土砂災害予測に関する研究集会2020/12/11 13:50

 防災科学技術研究所主催の「20192020 土砂災害予測に関する研究集会」がオンラインで開かれました。2020123日(木)と4日(金)の2日間、午前9時半頃から午後5時頃までの長丁場でした。

主催者の挨拶・趣旨説明を除くと25件の講演があり、そのうち2つの講演は八木浩司氏(山形大学)と田近 淳氏(株式会社ドーコン)による特別講演でした。

 

 防災科学技術研究所は、2015(平成27)年に全国をカバーする「地すべり地形分布図」を完成させました。

研究集会1日目の123日は、この地すべり地形分布図の課題と展望そして土砂災害発生予測に向けてどう活用していくかという講演内容でした。

 124日は地震による土砂災害と降雨による土砂災害についての講演でした。

 いくつか興味を引いた講演を紹介します。

 

佐藤 剛・土志田正二・八木浩司、アイトラッキングを用いた地すべり地形判読プロセスの可視化–効率的な地形判読技術の伝承を目指して–


 防災科研の地すべり地形分布図は完成しましたが、地すべり地形を判読できる技術者は限定され、地すべり地形判読技術の伝承が危機的状況にあります。そこで、地すべり判読の熟練者の技術を後進に伝えるために、地形表現図とアイトラッキング技術を用いて判読熟練者の視線を追跡し地形判読過程を可視化しました。

 判読に用いた場所は、長野県白馬村の姫川流域の松川および平川です。地形表現図はDEMから作成した縮尺1:25,000と同1:7,500のものです。熟練判読者と建設コンサルタントの若手技術者に判読してもらい、その視線を追跡しました。

熟練者は地すべりによって形成された地形・微地形を的確に押さえて判読を進めているのに対し、初心者は全体をくまなく見て判読を進めていることが分かりました。

 

大丸裕武・村上 亘・土田堅一郎・世古口竜一、森林地域の地すべり活動度評価の試み


 長野県大鹿村の小塩地すべりは、中央構造線の蛇紋岩地域で発生した大規模で活動的な地すべりです。この調査では、多くの線状地形が発達する滑落崖直下の緩斜面で、林業用地上型レーザープロファイラーを使って植林されたカラマツの計測を行いました。このデータを用いて根元と地上高1mと4mの幹中心の変位量を求めました。周辺に比べて樹木の変形(傾き)が著しい区域が抽出できました。

 

永田秀尚、コンサルタント技術者から見た地すべり地形分布図の評価・課題・展望


 防災科研の地すべり地形分布図は、建設計画などのプロジェクトを手がける場合、最初に参照する資料となっています。全国的に整備されウェブサイトで閲覧可能であることが大きな利点となっています。

 課題としては、判読漏れ・見落としや地すべりでないものを地すべりとしている誤認などがあることです。現地踏査で明らかに地すべりと判定しても、この分布図に載っていないと地すべりとして認められないという弊害もあります。また、地すべり地形の「明瞭さ」による区分がされていますが、「明瞭さ」とは地すべりの活動時期が新しいのか、活動が活発なのか、地すべり地として確実に存在するのかといった、いろいろな意味を持っています。

 今後の展望としては、北陸や北海道で作成されている地すべり分布図との統合、新たに発生した地すべりの追記、現地踏査によって地すべりでないと判断された記録の搭載などが考えられます。この場合、地すべりの活動度や危険度といった評価を与えることは避けるべきです。さらに、精細DEM地形図を用いて再判読することによって、大規模岩盤崩壊や災害につながりやすい小規模の危険箇所の抽出が可能になります。

 

 その他、地震や降雨による土砂災害の具体例が発表されました。

朝鮮半島と日米同盟の今までとこれから2020/12/11 21:04

新外交イニシアティブ(NDNew Diplomacy Initiative)主催の講演会が、124日(土)オンラインで開かれました。戦後75周年シリーズの第四回目で、タイトルは「朝鮮半島と日米同盟の今までとこれから支配と分断を問い直す」です。

東京外国語大学名誉教授の中野敏男氏『戦前の日本の植民地主義、現在にまで及ぶその影響』、弁護士の白 充(ペク チュン)氏『1945年から現在を、休戦中の朝鮮戦争と米国との同盟の視点から考える』、元『世界』編集長の岡本 厚氏『「戦後76年目以降」を、朝鮮半島との関係でどう構築していくべきか』の報告があり、猿田佐世氏(ND代表)の司会で討論が行われました。

 

中野敏男氏「戦前の日本の植民地主義、現在にまで及ぶその影響」

戦後の日本も韓国も、戦前の植民地支配が続いています。戦後3人目の首相であった吉田茂は、戦前は英米派、積極外交推進者として知られ、外務省に所属し任地は中国でした。多くの国民の反対を押し切って安保条約を改定した岸 信介きし のぶすけ満州国国務院次長でした。一方、軍事クーデターの後大統領となった韓国の朴 正熙ぱくちょんひ日本の陸軍士官学校を出ています北朝鮮の金日成朝鮮革命軍を率いていました。ちなみに、中国の習近平習仲中国共産党八大元老の一人でした。

現在、日韓関係の最大の障害となっている徴用工問題は、日本から軍人軍属が300万人、邦人が300万人、合わせて600万人の日本人が朝鮮半島に出て行っているという裏があります。朝鮮人の多くが満州に移動しています。麻生財務大臣の麻生鉱業は1万人を超える朝鮮人を使用していました。つまり、日本人が朝鮮半島に出て行ったことによって,朝鮮人が日本あるいは満州に押し出されたということです。

慰安婦問題については、日本軍として公式なものではなかったという人がいますが、1937(昭和12)年921日の(外務)次官決済によって慰安所が設置されたことがはっきりしています。産経新聞の社長であった鹿内信隆は「いま明かす戦後秘史」の中で慰安所設置について語っています。

白充氏「1945年から現在を、休戦中の朝鮮戦争と米国との同盟の視点から考える」

ヘイトスピーチが横行していますが、麻生氏にしても安倍氏にしても選挙で選ばれて首相になっています。しかし、選挙では自民党を支持しながらヘイトスピーチには反感を持っている人たちがいます。朝鮮高等学校の高校無償化を適用しない、幼保無償化も適用しないという事態が続いていて、最高裁も朝鮮系の学校などに無償化を適用しないことを追認しています。戦前から続く「北朝鮮悪魔論」が生きています。

 

岡本 厚氏「「戦後76年目以降」を、朝鮮半島との関係でどう構築していくか」

関東大震災で朝鮮人の大量虐殺が起きました。この背景には1910(明治43)年の韓国併合条約と朝鮮総督府の設置、1919(大正8)年の三・一独立運動などの民族運動があります。日本の朝鮮植民地化は、文明的に最も近い国の民族性を抹殺しようとしたところに特徴がありました。朝鮮と日本を一つの国にするという異様な考え方で支配したのです。

 

討論のなかでは、朝鮮民族は遅れた民族であるという上から目線が、明治以降つくられたことが大きいという話が出ました。江戸時代まで続いた朝鮮通信使は人々に温かく迎えられていました。関東大震災での朝鮮人虐殺は、植民地支配の中で日本人による朝鮮人虐殺があったため日本の一般の人たちが報復を恐れたという面があると言います。

 

さらに討論の中で言われたことは、今後の問題として朝鮮戦争の終結が第一の課題です。そして東アジア共同体をつくることです。昔鬼畜米英、今北朝鮮悪魔です。しかし、北朝鮮に関しては制裁を緩めること、朝鮮学校への対応を変えること、朝鮮戦争を終結させることで少しずつ前進していくしかないのです。徴用工問題、慰安婦問題は被害を受けた朝鮮の人たちの視点に立って解決することが必要です。

午後2時から5時までの3時間でしたが、非常に内容が濃く勉強になる講演と討論でした。