本の紹介:ふりかえみればーわが生いたちの記− ― 2016/04/09 14:02

星野通平,ふりかえみれば−わが生いたちの記−。2016年4月,「ふりかえみれば」刊行会。
今年93才になる星野通平氏本人の回顧録である。
星野道平(ほしの・みちへい)氏は,赤城山西麓の横野村(現渋川市赤城町)で1923(大正12)年に生まれた。利根川と吾妻川が合流する場所のすぐ東である。
渋川中学校から府立豊島師範学校(東京学芸大学につながる)に入学し,地質学に興味を持った。昭和18年に東京高等師範学校に入学した。
1945年8月15日の敗戦の日のことも語られている。
「私はとっさに,“ああ、これで死ななくてもよくなった、勉強ができる、結婚ができる”という思いにかられた。」
1946年に東京文理科大学の地質学科に入学した。教官として藤本治義,柴田秀賢,大森昌衛,牛来正夫,渡部景隆などがいた。この頃,井尻正二と知り合った。
東京文理科大学地質学鉱物学教室では,戦後の科学研究の進め方についての意見交換を目的に「地と人の会」という活動が進められていた。
1947年2月2日に上野の科学博物館で地学団体研究会(地団研)の設立準備会が開かれた。この会には東京大学,東京文理科大学,科学博物館の人たちが参集した。同年5月15日に地団研の創立総会が開かれた。
一悶着があったものの,1950年に海上保安庁水路部に就職することができた。著者,28才である。
水路部は明治4(1871)年創立の兵部省海軍部水路局がその前身で,当時の上層部は海軍武官の身分から研究者となった人で構成されていた。
著者は水路部での仕事をまとめて学位論文を出した。この学位論文は,地学団体研究会の専報第7号「日本近海大陸棚上の堆積物について」(1958年)として印刷された。学位を授与してくれたのは,当時,東京教育大学の学長であった朝永振一郎であった。
1962年には地団研双書第18号として「太平洋」を出版している。
1964年に東海大学海洋学部へ移った。そして,海洋調査,国際学会を含む様々な学会の開催と参加,本の執筆などのエピソードが綴られている。
1965年には"The Geologic Development of the Japanese Islands"(The Association for the Geological Collaboration of Japan) が出版されたが,著者はその編集責任者を担当した。
著者は井尻正二を大変慕っていて,何かにつけて名前が出てくる。井尻正二は,1913(大正2)年生まれであるから著者より10才年上である。
大学の地質学教室や地質学会の民主化に果たした地団研の役割は,大きなものがある。おそらく,この運動が無かったなら日本の地質学の発展は非常に遅れたものとなっていたであろう。
プレートテクトニクスとは違った観点から,地球の歴史を明らかにしようと努力してきた著者の生き様は見事というほかないと思う。
なお,この本を入手したい方は,下記へ連絡して下さい。
佐藤久夫(イー・ジー・サービス)
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電話 :090-7054-8024
メール:sato@egs.co.jp
コメント
_ 西澤幹雄 ― 2016/04/19 18:12
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「ふりかえみれば」の紹介をしていただきありがとうございました。星野さんの教えを受けたものとしてお礼を申し上げます。
私も本は読みました。星野さんは朝永さんから学位を授与したんですね。
朝永さんの父親は、かみさんの祖父、長岡半太郎と同時期に同じ大村藩士の子だったようです。半太郎と朝永振一郎との関係を調べてみようと思っています。