渡島半島西海岸を北上する ― 2016/06/11 09:00
2016年6月6日,天気が良かったので乙部町から渡島半島の日本海沿岸を岩内まで北上した。
写真1 鮪ノ岬
鮪ノ岬の安山岩の柱状節理は,鮪ノ岬トンネルの北側坑口を出たところに説明版があり有名である。
この写真は,トンネルの南側から見た鮪ノ岬である。植生が着いていない崖の下の部分は,柱状節理が消えてブロック状の節理になっている。溶岩の下底付近の状態を見ることができる。
写真2 せたな町大成区宮野の海岸
1993年7月の北海道南西沖地震では,この海岸も大きな被害を受けた。1995年頃,「道の駅てっくいランド大成」のすぐ北にある開真寺の前の道路脇で津波堆積物のトレンチ調査を行った。臼別川を津波が400m程遡上し津波堆積物を残した。
国道229号は,ここで山の中へ入っていく。私が最初にこの付近に来た時は,海岸沿いの道道北檜山大成線は,南は大成区太田まで,北は北檜山区鵜泊までであったと思う。
その昔,太田の先で道路の地質調査を行ったが,その区間は太田トンネルで完全に回避されている。豊浜トンネルの岩盤崩落が影響している。
写真3 大成区富磯付近から見た奥尻島
この平べったい形が奥尻である。1993年の北海道南西沖地震のときは,道道奥尻島線の道路点検を行った。雨で崩れた場合と違って岩塊がごろごろしていて不安定な崩壊堆積物の斜面ができていた。崖の上の方の岩盤には,上に行くほど開口しているズグソークラックが入っていた。待受擁壁は,5mくらいの大きさの岩塊で押し抜き破壊していた。
写真4 太田神社から見た太田の集落と尾花岬
太田集落の北の崖は白亜紀の花崗閃緑岩である。中央の緩斜面の下に海に面して太田集落がある。北海道南西沖地震の津波では8名の方が亡くなっている。
なお,尾花岬はかつては「尾花ノ岬」と書いて「おばなのさき」と呼んでいた(北海道地名誌,1975)。
写真5 太田神社の花崗閃緑岩
帆越山トンネルの北出口に海沿いの旧道がある。そこに太田神社があり,花崗閃緑岩の露頭がある。太田神社と言えば,太田山(標高485m)の崖の洞窟の本殿が有名である。海岸の太田神社から辛うじて本殿の洞窟が見える。
写真6 鵜泊漁港のホルンフェルス
手前の岩山が「気持ち悪いほど縞々」のホルンフェルスの露頭である。もともとの岩石はチャートとその間に挟まれる泥岩とされている。
写真7 鷹の巣トンネル南坑口
鷹の巣トンネルは落石対策が大々的に行われた。特に,南坑口は不安定な部分を除去し坑口を前に出している。
写真8 刀掛岩
一気に飛んで岩内町雷電岬の刀掛岩である。刀掛トンネルを出て次のカスベトンネルに入る手前に展望できる場所がある。すぐ南のセバチ鼻を抜いている磯谷トンネルは旧期ニセコ火山群のセバチ鼻溶岩の分布域であるが,刀掛トンネルは,より古い鮮新世の火山角礫岩・水冷破砕岩や輝石安山岩溶岩の中を通過している。
写真9 雷電トンネル南坑口
刀掛岩と同じ地層であるが,見えているのはほとんどが溶岩である。崖の高さは500mほどある。
日も暮れかかり雲も出てきたので小樽経由で札幌に戻った。楽しいドライブであった。