本の紹介:新訳 日本奥地紀行 ― 2014/03/26 16:08
イザベラ・バードの日本奥地紀行の簡略本である。

イザベラ・バード,金坂清則訳,新訳 日本奥地紀行,東洋文庫,平凡社,2013年10月
イザベラ・バードが1878(明治11)年5月20日に横浜に上陸し,同年12月19日に横浜から出航するまでの記録である。
横浜から日光へ行き,新潟に出て,奥州街道を北上して青森から函館に渡り,森から室蘭に舟で渡って平取まで行って,そこでアイヌの家に泊まり,陸路で函館まで戻り,そこから船で横浜に戻った。
バードは1831年生まれなので,この時47才である。伊藤(鶴吉)という20才の通訳兼従者一人を連れて北日本を縦断したのである。その観察は鋭く細かい。
いくつか印象に残ったことを述べる。
・この当時の東北地方の山村の生活や蝦夷のアイヌの生活が具体的に書かれていて印象に残る。風呂に入らないこと,皮膚病,眼病が多いこと,子供はほとんど裸で生活していることなどである。子供を事情にかわいがることが何回も出てくる。
・日本の景色が素晴らしいことが良く分かる。特に,5月から6月にかけての天気の良い日の景色のすばらしさは印象的である。
・北海道は1873(明治6)年に札幌本道が,函館から札幌まで開通している。この道路は,森まで陸路で行き,船で室蘭に渡り札幌に至るもので,バードも行きはこのルートをとっている。興味深いのは帰りの陸路で,有珠から礼文華を通って長万部に抜けているのだが,このルートが非常な悪路であったことである。今も,この付近では国道は山の中を通っている。
・バードはアイヌに対して好意的である。彼らが酒をよく飲むのは,酒に酔うことによって神に近づけると考えているからだと述べている。
・帰りに樽前川を馬で遡って噴気孔に達したという記述がある。驚くべき好奇心である。樽前山の現在のドームができたのは,909年4月であるから,その前の樽前山と言うことになる。
新装なった「地理院地図」でバードの辿った道を探りながら読むと,一層興味深く読むことができる。