青井未帆氏講演会2017/04/22 15:37

 2017年4月15日(土)に北大学術交流会館で,青井未帆学習院大学大学院教授の講演会が開かれました。主催は,「北海道の大学・高専関係者有志アピールの会」ほか3団体です。
(https://www.facebook.com/peace.hokkaido/)を見て下さい。
 講演のタイトルは 「−政治が憲法を強引に乗り越えようとしている、今−私たちに何が問われているのか」 です。

 現在の日本の状況は,「制約されたくない国家」によって国の形が変わりつつあります。2014年9月19日に成立した「安保法制」の成立過程では,法の安定性が失われ,これまでの常識が通じない状況になっています。国家の存在意義を改めて問わなければならない状況です。

 日本は自由な社会だと思っている人は多くいます。しかし,それは「分をわきまえていれば」という制限付きです。これは,江戸時代以来の「皇国史観」の必然的な帰結として形づくられてきたものです(尾藤正英)。

 日本国憲法の原点はどこにあるのか。明治憲法では,天皇を権威として政治を行う仕組みであったので,近代合理主義に基づいて人為的に国家を制御することは難しかったのです。軍事力を制御できない,戦争遂行のために人の心に国家が入り込んだ,などによって 「焼夷弾を箒で叩き消せ」 というような非科学的な命令を国家がしました。しかし,戦争へと強制的に国民を動員することには成功しました。ある種の「成功体験」が残りました。

 戦前,個人を否定する様々な文書が発表されました。1882(明治十五)年の「軍人勅諭」(明治天皇),1890(明治二十三)年の「教育勅語」(明治天皇),1910(明治四十三)年の「家族国家」(文部省),1937(昭和十二)年の「国体の本義」(文部省思想局),1941(昭和十六)年の「臣民の道」(文部省教学局)などです。これらは,それなりによく練られた文章です。

 日本国憲法は,個人主義を基本に置いています(憲法第十三条)。しかし,個人主義に対する違和感や嫌悪感は依然くすぶっていて,国家や組織が個人に優先する状況は,今もあまり変わっていません。

 今,改めて日本国憲法が制定された出発点に戻る必要があります。「騙されていた」 は二度は言えません。個人として国家に異議申し立てをすることが大切です。

*この講演会では,事前に申し出た人以外は写真を撮らないで下さいということでした。
**「家族国家」という考えが,かなり重要なのではないかと思います。つまり,「近代日本においては,天皇を親に,臣民(国民)を子になぞらえ,両者の家族的情緒による調和を目指した。」
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説:https://kotobank.jp/word/家族国家-44836)
 教育勅語の「父母に孝行をつくし」という文言は,心情的に臣民の親である天皇につくせということに繋がります。


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