高尾山 ― 2024/09/25 07:05
JR八王子駅の西南西、相模川の城山ダムの北西にある高尾山は、標高599mの低山です。低山とは標高1,000m未満の山を言うそうです。
京王電鉄高尾線の高尾山口駅から歩いて行くのが一番手軽です。
高尾山のエコーリフト付近から薬王院付近までは、北東—南西方向の尾根が連なり、標高は450m〜500mほどです。薬王院から大垂水峠の北付近までは高尾山山頂も含めてほぼ東西に尾根が連なっています。高尾山の西の城山(小仏城山)付近からは北西—南東方向に尾根が伸びています。
JR中央線の高尾駅付近から西は高尾山山頂も含めて後期白亜紀付加体の四万十帯付加コンプレックスと呼ばれる地質が分布しています。そのうち、京王電鉄高尾線の高尾山口駅付近までは、砂岩を主とする小菅ユニットが分布していて、砂岩頁岩互層が挟在しています。
エコーリフトの山上駅と高尾登山電鉄の高尾山駅との間に小菅ユニットと南の小伏ユニットの境界があり、西北西—東南東に延びています。 小伏ユニットは頁岩が主体で、チャートや凝灰質頁岩をブロック状に含みます。高尾山山頂も小伏ユニットです。
2024年9月12日(木)に行ってみました。けっこう暑い日でした。
一番北の1号路を登って山頂まで行き、尾根道の稲荷山コースを下りてきました。登りの途中で、つり橋のある4号路に行こうとしたのですが通行止めでした。
今回のルート図(TrailNoteによる)
今回は、ハンマーは一切使いませんでしたので、詳しい岩質は見分けられませんでした。
写真1 京王電鉄高尾線の高尾山口駅と案内川
駅前は2024年4月に「高尾山ふもと公園」が整備され、明るくなったそうです。奥の橋の手前に案内川へ下りる広い階段護岸があります。
写真2 高尾山6号路入口
石畳がしばらく続きます。杉の大木が印象的です。
写真3 6号路沿いの小川
小さな川ですが水量は豊富です。所々に頁岩の露頭があります。
写真4 頁岩の露頭
標高300m付近のヘアピンカーブの頁岩の露頭です。走向は北西—南東で、南に70°ほどで傾斜しています。
写真5 頁岩の岩相
写真6 砂岩
塊状であることから砂岩と推定されます。所々に頁岩が挟まっています。ヘアピンカーブを過ぎた標高320m付近です。
写真7 金比羅台園地からの眺め
ほぼ東を眺めています。標高は387mです。ここで尾根に上がったので、この先は比較的平坦な道が続きます。
写真8 小菅ユニットの砂岩頁岩互層(推定)
圏央道の高尾山トンネルのやや東の尾根で見られる露頭で、著しく風化しています。
写真9 山上駅手前から眺め
ほぼ東を見ていますが、水蒸気で遠くは霞んでいます。
写真10 山上駅のやや南からの眺め
南東を眺めています。
写真11 千枚質頁岩
薬王院の北にある苔むした頁岩の露頭です。小伏ユニットの砂岩頁岩互層中の千枚質頁岩と推定されます。
写真12 高尾山山頂展望台から
見通しが良ければ、左に大山、右に富士山が見えるはずです。
写真13 稲荷山コースの下り
階段階段また階段で、けっこう足に来ます。
写真14 頁岩の露頭
登山道の路面に露出していて構造もよく分かります。小伏ユニットの頁岩と推定されます。
今回のルートでの累積標高は、約410m、距離は約8.6kmでした。かなり暑い日で、多分、高尾山としては人が少なかったのでしょう。稲荷山コースで登ってきた人に会ったのは10人程度でした。
自然とくらしの奥深き風景をつくる土木へ ― 2024/09/23 15:18
土木學會誌(2024年8月号)の特集は、「自然とくらしの奥深き風景をつくる土木へ」です。
これは、2024年9月2日(月)から6日(金)まで、仙台の東北大学を中心に開かれた令和6年度全国大会のテーマです。
自然を改変して造られた土木施設が歴史を旧(ふ)るにしたがって自然に溶け込み風景の一部となります。只見川の橋梁群や大潟村の花街道などです。
この雑誌で紹介されているのは、住之江市、伊予三島市、土井町、新宮村が合併して誕生した四国中央市の産業景観をはじめ、石巻市のかわまちづくり、最上川舟運によって生まれた流域の景観と文化的遺産、釜石の風景、岩木川とりんご畑、只見線沿線の風景、60年を経た八郎潟、3.11震災後の復興事業による気仙沼市の風景の変化などです。
そして、中井 祐氏の「環境改変と倫理としての風景」では、人が風景という環境認識を持つ意味は何かを問うています。人びとの生活向上になるのだから、少々の自然破壊、風景の改変は許されるということではなく、公共的な倫理が求められます。
いろいろと考えさせられる特集となっています。
第44回石狩サーモンマラソン10km ― 2024/09/04 16:29
2024年9月1日(日)に石狩サーモンマラソンが行われました。
石狩市役所付近がスタート、ゴールです。道道石狩手稲線を南西に向かい、西5丁目樽川通を南東に行き、花川南3丁目通を北東に向かって走り、戻ってくるコースで、ほとんど高低差がありません。
コース図と高低図
スタート前
石狩市役所の南東から出発です。良い天気です。右隅にピンクの帽子をかぶったゲストランナーの増田明美さんが写っています。
手稲山に向かって走る
石狩浜にほぼ平行な道路を南西に向かって約5km走ります。この道をまっすぐ行くと北海道マラソンの折り返し地点の辺りに出ます。
7.5kmの関門
70分が制限時間です。普通に走る人にとっては問題ない時間です。
ゴール
何とか時間内にたどり着きました。
「特集 速報 能登半島地震」 月刊地理 2024年8月号 ― 2024/09/03 20:25
月刊地理 20024年8月号
最初は、小元久仁夫氏(元日本大学:放射性炭素年代測定など))と清水克志氏(筑波大学准教授:歴史地理学)の被災体験です。
小元氏は、和倉温泉の旅館で地震に遭遇しました。避難行動、避難先での様子、バスによる金沢市への移動などについて述べています。
清水氏は、2023年の大晦日に能登半島のつけ根にある氷見市の実家に帰っていて地震に遭遇しました。地震発生時の様子、近所の建物の倒壊、お寺での避難生活の様子、復旧への足取りなどについて述べています。氷見では富山湾を挟んで虻ヶ島と海越しの立山連峰が、『「郷土の誇り」であり「心のよりどころ」であろう』と述べています。
災害の実態として、鈴木康弘氏(名古屋大学教授:災害地理学)、後藤秀昭氏(広島大学教授:変動地形学)、大丸裕武氏(石川県立大学教授:災害地質学)、青木賢人(金沢大学准教授:自然地理学)、山縣耕太郞氏(上越教育大学:自然地理学)、青木雅史氏(群馬大学教授:自然地理学・地形学)の6氏がそれぞれの立場から述べています。
鈴木氏は、災害を予測する上で地理学が果たす役目は重要だと述べます。
能登半島北岸の海底活断層の存在は太田陽子氏らが50年前から示唆していました。でも、災害予測では活用できる知恵として人びとに地形の成り立ちを知ってもらうことが大事です。今回の地震は、海底活断層が動いたことが予測を困難にした一つの原因です。高校では「総合地理」が必須科目となり、災害予測に活用できれば持続可能な社会づくりにとって有効です。
後藤氏は、地震発生直後に鈴木康弘さん(名古屋大学)、中田 髙さん(広島大学名誉教授)、渡辺満久さん(東洋大学)と情報交換を行い、熊原康博さん(広島大学)、岩佐佳哉さん(大分大学)に加わってもらって、海岸地形の変化と津波浸水域の地図を作成しました。1月16日までには、どちらの地図も最終報告を日本地理学会のウェブサイトで公開しました。
さらに、2月と5月に地震による地盤隆起の現地調査を行いました。近年、マルチビームによる測深調査が可能となり、詳細な海底地形が明らかになってきています。今後、海底活断層について陸上と同じように調査することが望まれます。
大丸氏は、能登半島地震による土砂災害の特徴と今後の被災地の防災に与える影響について述べています。
今回の地震で発生した大規模な地すべり地の周辺には国土地理院のデータでは見えない地盤変動が起きています。尾根に見られる線状凹地の地形が地震後、微妙に変化しています。このような地形変化は航空レーザ測量により明らかになります。能登半島では、このような微妙な地形変化が人びとに生活に影響を与える可能性があります。さまざまな機関や民間企業のオープンデータ活動の進歩は驚異的です。
青木氏は、後藤氏らの仕事を補う形で、志賀町南部以南の日本海側の津波到達状況、志賀町・七尾市以北の富山湾側の津波浸水状況を現地調査によって明らかにしました。
津波の浸水があったことが報告されている地域でも津波漂着物が確認できない場合がありました。漂着物によって津波浸水範囲を確認するのは限界があります。今回の地震では、津波による死者は2名のみでした。避難行動が奏功したものと言えます。
山縣氏は上越市に住んでいて今回の地震に遭いました。中越地震(2004年)、中越沖地震(2007年)、東北地方太平洋沖地震(2011年)、長野県北部地震(2011年)のどれよりも大きく揺れ、継続時間も長く感じました。
1月3日に津波被災地の確認に出かけました。上越市の津波被害は衝撃的でした。そこで、新潟県西部の津波遡上高調査を行いました。地理院地図、ハンドレベルを使って遡上高を出しました。南は新潟-富山県境から北は柏崎市の北までの範囲を調査しました。遡上高は2〜4mでした。防潮堤を越える津波はなく、大きな被害は出ませんでした。しかし、新潟県においても津波被害が出る可能性があり、適切な避難行動をとることが大事です。
青木氏は、新潟市信濃川下流域、高岡市伏木地区、氷見市で液状化調査を行いました。
信濃川下流域では、旧河道で液状化が発生しました。高岡市では庄川の昔の本川や千保川沿いの地域、庄川・小矢部川河口部で液状化による噴砂が認められました。
これらの調査を通して得られた知見は、液状化リスクを評価するに当たっては砂丘の内陸側周縁部など地形の特徴と埋め立てたかどうかなどの土地履歴の把握が重要であることが分かりました。
これらのほかに、公共交通の復旧事情、製造業への影響、水産業への影響、観光について、二次避難についてなどの記事があります。
この雑誌は、アマゾンで購入できるほか、kindle版(電子書籍)もあります。
2024年北海道マラソン ― 2024/08/26 21:00
今年の北海道マラソンは、8月25日(日)に行われました。スタートは午前8時30分、大通公園の西3丁目がスタート・ゴールで、新川通の前田森林公園付近で折り返して戻ってくるコースです。
久しぶりに見物に行きました。自転車で行けば交通規制にもかからないし、停めるところも気を遣わなくて良いので楽です。
↑まず、15km付近で見ていました。北24条通を右折して新川通に出てきたところです。真っ先にやってきた選手は、ナンバー4の森井勇磨選手でした。後続をかなり引き離していました。
↑次に、札幌新道が学園都市線と琴似・栄町通(道道277号琴似停車場新琴似線)をまたぐ陸橋の上から見ました。左が往路の選手、右は復路の選手が通ります。
時間は午前10時40分頃ですが、復路も選手も見えました。
↑前田森林公園まで行こうと思いましたが、暑さに負けて手前の稲積橋で見ていました。ここでも選手の波は途切れることなく続いていました。
やはり、左が往路の選手、右が復路の選手です。往路は、南東から北西に向かって走るのと街路樹が育っていないので、日差しを遮るものがありません。遙か彼方に、札幌中心部の高層ビルが見えます。
↑最後は、北大工学部近くの40km地点で見ていました。ここは、木陰になっていて割合涼しいです。制限時間は6時間ですから、14時30分までにゴールすれば大丈夫です。この時の時刻は13時5分頃でしたので、ここに写っている人たちは完走できます。
夏の暑い時期に行われるオリンピックの選考レースとなったこともある北海道マラソンです。市民マラソンとしても盛況なのは本当にうれしいです。
なお、「北海道マラソン2024 コースマップ」の高低図で、縦のメモリが「標高」となっているのは、スタート・ゴール地点を0mとした時の「比高」の間違いです。新川沿いでも標高−15mなんてことはありません。折り返し点付近の標高は+5mあります。