夕張川新水路80年シンポ ― 2016/11/25 17:19
夕張川は,夕張山地を横断し由仁安平低地を北に向かい,馬追丘陵を横断して石狩低地へと流れています.栗山町のJR栗丘駅の西で新水路となり,石狩平野を横断して西北西に向かい,国道337号の美原大橋の上流で石狩川に合流します.
この新水路が完成してから今年で80年で,それを記念してシンポジウムが開かれました.
最初に,札幌開発建設部江別河川事務所長の岡部啓二氏が「夕張川新水路の概要」と題して講演しました.
夕張川では,明治三十一(1898)年9月,同三十七(1904)年6・7月に洪水に見舞われています.旧夕張川の蛇行部の一つである「木詰(きづまり」では,大量の流木が溜まって水の流れを止めるために「洪水の元凶」と言われていました.現在も,木詰という地名は地理院地図に載っていて,旧夕張川を渡る町道には木詰橋がかかっています.
明治四十三(1910)年に第1期拓殖計画が策定され,石狩川の本格的な治水事業が始まります.この年に保原元治(ほばら・もとじ)が北海道庁に着任します.保原は夕張川の調査を行い,新水路事業を策定します.
新水路工事は大正十一(1922)年に開始され,昭和十一(1936)年8月に新水路の通水が行われました.これに先立つ同年4月下旬,融雪水により夕張川が増水したため,南幌町と長沼町の農民が工事中の新水路へ水を流し堤防決壊を防ぎました.
この新水路が完成したことによって,夕張川が石狩川に合流するまでの距離が34kmから11kmになりました.当然,河床勾配がきつくなります.そのため非常に激しい河床洗掘が起き,清幌(きよほろ)床止が設置されました.南幌市街の北東にある南幌リバーサイド公園付近です.
現在は,夕張シューパロダム(大夕張ダムの直下流)の完成により治水事業は大きく進展しました.
この後,DVD「夕張川 治水に命を賭けた男達」の上映があり,パネルディスカッションに移りました.
パネルディスカッションには,保原元治氏のご息女である佐々木光枝氏も参加し,保原氏の思い出を語られました.

講演する札幌開発建設部江別河川事務所長 阿部啓二氏
新水路通水時の様子(当日配付資料より)

パネラー(1)
左から,コーディネーターの鈴木英一環境技術研究センター理事長,佐々木光枝氏,,三好富士夫南幌町長

パネラー(2)
左から,戸川雅光長沼町長,山田大隆酪農楽典大学特任教授,宮藤秀之札幌開発建設部次長
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