2022年札幌マラソンの10km ― 2022/10/05 09:09
2022年札幌マラソンが2022年10月2日(日)に開かれました。新型コロナ感染症で2年連続中止でしたので2019年以来3年ぶりです。もっとも、2018年には台風25号で中止になっています。
天気は、雲が出て風もほとんどなく走りやすい状況でした。私は10kmに出ました。
スタートは五輪大橋の東の道道西の真駒内清田線の路上です。すぐ左に曲がり国道453号を北へ向かいます。ミュンヘン大橋の上流で豊平川の河川敷に下りて少し下流へ走って、折り返してゴールに向かいます。4.7km付近で標高44m、真駒内公園内の8.4km付近で標高110mです。特に真駒内公園に入ってからの登りがつらいです。
*距離と標高は、リスト型GPSによるものです。
図 札幌マラソン10kmのコースと高低
この大会はネットの記録(スタートラインを過ぎた時からゴールラインを通過した時までの時間)を取ってくれるので助かります。グロス(スタートのピストルが鳴ってからゴールラインを通過したまでの時間)のタイムより約1分短くなりました。自分がどの程度のスピードで走っているかを見るには、特にスタート直後はネットタイムが重要です。
今回のハーフマラソンは、國學院大學の選手が5位までを独占し、6位に札幌学院大学の選手が入りました。
今年は、トレイル・ランニングの大会に1回、ロードレースに2回出場しました。札幌のこれからの季節は寒さが段々強くなり、地面がグチャグチャになることが多く、走るのにはあまり良い条件ではありません。 でも、クロスカントリー・スキーに向けて身体を鍛える必要があります。体幹トレーニングとともにスクワットや腹筋などを地味にやろうと思っています。
北朝鮮のミサイル発射 ― 2022/10/06 17:10
2022年10月4日、北朝鮮は滋江道舞坪里付近から弾道ミサイルを発射しました。飛距離は4,600kmとされています。4日の午前7時29分頃、青森県の上空を通過しました。
私の携帯もJアラート(全国瞬時警報システム)の警報が鳴りました。ちょっと慌てました。
国連は、2006年7月5日に北朝鮮がテポドン2などのミサイルを発射したことを受けて、安保理決議1695「弾道ミサイル計画に関連するすべての活動の停止」を同年7月15日に全会一致で採択しています。
今回のミサイル発射は、明らかな国連決議違反で強く非難されて当然です。
図1の灰色の線で示しているように、今回のミサイルは青森県の上空を通過しました。飛距離は4,600kmで最高高度は約1,000kmとされています。落下地点は北太平洋のほぼ、ど真ん中です。
図2に示したように、ごく大雑把に考えてもミサイルは宇宙空間を飛んでいるのです。日本上空での高さは、おそらく国際宇宙ステーションの高度約400kmを上回っていたと予想します。様々な地球観測衛星の高度は約500kmで、低軌道帯といわれる高さを移動しています。そして、高さ2,000km以下には小さいものも含めれば1億個とも言われるスペース・デブリ(宇宙ゴミ)があると言われています。
( 参考 JAXA TOP> 事業内容> 特集> スペースデブリ問題の解決に向けて ~宇宙の環境を守るために~> デブリと宇宙機の衝突を防ぐ JAXA 追跡ネットワーク技術センター SSA(宇宙状況把握)システムプロジェクトマネージャ 松浦真弓 )
今や宇宙はゴミだらけになっていて、宇宙からの落下物による危険性はゼロとは言えない状態だと思います。
図1 北朝鮮のミサイルの軌道と射程(朝日新聞、2022年10月5日朝刊)
この図で見ると日本の近くに落下したように見えますが、北朝鮮から4,600kmの距離は日付変更線の東側になります。グアムへ向かうミサイルは、山口県付近を通ることになります。
図2 北朝鮮ミサイルの軌道の「ポンチ絵」
ごく大まかな高度を示した図です。一般的に宇宙は80km〜100kmより上とされているので、日本上空では宇宙空間に飛び出していたと思います。
今、10月1日から14日まで、北海道では日米共同軍事訓練が行われています。札幌市の北にある丘珠空港にはオスプレイが飛来しています。身体に響くような騒音とともに、いつ事故が起きるのかの不安がつきまといます。
宇宙を飛ぶ飛行体よりも、身近な騒音と事故の方がずっと深刻な問題です。
齋藤 衛さん 世界記録 ― 2022/10/12 12:56
齋藤 衛さん(85才)が2022年7月3日(日)、第36回富岡マスターズ記録会で、走り幅跳び(85才〜89才部門)の世界記録、3m80を出しました。この日、三段跳びでは7m61の群馬県記録を出しています。
齋藤さんの日頃のトレーニングや記録を出した大会は、NHKのニュースウェブなどで紹介されています。この記録会の記録は、「富岡マスターズ陸上競技クラブ」のウェブサイトに載っています。
齋藤さんは京都大学理学部の天文学の教授を務めていました。
大学は北海道大学理学部で、陸上部では走り幅跳びをしていました。 学生時代の最高記録は、1959(昭和34)年7月26日に、札幌の円山陸上競技場で行われた七大学対抗戦での6m58です(佐藤幸雄、北大陸上競技史 1878-1990、1141p。1990年12月発行)。
齋藤さんは1961(昭和36)年に学部を卒業しているので、私は陸上部で直接顔を合わせたことはなかったですが、時々グラウンドには来ていたように記憶しています。小柄な人だという印象でした。
日々工夫し努力することの大切さを教えられました。