝統は,建武式目(1336年),武家諸法度(元和令:1615年)に受け継がれます.武家諸法度の論理の構築に貢献したのは,荻生徂徠,古事記をもとにした本居宣長,平田篤胤でした.
 明治維新の王政復古に大きな影響を与えたのは,死者と対話をとりしきる唯一者として天皇をおいた水戸学でした.水戸学では,天皇がそのような位置にあるのは,長いこと実際の政治に関わっていなかったからだと考えました.

 このような流れの中で制定された明治憲法は,一つは天皇が死者の輿論を聞き取る形で発布する,二つには天皇の不執政化がはかられたという特徴を持ちます.大日本帝国憲法の第十条から第十六条にある『天皇大権』は天皇の『統治権』の及ぶ範囲を限定するためのものでした.

 一方で,大日本帝国憲法は「第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」としています.立憲主義にもとづいて実際に政治を行う上では,法と「民主主義」のもとに官僚制を統御する必要があります.大日本帝国憲法では内閣総理大臣の規定がありません.憲法発布に先立つ1885(明治18)年に内閣制が制定され,国務大臣の首班として内閣総理大臣が置かれました.
 政党政治を行うことで,政権に就いた政党の党首が内閣総理大臣になるという方法が生み出されました.しかし,政党政治はうまく機能しませんでした.

 政党政治を安定させることによって立憲政治を安定させるために考え出されたのが美濃部憲法学です.
 「美濃部憲法学の特徴は,国家を,法の力によって人格を与えられた法人同様の団体と見做す域を超えて,それ自体が固有の意志をもつ,自然人同様の存在と見做したことにあった.」(110ページ)
 議会も天皇も,しょせんは国家という有機体の「機関」(器官)であり,独立の主体とは見なさなかったのです.そして,国家がもつ固有の意志というのは,「自分の意志に反して他の如何なる意志に依っても支配せられない」意志のことで,これが主権国家の「主権」の本質であるとしました.
 主権国家同士は,自分の意志で他の国家の意志による制限を受け入れるという主権の自己制限によって並存が可能になります.
 同時にこの頃,国家存立の基礎を民族の実在に置くという20世紀の普遍的な考え方が支配的となりました.

 1946年2月に,日本国憲法マッカーサー草案に接した時の閣議では,最初は戸惑いがあったが『「米国案は主義として日本案と大差無し」といった妥協的態度に収斂していった』(145ページ)と言います.

 大日本帝国憲法と日本国憲法には連続性があります.

(1)日本国憲法の制定は大日本帝国憲法の第七十三条にもとづいて行われています.
「第7章 補則
 第73条将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
 2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

(2)日本国憲法は「第一章 天皇』で,大日本帝国憲法を踏襲しています.

(3)日本国憲法の第七条の「国事に関する行為」規定は,大日本帝国憲法の「天皇大権」諸規定を継承しています.特に,現憲法の第五項は,下に示す大日本帝国憲法の第十条を継承しています.
「第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル」

 そして,何よりも日本国憲法の第一条です.明治憲法でも天皇不執政論から第一条と第三条が設けられています.
 日本国憲法
「第一章 天皇
 第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
 大日本帝国憲法
「第1章 天皇
 第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」

 「むすびに」で著者は次のように述べています.
『改めてもう一度いうが,憲法とは死者の輿論の謂である.従って現代人がそう勝手気ままに制定したり,変えたりしていいものではない.一旦制定すれば,むしろ「不磨の大典」として変えないのが本来である.』(167ページ)
 そして,自民党の『日本国憲法改正草案』には,死者の輿論を聞こうとする姿勢は全く見られないとしています.この草案が憲法となった時,日本には憲法がなくなるのではないだろうかと述べています.

 私にとっては非常に難解な本でした.が,いろいろと勉強になる内容でした.
 紹介は省きましたが,この本の中で述べられている石原莞爾の「世界最終戦争構想」は興味深い内容でした.


本の紹介:南海トラフ地震2016/07/19 21:10



南海トラフ地震
山岡耕春(やまおか・こうしゅん),南海トラフ地震.2016年1月,岩波新書.

 フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでいる南海トラフでは,100年から200年間隔で巨大地震が発生している.最新の地震は,1946年12月21日に発生した昭和南海地震である.近い将来,必ず次の南海トラフ地震が発生する.その場合,強い揺れや巨大な津波によって日本が回復不能な影響を受けるおそれがあるというのが,著者がこの本を執筆した動機である.

 目次は次のようになっている.

 はじめに
 序章 巨大地震の胎動
 第1章 くり返す南海トラフ地震
 第2章 最大クラスの地震とは
 第3章 津波,連動噴火,誘発地震
 第4章 被害予測と震災対策
 終章 それでも日本列島に生きる
 おわりに

 第4章で「予測の費用対効果」が述べられている.
 地震が起きると公表して,そのための応急対策にかかる費用と予測が的中した場合の利益を比較する.東海地震の場合,応急対策費用は1日あたり1,700億円とされていて,予測が出され警戒宣言が1週間続くと1兆2千億円かかる.一方,予測が的中した場合の利益というのは,道路交通の制限,鉄道の運行停止,店舗や工場,事務所の営業停止などによって被害が減少した額である.2003年,内閣府の試算によると利益は約6兆円とされている.
 予測を行った回数に対して地震が実際に発生した回数(=的中率)が20%以上であると利益に対して応急対策コストが下回ると言う.つまり,予測する価値があるということである.

 一番の問題は,「直前予知は可能か」ということを考える場合,「地震が起きる」ということが公表された時に,どのような対策をとるのかが決まらなければ,予測の評価ができないということである.

 少し分かりにくい議論であるが,実用的には納得できる.

 2011年の東北地方太平洋沖地震以来,内閣府で巨大地震・津波に対する検討が進められてきて,その成果が発表されている.
( http://www.jishin.go.jp )
 「平田 直,首都直下地震」(2016年2月,岩波新書)もそうであるが,その内容をわかりやすく解説した本である.


第1回岩見沢トレイルラン2016/07/25 13:36

 第1回の岩見沢トレイルランが,2016年7月24日(日)に行われました.
 岩見沢市街の南東にある岩見沢グリーンランド背後の標高100mほどの山を走るコースで,スタートとゴール付近を除いて,ほとんどが林の中を走る土のコースです.


トレイルランの丘
写真1 この山の林の中を走る
 スタート地点の標高は35mほどで,この写真の一番高いところには見晴台があり標高120mちょっとです.コースは,最後にこの見晴台まで上がり,降りてきてゴールになります.この丘の地質は,中新世の泥岩が主なものです.


スタート地点
写真2 スタート地点
 音楽堂の,まさにステージの前がスタート地点です.8時半過ぎ頃の写真で,まだ人は,まばらです.10kmのスタートが10時,15Kmは10時20分でした.


15km集合写真
写真3 15kmコース参加者
 申し込み時点では,参加者は146人で,そのうち女子が24人でした.10kmコースの参加者は119人で,両コース合わせて265人が林の中を駆け抜けました.


 スタートは遊園地の北海道グリーンランドの隣りにある野外音楽堂の舞台の前です.ここからアスファルト道路を東に走り,林道に入って一気に50mほどを登ります.ここからはほとんど林の中のコースで,この季節でも暑さはそれほど感じません.この日は,風が涼しく気持ちの良い日でした.

 唯一見晴らしが開けるのは,幌向川に面した萩の山スキー場のてっぺんを通る時で,夕張岳から芦別岳までが見えます.

 15kmコースは,途中の林道を高速道路近くの利根別自然公園あたりまで行って,戻ってきて10kmコースに戻ります.

 最後は,いわみざわ公園のキャンプ場に出てきて,グリーンランドの東を通り,見晴台に登りゴールに向って降りて行きます.

 この大会の良いところは,何と言ってもコースが非常に優しいことです.一度登ると多少アップダウンのある林の中の道を走ります.日差しが多少強くてもそれほど汗をかきません.
 次に,コースは,ほとんどが土で足に優しいです.変に足を取られることもなく安心して走れます.
 さらに,制限時間が10kmコースでは2時間30分,15kmコースが4時間です.つまり,10kmコースなら1kmを15分,15kmコースでは同じく16分で走れば(歩けば)制限時間内でゴールできます.林の中を早足で散歩すると思えば,気を張らずに誰でも参加できます.
 キロ程表示は手作りながら,キチンと設けられています.ただ,走っていて5kmのキロ程が狂っているように思いました.
 そして,第1回で参加者が少ないこともあるでしょうが,駐車場に余裕があって助かりました.例えば,千歳マラソンでは駐車場を探すのに一苦労します.

 私は,この日15kmに出ました.スタートしてすぐに,みんなに置いて行かれてしまいました.何人かと一番最後を走っていましたが,10km手前からスイーパーの人に助けられながらの歩きになってしまいました.それでも,歩きながらスイーパーの人の体験談などを聞くことができ楽しい1日でした.

 15kmを2時間15分(1km9分ペース)を目標にしていましたが,後半,歩いたため2時間40分かかってしまいました.
 帰りは新篠津の塩辛い温泉につかって足の疲れをとりました.

 トレイルランが,どんなものかを体験したい人にお勧めの大会です.スキー場のゲレンデを上り下りする苦しいトレイルランニングとひと味もふた味も違い,トレイルランニングの楽しさを味わうことができます.



厚沢部アスリートクラブ2016/07/25 16:01


 2016年度の全道小学生陸上競技大会で,厚沢部アスリートクラブの6年女子が,400mリレーで優勝し全国大会へ出場することになりました.
 
 厚沢部町は,人口4,100人ちょっとで高齢者が多く年々人口が減少している町です.そんな町で活動する厚沢部アスリートクラブが全国大会に出るというのは,本当に快挙と言って良いでしょう.


2016全道小学生大会6年女子400mリレー
写真 1位ゴールする厚沢部アスリートクラブ

 小学生のような幼い時の運動能力は,天性のものが大きいと思います.ですから,今回の全国大会出場も個々人の能力の高さが大きな要素であったでしょう.しかし,指導者の質の高さも大きな要因であると思います.

 サッカーの長友選手は,次のように述べています.
 「1に楽しむ、2に勝ちにこだわる、3に体幹+バランス。どんなスポーツをするにしても小学生時代にはこの3つが重要だと思います。」(長友佑都 著,長友佑都 体幹トレーニング20.77ページ.2014年,KKベストセラーズ)

 楽しく身体を動かして,試合に勝つことのうれしさをを味わうことが,子供たちがスポーツを続けていく原動力になると思います.
 この点で,厚沢部アスリートクラブの指導は合理的で,練習の合間には子供たちがうれしそうに,さらに身体を動かしているのが印象的です.

 このようなクラブが少しでも増えれば,日本のスポーツも発展していくと思います.
 オリンピックのメダルを目指すのも良いですが,スポーツを通じて得られる様々なものは,その人にとって一生の宝になると思います.