第48回試錐研究会(北海道立地質研究所主催) ― 2010/02/05 17:15

北海道立地質研究所が毎年開いている試錐研究会が,2010年1月27日に札幌サンプラザで開かれた.今年は,北海道地下資源調査所として創立された地質研究所の60周年である.
1964年に開かれた第1回試錐研究会では9つの発表があり,そのうちの7つがボーリングの掘削技術に関するものであった.2009年に開かれた第47回の研究会では9つの発表の内3つがボーリング技術に関するもので,その他はジオパーク,地盤資料の GIS 化,バイオレメディエーションといった内容となっている.時代の要請に応えて試錐研究会での発表内容も変わってきている.しかし,温泉に関わる技術や地下水資源についての発表は継続して行われているほか,火山噴火・地震・洪水による災害の実態などについては,その都度発表されている.
今回は北海道地質研究所創立60周年記念と言うことで,産業技術総合研究所地質調査総合センター代表の加藤碵一(かとう ひろかず)氏が「社会に貢献する地質情報の整備と高度化を目指して」と題して特別講演を行い,5つの一般講演では地質情報の整備が具体的にどこまで進んでいるかの報告があった.
つまり,今回は掘削技術ではなく掘削の成果をどのように整備し,誰もが利用できるシステムを構築しているのかと言うことが中心テーマであった.
産総研で進めている東京低地周辺の浅層地盤の三次元地質モデルの構築や地質研究所が進めている石狩低地の浅層地下地質・構造の解明は非常の示唆的な内容である.つまり,質の高いデータで三次元の地質モデルを構築することによりこれまで見えていなかった地質現象が明らかにできる可能性がはっきりと示された.
東京低地で言えば最終氷期が終わり海面上昇に伴ってどのように海が侵入してきたのかが時代を追って見えてきている.また,石狩低地については海水準変動とごく最近の構造運動の関係が明らかにされつつある.
このようなデータが揃ってくると,日本各地での海水準変動の様子とそれぞれの平野での特殊性(構造運動)とが精度良く明らかになり,より質の高い地盤情報が得られてくる.
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ダーウィン一族はハプログループ R1b ― 2010/02/15 22:12
チャールス・ダーウィンはクロマニヨン人からずっと続く系統であることが判った.
オーストラリアに住むダーウィンの玄孫(げんそん:やしゃご:チャールス・ダーウィンの孫の孫)であるクリス・ダーウィン氏(Mr.Chris Darwin,48才)の DNA(男性であるので Y 染色体)を調べたところハプログループ Rb1であることが判明した.どうやら,彼は南ロシアのごつごつしたコーカサス山脈を横断して,黒海のステップに達した女性達の子孫であるらしい.
クリス氏は,曾祖父がダーウィンの息子で天文学者のジョージ・ダーウィン(George Darwin)である.クリス氏は1986年にオーストラリアに移住し,シドニー郊外に住んでいる.
ダーウィンの遠い祖先は45,000年前頃にアフリカを去り,5,000年後にイランあるいは中央アジアで新しい系統に枝分かれした.そして,西方のヨーロッパに向かう前に,次の変異が35,000年前頃にある男性に現れた.
南イングランドの男性のほぼ70%がハプログループ R1b に属していて,アイルランドとスペインの一部では90%以上に達している.
(以上は,ジャパンタイムスウィークリー,2010年2月13日号の科学欄の記事による)
DNA の中には親の持つ DNA がそのまま子孫に伝わるものがある.母親から子供に伝わるのがミトコンドリアDNA で,男性で継承されるのが Y 染色体を構成するDNA である.これによって女性と男性の系統が,それぞれどのように分岐していったのかを知ることができる.特に研究が進んでいるのがミトコンドリアDNA でかなりデータが揃っている.一方,Y 染色体は世界各地での変異の全貌が明らかになりつつある段階である.
「ミトコンドリア・イヴ」から「現生人類」が枝分かれしてきたことが,ミトコンドリアDNA を使って明らかにされたのは1987年である.そして,このミトコンドリア・イヴはアフリカ起源である.ただし,これは一人の女性を起源とすると言うことではなく,19万年前頃に生きていた2,000〜10,000人のアフリカ人を核とする集団に由来すると考えられている.
ハプログループというのは,共通の祖先を持つ遺伝子の型からなるグループと言うことで,ハプロ(haplo-)とは「単一の」と言う意味である. Y 染色体については A から R のアルファベットによって主な遺伝子系統が表されている.
現在明らかにされているヨーロッパへの遺伝子系統の拡がりは,ペルシャ湾のホルムズ海峡の北岸付近から5万〜4.5万年前に黒海の南を通って広がったものと3.3万年以降にコーカサス山脈を通って黒海東岸,ドニエプル河中流を横切って西ヨーロッパに広がったものとがあるとされている.ハプログループ R は後者の系統である.
参考文献


札幌ドームと羊ヶ丘展望台 ― 2010/02/16 21:30
2010年2月14日に第30回札幌国際スキーマラソン大会が開かれた.
以前は羊ヶ丘展望台がスタート,ゴールで,展望台レストランは人がごった返していて,荷物を雪の中に於いてレースに参加したこともあった.今は札幌ドームがスタート,ゴールとなり余裕のある暖かい空間が確保されている.
今年はかなり気温が低く,ワックスさえ合えばスキーはよく滑った.50km で優勝したのはアメリカの貨物航空会社フェデックスのパイロット,セス・ダウンズ氏でタイムは2時間32分だった.エストニアの首相のアンドルス・アンシプ氏は50km を3時間27分で走りきった.
私は25km を3時間14秒でなんとか完走した.私のようなクラスになると,7km 過ぎの S 字カーブの急坂の手前で行列ができ長いこと待たされる.18km 過ぎからはほとんどが下りとなり,20km 付近からは気持ちの良い下りがずっと続く.しかし,寒さで涙が凍り前がよく見えなくなるし,足は踏ん張りがきかなくなるしで気分は爽快でも身体はメタメタの状態になる.それでも走り終わったあとの爽快感は何事にも代えられない.
下に示す写真は前日の試走の時のものである.札幌郊外の雄大な景色を堪能あれ.





モエレ沼公園のガラスのピラミッド ― 2010/02/17 21:42
モエレ沼公園のガラスのピラミッドは公園のシンボルの一つである.この公園には到る所に「てっぺん」がある.
モエレ山の頂上は平になっていて全体は円錐台となっているが,プレイマウンテン(高さ30m)はてっぺんを持っている.テトラマウンドのステンレスの円柱を組み合わせた三角錐(高さ13m),プレイマウンテンの南西にある白いミュージックシェルにもさりげなくてっぺんがある.サクラの森の遊具,モエレビーチの白いパラソル,野外ステージと呼ばれる広場の壁面が造る北西側のてっぺん,そして極めつきが,このガラスのピラミッドである.
ガラスのピラミッドはガラスの部分は鉄骨構造で付随する部分が鉄筋コンクリート構造となっている.ガラスのピラミッドの高さは32.3m ある.
このガラスのピラミッドは自由に出入りできる.冬の寒い日でも,中はほんわかと暖かい.冬,公園で歩くスキーやソリで遊んだあと,このピラミッドの中でゆっくりとした時間を過ごすと幸せ一杯になる.
<画像にカーソルを乗せると説明文が出ます>




松木武彦著,進化考古学の大冒険 ― 2010/02/18 18:28
何か,久しぶりの頭が興奮を覚える本に出会った.
ものごとの変化には化学的・物理的変化と遺伝的変化がある.生物の遺伝的変化では,親から子へと複製を繰り返す過程で環境に適応したものが生き残っていく.同じように,考古学で取り扱う人工物は何度も作り続けられる過程で,その時々の社会的な環境に適応したものへと変化していく.このような視点で組み立てられた考古学が,進化考古学である.
人工物の変化が起こる仕組みは,それを作る人の心の中で起こっていることを知ることが欠かすことができない.人の心の動きから過去の人工物を解釈するのが認知考古学で,進化考古学の重要な方法論の一つである.
例えば,約250万年前の人類最古の石器である礫石器は自然石を打ち欠いて刃のようなものを作り出したものである.これは,獣の骨を打ち割ったり砕いたりするのに使われたものだろうと考えられている.しかし,80万年前以降の石器では実用上要求される以上の形へのこだわりが表れ,左右対称の握斧が見られるようになる.さらに,20万年前くらいからは剥片石器が現れ,獣の解体のための石器となる.このような石器の変化はボーン・ハンティングからアニマル・ハンティングへの移行があったと推定される.
80万年前の握斧は今みても美しい.ここには,「握斧とはこうあるべき」という概念が,作る人の頭の中にはっきりと存在していたことを示している.人の心の進化が道具に反映されているのである.
と言うような話が時代を追って述べられている.縄文土器の模様が縄文晩期に大きく変化し弥生土器との連続性を見せること,前方後円墳が衰退していく理由など興味のある話が一杯詰まっている.
フォーム・スタイル・モードの関係と土器などの変化のメカニズムについての話も説得力がある.
人間とは何かを考える上でも参考になる本である.
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