本の紹介:杉晴夫,論文捏造はなぜ起きたのか? ― 2014/11/15 16:19

杉 晴夫,論文捏造はなぜ起きたのか?。2014年9月,光文社新書。
傘寿(数え年80才)を過ぎた「古典的生理学」の現役研究者による日本の科学技術政策に対する批判である。長いことアメリカのコロンビア大学や国立衛生研究所で活躍してきたからこそ書ける内容である。
話は当然,生命科学分野の具体的な事例を含んでいて説得力がある。生命科学を含む日本の自然科学が滅亡の淵に追い込まれているのは,2003年に決定された「国立大学の独立法人化」にあるという。つまり,大学の通常研究の予算を削って,特定研究に数十億円の予算を付けるようになったために,基礎的な研究がおろそかにされ,研究体制も成果至上主義になった。
理化学研究所の歴史,STAP細胞事件の問題点,学問の自由を失った国立大学の現状とデータの捏造,高峰譲吉や北里柴三郎など明治時代の巨人,科学史上の論文捏造,分子遺伝学の歴史と今後,最後は日本の生命科学を滅亡の危機から救うにはどうしたらよいのかが書かれている。
生命科学に限らず,巨大な予算が付いて,それに見合った成果を上げなければならなくなった時に,科学者が陥る状況が良く分かる内容である。
高岡晃教氏「自己か非自己か、それが問題だ!?」 ― 2014/11/19 10:27
日本技術士会北海道本部の講演会です。講師は北海道大学遺伝子病制御研究所・所長の高岡晃教氏です。2014年10月31日(金)にホテルポールスター札幌で午後3時から5時まで開かれました。

挨拶する能登繁幸日本技術士会北海道本部長
人の身体には「自分と他人」を見分けて,他人(非自己)を攻撃して排除し,自己を守る免疫という仕組みがあります。
遺伝子の基礎的知識の説明から始まって,インフルエンザワクチンの話,エボラ熱やHIVなど具体的な事例について説明がありました。

講演する高岡晃教氏
非自己である病原菌やウィルスを攻撃するのはリンパ球です。このリンパ球は骨髄でつくられ,食道の周りにある胸腺で異物を見分ける訓練を受けます。いろいろな細菌に対抗するために抗体タンパク質は部品を再構成して対応します。リンパ球は病原体を記憶(免疫記憶)するので天然痘のワクチンが,まず開発されました。予防接種はこの免疫記憶を利用したものです。
ところが,この免疫記憶にも泣き所があります。インフルエンザウィルスや風邪の細菌は,変異をして形が変わるために免疫記憶が発動しなくなります。
インフルエンザウィルスは,ヘマグルチニン(HA)と呼ばれる角(つの)とノイラミニターゼ(NA)と呼ばれる角があり,HAで細胞表面に吸着し細胞内に入っていきます。ここで増殖してNAが細胞壁を壊してほかの細胞へと広がっていきます。タミフルやリレンザはNAの活動を抑制します。しかし,インフルエンザウィルスのNA遺伝子が変異してしまうとタミフルが効かなくなります。
ヘマグルチニンはH1〜H16まであり,ノイラミニターゼはN1〜N9まであります。H1N1と言う具合に,これらの組み合わせでインフルエンザウィルスのタイプが決まってきます。
エボラウィルスは,症状の出ている患者の体液などに直接触れることで感染します。ワクチンや治療薬がなく,対症療法しかありません。
HIV(ヒト免疫不全ウィルス)は,リンパ球に取り付いて働かなくさせます。そのために免疫機能が低下し,健康なときには罹らなかった,いろいろな感染症にかかってしまいます。
正常細胞の分裂回数は,50〜60回と有限です。ところが,がん細胞は無限増殖します。例えば,1951年に採取された子宮癌のがん細胞が今でも増殖を続けています。感染症を起こすの微生物は「非自己」と認識され免疫応答が発動されますが,がん細胞は「自己」であるため免疫応答が弱く,がん細胞は増殖します。結核患者にはがんが少ないという現象から,自然免疫系を活発化させることでがんに対する免疫応答を強化できる可能性があります。
非常に分かりやすい講演でした。
第28回寒地土木研究所講演会 ― 2014/11/19 10:42
2014年11月7日(金)に,札幌市の「かでる2・7」で,表記講演会が開かれました。
基調講演:
菅井貴子氏(気象予報士)「変化する北海道の冬の天候」
一般講演:
山元泰司氏(寒地土研・寒冷沿岸域チーム)「流氷期の津波防災・減災に関する研究」
山梨高裕氏(寒地土研・寒地地盤チーム)「北海道における地盤防災に関する研究」
石塚忠範氏(つくば中央研究所 火山・土石流チーム)「最近発生した土砂災害とその対応について」

講演する菅井貴子氏
菅井氏の講演
北海道の雪の予報は非常に難しい。札幌に西には手稲山があるため西風が吹く時は札幌にはあまり雪は降りません。北風が吹くと石狩湾から石狩低地へと風が抜けて札幌に雪が降ります。
日本の気象観測は,函館(函館気候測量所)で1872(明治5)年に始まったのが最初で,東京(東京気象台)が1875(明治8)年,札幌(札幌農学校)が1876(明治9)年です。
現在の気象予報の的中率は85%とされています。雪の多い北陸では雪雲の下で雪が降ります。ところが,北海道は気温が低いために雪が風で流されるので地上の風も考慮に入れて予想しなければなりません。
冬型の天気である西高東低になった場合,北海道に等圧線が4本かかると風が強くなります。6本かかると猛吹雪になります。また,北海道南岸を低気圧が通ると千歳市など太平洋側に大雪が降ります。石狩湾で発生する低気圧は,局地的であるため予想が非常に難しいです。海水温がどの程度かも効いてきます。
この100年で最低気温が2.3℃上昇しています。一方,北極海の氷が減少していてシベリア高気圧からの風が吹き出してきて,北海道は寒くなっています。根雪の始まりは年々遅くなっています。
北海道の冬は資源にもなります。例えば,地中熱を利用すれば一年中15℃程度の快適な温度を保つことができます。
山本氏の講演
北海道は津波の常襲地帯であり,近年だけを見ても1993年の北海道南西沖地震以来,2011年の東北地方太平洋沖地震まで6回の津波に襲われている。北海道の流氷期の津波では,構造物への流氷の衝突力などの津波リスクについて考慮する必要がある。また,河川が結氷している場合は,その氷が遡上してくる。その他に,津波で運ばれてきた氷が構造物の隙間を埋めてしまい作用外力が増大したり水位が上昇したりするアイスジャムが発生する。建物などに衝突した海氷が重なって高く積み上がるパイルアップも考慮しなければならない。
山梨氏の講演
北海道には泥炭が広く分布する。日本の泥炭の6割に相当する。泥炭地域では盛土の破壊や大きな沈下が発生する。また,北海道の総面積の約4割は火山灰質土である。工学的性質が特殊・多様で地震時には液状化が発生する。寒冷地であるために切土のり面で凍上や凍結融解によりのり面崩壊が発生する。
軟弱地盤上の盛土では,地盤の圧密沈下によって盛土体を構成する砂質土が基礎地盤にめり込んだ状態になっている。地震が発生するとこの砂質土が液状化を起こして盛土が破壊される。対策としては,盛土のり尻にフトン篭を積んで盛土のり尻の泥濘化を防ぐのが有効である。
軟弱地盤の杭基礎が地震により被災するのを防ぐ方法に増し杭工法がある。しかし,この工法は時間とコストがかかる。これに対して,橋脚などの周辺を地盤改良して複合地盤杭基礎(コンポジットパイル工法)とすることで,より経済的に耐震性を高めることができる。
土の凍上現象というのは,土が凍結するとき地盤中にアイスレンズ(凍った水の薄層)が形成され、この層が成長して地盤が隆起する現象である。土の凍上の要因としては,土質,土中の水分,気温がある。
対策としては,アンカーやロックボルトの受圧版が土の凍上に追随するようにバネを設置するという方法がある。
小段排水に地中水が集中して凍上が発生することが分かってきた。これを防ぐため,小段排水のトラフ下などに断熱材を設置することが効果的であることが分かってきた。また,排水路をフレキシブルな構造とすることも有効である。
石塚氏の講演
2013年から2014年にかけて発生した土砂災害の特徴や今後の課題について述べる。
2013年伊豆大島災害では,39名が亡くなり全壊家屋50棟などの被害が発生した。大島観測所での24時間雨量は800mmを越えたが,その北3.6kmの地点では400mm程度の降雨であった。土砂崩壊は火山灰とレス(風成層)の互層のレス層上面で発生している。砂防ダムがあったが土石流は小さな尾根を乗り越えて別の沢を流下して被害が拡大した。住民避難では「直ちに身を守る行動」を起こして2階に避難して助かった人もいた。
2014年7月9日に発生した南木曾町の災害ではスリットダムなどの砂防施設が被害軽減に効果を発揮した。古い地名(蛇抜け沢)は土石流が発生しやすいことを示していた。
2014年8月の丹波市の災害では源頭部で崩壊が発生していた。
2014年8月20日の広島市の土砂災害では70名が死亡し18名が行方不明となった。この災害では二次災害が発生しないように避難指示をいつ解除するかが問題であった。
インドネシアのアンボン島の土砂ダムの決壊に向けた避難態勢を構築した。土砂ダムの下流には人口約5,000人の集落があったが,土砂ダム決壊による死者は2名だけであった。
タンチョウが舞う千歳川流域の地域づくり ― 2014/11/21 11:30
表記の講演会が2014年11月9日(日)午後1時から4時まで,長沼町の「りふれ」で開かれました。主催は,長沼町の「舞鶴遊水地にタンチョウを呼び戻す会」と「日本生態系協会」です。
この日は,長年付き合ってもらっていたボーリング屋さんの告別式が奈井江町であり,出棺を見届けてから国道12号を南下して,何とか時間までに会場に着きました。思っていたよりも多くの人が集まっていたのでびっくりしました。220人ほどの人が集まっていたようです。

会場の様子
地元の人だけでなく,遠くから来た方も多かったようです。若い人が多いのも印象的でした。
基調講演I:正富宏之氏(専修大学北海道短期大学 名誉教授)「タンチョウ その魅力と共存への課題」
基調講演II:渡辺竜五氏(佐渡市総合政策課長)「人とトキが共生する島づくり」
パネルディスカッション:「舞鶴遊水地にタンチョウがやってきたら」
正富宏之氏の話:
タンチョウは,1922年に学名としてGrus japonensisと命名されました。1781年頃の記録に「丹頂,殊に多し」と言う記事がありますが,明治になって狩猟が解禁となり,急激に数が減りました。明治の中頃にタンチョウの狩猟が禁止となりました。
様々なタンチョウの姿を紹介してくれました。
渡辺竜五氏の話:
2007年にトキの試験放鳥を行うことになりましたが,えさ場としての湿地が必要でした。そこで,江(え)を設置するよう農家に働きかけました。江は通年,水を抜かない水路のことで,水田に接して設けました。江を設けることによりドジョウなどのトキの餌となる生き物が殖えます。トキは松の木のてっぺんに巣を作るので,松食い虫の防除をどうするかも問題でした。
冬,田んぼに水を張る「ふゆみずたんぼ」を設けました。これによってカエルが産卵しやすくなります。そのほか,水田魚道,コンクリート水路に「ふた」をかけること,緑の畦をつくること(除草剤を使わない),調整水田をビオトープにすることなど様々な工夫を行いました。また,農薬や化学肥料を5割以上減らして米を栽培しています。
生物多様性を維持することによって,農業の価値を高め,食,命,風景,自然,集落,文化,祭りなどの価値を高めていく努力を行いました。
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*佐渡で江(え)と呼ばれている水路は,承水路(しょうすいろ)のこととしている資料があります。承水路は,「背後地からの水を遮断し、区域内に流出させずに排水するための水路。」(農林水産省 用語解説集ウェブ版)とされています。この説明では,ショートカット水路のことのようですが,何のことか分かりません。
当日配られた「佐渡地域 多様な生きものとの共生指針」(朱鷺と暮らす郷づくり推進協議会)に載っている江は,下ようになっています。
江の断面図
左側が水田です。水田に水がなくなっても,江には少なくとも10cmの深さの水が残ります。
江の平面図
水田と江とは,水だけでなく生きものが自由に行き来できるようになっていることがポイントのようです。年2回の泥上げなどの手間がかかります。
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パネルディスカッションのパネラー
左から正富宏之氏,渡辺竜五氏,呉地正行氏です。
パネルディスカッション:
コーディネーターは日本生態系協会 事務局長の関 健志氏です。パネラーは,正富氏と渡辺氏のほかに,呉地正行氏(日本雁を保護する会 会長)が加わりました。
舞鶴遊水地の概要:
千歳川放水路事業が中止となり,流域に6箇所の遊水地がつくられることになりました。長沼町の舞鶴遊水地の面積は,約200haです。ウトナイ湖の面積が510haですから,遊水地全部を合わせるとかなりの面積になります。遊水地は国有地ですが利用は可能です。舞鶴という地名があるとおり,昔はツルが多かったそうです。また,ガンのが渡る時の中継地にもなります。
*舞鶴遊水地は,開発局の名称では「嶮淵右岸地区」とされているものです。長沼町内の遊水地は,嶮淵川(けぬふち・がわ)が馬追丘陵を横断して低地に出たすぐ下流の舞鶴遊水地一箇所です。
呉地正行氏の話:
宮城県大崎市の蕪栗沼(かぶくり・ぬま)は、周辺の水田とともにラムサール条約湿地です。宮城県には,その他に伊豆沼,化女沼(けじょぬま)のラムサール条約湿地があります。蕪栗沼にやってくる渡り鳥は,カモが最も多く次いでハクチョウ,ガンの順になっています。
蕪栗沼ではガンと農業の共生を実現させています。まず,越冬地を分散させます。また,沼と周辺水田を含めた集団渡来地3,061haのうち,36haを冬も水を落とさない「ふゆみずたんぼ」としています。
パネルディスカッションに移りました。
鳥との農業の共生で問題となるのが食害です。
これについては,調査をきちんと行うことが大事なようです。例えば,鳥が農地に入らないようにするには,糸一本あれば防げる場合があります。また,麦の場合は,葉っぱを引き抜くのはそれほど害にならないのですが,茎ごと引き抜かれてしまうと,どうにもなりません。餌用の畑を用意しておくのも効果的です。
地元の理解を得ることがどうしても必要で,地元の人たちの考え,立場を理解して粘り強く思いを持ち続けることが大事とのことでした。
第5回 北海道e-水フォーラム ― 2014/11/21 11:54
2014年11月17日(月)に表記フォーラムが,札幌国際ビル8階の国際ホールで開かれました。主催は,北海道,北海道コカ・コーラボトリング(株),北海道環境財団です。
北海道e-水プロジェクトと言う事業が2010年から始まり,北海道コカ・コーラボトリング株式会社の支援で水辺の保全活動に取り組む団体に助成を行ってきました。今年は5周年記念というわけです。
まず,2014年度の助成を受けた7団体の報告がありました。発表者は,若い人から中年の方まで様々でした。
☆洞爺湖自然環境共生センターは,ウチダザリガニの防除の活動でした。
☆登別自然活動支援組織モモンガくらぶは,川とのつきあい方をリスクマネジメントを含めて子供たちに教える活動を行っています。
☆CISEネットワーク(札幌)は,西岡水源池を中心に川での学習のキットを作成するなどの活動を行っています。
☆天塩川を清流にする会は,河口のゴミ除去を行うと同時に100万本ハマナス計画を行っています。
☆阿寒湖のマリモ保全推進委員会は,マリモの生息に障害となる水草の除去やボランティア・ダイバーによるマリモ分布図作成などの活動を行っています。
☆霧多布湿原ナショナルトラストは,森と海が直接繋がっている浜中湾の水質調査を行い,それぞれに地域のカキの味がどのように違うかといった調査を行っています。
☆知床羅臼町観光協会は,漁業者やダイビング業者などと一緒に,海岸や海中の清掃活動などを行っています。

中貝宗治豊岡市長
講演は,兵庫県豊岡市長の中貝宗治氏「コウノトリと共に生きる〜豊岡の挑戦〜」です。
豊岡市は1927(大正2)年に北丹後地震に見舞われます。この地震からの復興の中で「失われたものを取り戻す」ということが豊岡の共通の認識になりました。豊岡を流れる円山川は河口付近の河川勾配が1:10,000と非常に緩やかです。2004(平成16)年の台風23号で大水害が発生しました。この時も,「失われたものを取り戻す」の精神が発揮されました。
この間,内陸の豊岡盆地に生息していた国内最後の野生コウノトリが,1966(昭和41)年に死亡,1986(昭和61)年には人工飼育していたコウノトリが死亡しました。
しかし,ハバロフスクから譲り受けた6羽のコウノトリから,1989(平成元)年にヒナが生まれます。ここから「コウノトリを野に返す」ことに挑戦します。そのためには,田んぼ,水路,川が生物に住みやすく豊かであることが必要という考えのもと,水田,魚道,堤外湿地(河川敷の湿地)を整備します。その代表が,2002(平成14)年に飛来した野生のコウノトリ「ハチゴロウ」にちなんで名前を付けられた「ハチゴロウの戸島の湿地」です。この湿地は円山川右岸の城崎大橋の近くにあります。
ハチゴロウは,豊岡から山口県の日本海側の町,長門へ行き,韓国に渡ったことが確認されています。
豊岡市では,環境経済戦略として様々な事業を行っています。太陽電池製造会社,古タイヤを使った建物の振動軽減,炭の窯出しの迅速化,そしてコウノトリの生息環境を守るための無農薬農業などです。最初の一歩は小さくても成功させることが大事です。