2019年度 道総研 調査研究成果発表会2019/05/14 16:40

2019年5月13日(月)午後1時10分から5時10分まで,札幌市の「かでる2・7」で表記発表会のうち,地質研究所の発表会が開かれました.

平成30年北海道胆振東部地震についての口頭発表が4件ありました.その中で,北大の地震火山観測センターの高橋浩晃教授の講演が非常におもしろかったです.


高橋浩晃氏(北大地震火山観測センター 教授)

平成30年北海道胆振東部地震と残された課題


今回の地震に遭遇し将来の地震への備えが必要なことが明らかになりました.北海道では,千島海溝での超巨大地震,歪み集中帯である石狩低地での地震,日本海東縁での地震などがあります.

今後は,災害が起きてから復興する発災後復興ではなく,「事前復興」の考え方が必要です.リスクは,地震などが発生した場合の影響度とその発生可能性のかけ算です.地震や津波は発生可能性は小さいですが,影響度は非常に大きくなります.

今回の地震では,斜面災害の多発,全道ブラックアウト,地盤の液状化が発生しました.対策を立てるためには,人的被害を最小限にすることを目標に,リスクの事前評価が欠かせません.

斜面崩壊では,地震後すぐに被害が発生します.同時に,重要なインフラストラクチャが集中している場所では,重大な被害が発生します.例えば,占冠村のニニウ付近には道東自動車道,JR 石勝線,2本の送電線があり,6km ほど南には国道274号が通っています.これらが被災した場合,全道的に大きな影響が出ます.

また,ブラックアウトが発生すると住民へ情報が伝わらなくなります.

液状化が発生した札幌市清田地区は1968年十勝沖地震,2003年十勝沖地震,そして今回と液状化が発生しています.国土地理院の合成開口レーダーで沈下した地域となっています.都市計画の中で,このような地域を考慮する必要があります.

今回の地震では,石狩低地東縁断層帯は動いていないと判断できます.この断層帯の予想マグニチュードは7.7ですから,今回の地震でエネルギーは全て放出されていません.

リスク評価,リスク管理,そして事前復興計画の立案が必要です.


石丸 聡氏(道総研・地質研究所 研究主幹)

厚真町周辺における斜面崩壊と発生場


今回の地震で発生した斜面崩壊は,岩盤すべりと土層すべりに分けられます.

岩盤すべりは日高幌内川,ショロマ,ルベシベなどで発生しています.

幌内岩盤すべりは,地層の層理面に沿って滑った「層すべり」で,高さ50mの尾根が360m移動しています.

ショロマ地すべりは,古い地すべり地形が認められない初生地すべりで,ボーリングで角礫を含むすべり面が確認されています.

土層すべりは,約9千年前に堆積した Ta-d 火山灰が崩壊した地域では斜面全体が崩壊しているのに対し,約2万年前の En-a 火山灰が崩壊した地域では主に谷頭が崩壊しています.これは,より古い En-a 火山灰が谷頭付近のみに分布しているの対し,Ta-d 火山灰は斜面全体に分布しているためです.いずれの火山灰層も,その下底付近に水分を多く含む火山灰層が分布していて,これがすべり面となった可能性が高いと考えられます.


<感 想>

今回の地震は,石狩低地東縁断層帯の活動ではないこと,千島海溝の超巨大地震が切迫していること,札幌市の地下にも活断層があることなど,地震に対する備えが重要であることを強く感じました.


今年4月26日には地すべり学会北海道支部の特別講演と研究発表会が行われ,柳井誠司氏の特別講演と15件の研究発表が行われました.

これらによって,今回の地震による斜面崩壊の実態がかなり明らかになってきました.その成果を,どう今後の防災に生かすかが課題でしょう.




講演会:遺跡からわかるヒトと自然環境の関係2019/05/20 18:15

2019年5月18日(土)午後3時20分から午後5時過ぎまで,札幌市資料館で北海道自然保護協会の公開自然保護講演会が開かれました.


高倉氏と在田氏

講演者の高倉 純氏(左)と北海道自然保護協会の在田一則会長


高倉 純氏(北大埋蔵文化財調査センター):

遺跡からわかるヒトと自然環境の関係


札幌の遺跡の話から始まって最後は現生人類がどのようにシベリアなどの極地にまで拡散していったのかという話でした.非常に濃い内容の話でした.


 札幌市内には約500箇所の埋蔵文化財(遺跡)包蔵地があります.札幌市では埋蔵文化財包蔵地を地図にしています.北大構内も包蔵地で,その西の競馬場付近から北北東に包蔵地が並んでいます.

*注1)この遺跡の分布は,新川で切られる前の琴似川の流路にほぼ相当します.

*注2)札幌市の埋蔵文化財包蔵地は以下のウェブサイトで見ることができます.

( http://www.city.sapporo.jp/ncms/kankobunka/maibun/toriatukai/map2/houzoutimap-2.html )


遺跡は開発との矛盾を抱えていますが,森町の鷲ノ木遺跡のように道央自動車道が遺跡にぶつかったため,その下をトンネルで通るように縦断線形を変更した事例もあり,共存の試みもなされています.


2018年9月6日に北海道胆振東部地震では苫小牧で噴砂が生じました.地震による噴砂は遺跡発掘で出てきます.北大西門地点の遺跡では,約1,000年前の噴砂跡が出てきました.出土した土器から,この噴砂は擦文期(始まりは西暦700年頃)以降で樽前 a テフラ(1739年)の降下前と特定できました.また,竪穴住居跡が川側に変形している事例も確認されています.


北海道の文化区分は本州と異なっています.北海道では3万年前の旧石器文化が見つかっています.1.5万年前から2.5千年前までは縄文文化期で,この文化区分は本州と共通です.その後の文化は,本州では弥生文化ですが,北海道では2.5千年前〜1.3千年前までは続縄文文化になり,1,300年前頃から擦文文化の時代です. 北海道では稲作文化が取り入れられませんでした.800年前くらいからアイヌ文化となります.


札幌市内の遺跡は縄文時代は台地上に多く,続縄文文化期になると扇状地へと進出してきます.そして,擦文文化期には低地で鮭を採る施設が発掘されます.北大恵迪寮の新築時やエルムトンネルの建設時に出たものがあります.低地での鮭漁は本州との交流のためと考えられます.


パレオアジア文化史学という分野があります.ホモ・サピエンスがどのようにアジアへ拡散し,定着していったのかを明らかにすることが目的です.

現生人類の元は700万年前に遡ります.そして,50万年前のホモ・ハイデルベルゲンシスからネアンデルタール人とホモ・サピエンス(現生人類)が派生します.芸術や装飾品を生み出したホモ・サピエンスは全世界に拡散していきます.


モンゴルでの発掘では4万年前の遺跡から狩猟採集生活を示す様々な遺物が発見されています.6万年前頃にはシベリアにも現生人類が棲んでいました.一方,アルタイ山地にネアンデルタール人が棲んでいた証拠があり,5~6万年前にはアルタイ地方のデニソワ洞窟からデニソワ人の骨が発見されました.

このような極寒の地に拡散して行くなかで,毛皮をパーツに分けそれを縫い合わせる衣服が発明されました.3万年前には北緯70゚付近で生活していたことが明らかになっています.


人類進化

図 人類進化の一つの見方(猿人~新人)

(「人類歴史年表」から:http://www.eonet.ne.jp/~libell/jinrui.html)元図は,馬場悠男 編,2005,人間性の進化 700万年の軌跡をたどる」.別冊日経サイエンス,p5




本の紹介:マスムーブメントのデジタル空間解析2019/05/21 18:27

マスムーブメント

山岸宏光・志村一夫 編著,マスムーブメントのデジタル空間解析.2019年5月,北海道大学出版会.


GIS とは何か,から始まり,マスムーブメントの定義・分類・ハザードマップ,地すべりの分布と運動の解析手法と続きます.内容は,カラーの図を多用しており,具体的で分かりやすくなっています.


目次の概要は次にようになっています.


序文

第1部 マスムーブメントとデジタル空間解析技術

第2部 地すべりの分布と運動の解析手法

第3部 崩壊とその解析手法

第4部 火山や火山噴火にともなうマスムーブメント解析

第5部 渓流におけるマスムーブメントのデジタル空間解析

第6部 地域防災マップの作成

あとがき


執筆しているのは,編著者を含めて21人の人たちです.解析技術の具体例として,北海道内18箇所,新潟県3箇所が述べられています.

GIS を使って何ができるのかを知ることができる内容となっています.


国土地理院の「地理院地図」,産総研地質調査総合センターの「地質図Navi」,防災科学技術研究所の「地すべり地形分布図データベース」など,利用しやすいデータが揃ってきています.効率的にかつ詳細に土砂災害に対応できる環境が整ってきたことが実感できる時代になってきました.

特に若い人には,この技術を使って全体を俯瞰しながら,それぞれの現場の特性にあった対応を考えて欲しいと思います.



第9回 カムイの杜トレイルラン2019/05/28 14:54

2019年5月26日(日)に,カムイの杜トレイルランが開かれました.今年も10km に出ました.どうにか完走しましたが,自分でも走っているのか歩いているのかわからないほどのスピードでした.

この日,オホーツク地方の佐呂間で39.5度を記録したそうです.でも,前の晩の旭川は,かなり冷え込んだので午前中の森の中は結構涼しかったです.


カムイの杜のキャンプ場は,受付けさえすれば無料でテントを張ることができます.夜は結構寒くなりフリースを着て寝ました.



スタート

写真1 43km 以外の一斉スタート

43kmは朝8時スタートで,23km や10kmは9時スタートでした.


10km行き

写真2 森の中へ

作業用の林道で,下は砕石が敷いてある所が多いです.雨裂も深いものがあり足下には注意が必要です.


10km帰り

写真3 10km 復路の長い上り坂

道ばたにはニリンソウやスミレなどが咲いていました.



帰りは美瑛,富良野回りでゆっくりと帰ってきました.まだ,花の季節にはちょっと早いようです.



大雪山

写真4 美瑛町から大雪連峰を望む

中央の尖った山が旭岳です.まだ,かなり雪が残っています.


十勝岳

写真5 上富良野から見た十勝岳

上富良野町の草分神社付近から見たものです.1926年(大正十五)年の泥流は,ここまで到達しました.144人が犠牲になりました.神社の入口横に三浦綾子の「泥流地帯」の碑があります.


ハイランドふらのから

写真6 「ハイランドふらの」から見た十勝岳

富良野の郊外にある「ハイランドふらの」の温泉で疲れを取りました.浴場から十勝岳,上富良野岳がよく見えます.


菜の花畑

写真7 当別の菜の花畑

岩見沢から当別に抜けました.緑肥として菜の花を植えているのでしょう.滝川辺りでは菜種油を採っているようです.