本の紹介:沖縄戦 最後の証言2018/11/19 16:23

沖縄戦の証言

森住 卓(もりずみ・たかし),沖縄戦 最後の証言 おじい・おばあが米軍基地建設に抵抗する理由.2016年7月,新日本出版社.


気分が少し高揚している時でないと読み切れない本です.


表紙のおばあは,島袋文子さんで,この本の出版当時87才,沖縄戦の時は15才でした.ですから,記憶は鮮明で,死体の山の中を避難し真っ暗な中で水たまりから水を汲み,お母さんや弟そして自分も飲みました.翌朝見ると,その水たまりには死体が浮いていて,水は死んだ人の血で真っ赤でした.


生きるために必死に避難した人たちの,本当に最後の証言です.新しい基地の建設に命を賭けて反対する理由は十分すぎるくらいあるのです.


白黒写真とおじい・おばあの証言.戦争の酷さが伝わってきます.




初冬のモエレ沼公園2018/11/20 16:12

雪が時々舞う中,久しぶりにモエレ沼公園に行ってみました.


モエレ山

モエレ山とカラマツ林



モエレ山

モエレ山


北西を見る

プレイマウンテンの途中から北西を見る


南東を見る

プレイマウンテンの頂上から南東を見る


北西を見る

プレイマウンテンの頂上から北西を見る


ガラスのピラミッド

モエレ山とガラスのピラミッド


カラマツ林

カラマツ林とガラスのピラミッド


プレイマウンテン

プレイマウンテン


ガラスのピラミッド

ガラスのピラミッド



本の紹介:芥川追想2018/11/26 17:55

芥川追想

石割 透編,芥川追想.2017年7月,岩波文庫.


1927(昭和二)年7月24日,芥川竜之介は自裁しました.1892(明治二五)年3月生まれですから35才でした.


この本では,菊池 寬に始まって芥川瑠璃子まで,48人の追想文が掲載されています.追想文が書かれた時代は,1927(昭和二)年9月の「文藝春秋」(芥川竜之介追悼号),同じ月の「中央公論」,1927年10月の「改造」などから,戦後すぐの頃のもの,そして1984年のものまでが掲載されています.


強く印象に残った文章は,広津和郎「宇野に対する彼の友情」です.芥川を深く理解していたことが感じられる文章です.


諏訪三郎「敗戦教官芥川竜之介」は,横須賀の海軍機関学校で英語の教官をしていた時の芥川の言動を記したものです.このような骨っぽいところがあったも,芥川の大きな魅力だったのだろうと思います.


森 梅子「芥川氏の死の前後」は,日常生活での芥川の人柄が良く出ていて「へえ~~」と思うところが多いです.


宮崎燁子(あきこ)「芥川竜之介さんの思い出」は、短い文章の中に著者本人と芥川の性格が描き出されていて面白いです.この文章は,1954(昭和二十九)年12月の「文藝」(臨時増刊 現代文豪読本 III ・芥川竜之介読本)に載ったものです.

宮崎燁子については,手近なところではウィキペディアで知ることが出来ます.



本の紹介:シリア拘束 安田純平の40か月2018/11/27 13:09

シリア拘束 安田純平の40か月

安田純平著,ハーバー・ビジネス・オンライン編,シリア拘束 安田純平の40か月.2018年11月,扶桑社.


裏表紙

本の裏表紙

あきらめたら試合終了 

2018.11.2

  安田純平


2015年6月22日から2018年10月23日まで,40ヵ月シリアに拘束されたジャーナリスト,安田純平さんの二つの記者会見の記録とインタビュー,それに在日シリア人ジャーナリストのナジーブ・エルカシュさんへのインタビューです.


こんな状況に置かれて,良く無事で帰ってきたな,と言うのが率直な感想です.


直接の暴力は受けなかったようですが,寝返りを打つだけで,鼻水をすするだけで,24時間,嫌がらせを受けて,よく精神的に持ったと思います.

クルアーン(コーラン)を勉強したり,抗議の断食をしたり,イスラムの教えをもとに拘束者に対して解放するよう説得したり,置かれた状況の中で出来ることを行ったことが無事生還できた大きな理由でしょう.


この本の裏表紙に載っている「あきらめたら試合終了」の言葉が,拘束中の安田さんを支えたのだと思います.


精神的な面を含めて体調を回復させて,今回の経験を公表して欲しいと思います.また,シリアで実際に起きていることを発信して欲しいです.