日本百名山の地質ー北海道編ー ― 2010/12/02 21:13
深田久弥氏の「日本百名山」には,北海道の山は九つが挙げられている.このほかに,ウペペサンケ(1848m),ニペソツ(2012.7m),石狩岳(1967m),ペテガリ(1736.2),芦別岳(1726.5m),駒ヶ岳(1131m),樽前山(1041m)は候補に上った.これらの山が外れたのは,「ただ私はそれらの山を眺めただけで、実際に登っていないという不公平な理由で除外したことは、それらの山の対して甚だ申しわけない。」と言うことである.
日本百名山に挙げられている北海道の山は,利尻岳(1719m),羅臼岳(1661m),斜里岳(1545m),阿寒岳(1503m),大雪山(2290m),トムラウシ(2141m),十勝岳(2077m),幌尻岳(2052m),後方羊蹄山(しりべしやま)(1893m)である.これらのうち,幌尻岳を除く八つの山が,更新世以降の火山である.
なお,後方羊蹄山は「後方」が「しりへ」で,「羊蹄」が「し」となる.
利尻山
深田久弥も書いているように礼文島から眺めた利尻山の美しさは例えようがない.特に夕日に照らされた利尻山がいい.山頂から深く切れ込んだ谷が山頂の高さを際立たせている.
沓形コースの登山は標高420m付近から始まり,鴛泊コースは標高210m付近からとなる.

礼文島香深港から見た利尻山
利尻山の基盤は新第三紀の港町層,鴛泊層と呼ばれる地層でこの基盤の上に5万年前より古い時代に火山活動が始まった.活動が最も活発だったのは5万年前から4万年前頃で,山頂付近の溶岩流や沓形から鴛泊のかけて扇状に流れた沓形溶岩流が噴出した.その後,火口は北西ー南東方向に広がり南東山麓でポン山と呼ばれる側火山が形成された.島の南東の沼浦はこの時期の爆発的な噴火で形成されたマールの一つである.
主要な噴火活動は約8千年前に終了しているので火山としての一生は終わっている可能性がある.
山麓のなだらかな地形は典型的な火山麓扇状地で,島の面積の60%を占める.
羅臼岳
羅臼岳は安山岩質溶岩を主体とする成層火山で山頂の溶岩ドームは遠くからでも識別できる.噴火活動は8万年前に始まり,溶岩流の新鮮な地形が残っている.
成層火山形成初期の溶岩の年代は8万年前,山頂ドームの年代は4万年前である.さらに,2,200年前,1,400年前,770年前に降下軽石と軽石質火砕流が噴出していて,約800年周期でマグマ噴火をしていることが明らかになっている.
羅臼岳南西の天頂山から知床硫黄山にかけての尾根上には活断層・地溝が形成されている.また,択捉島,国後島,知床半島と続く火山帯は,太平洋プレートの斜め沈み込みにより延性的な火山列島が褶曲して雁行状に配列していると考えられている.

羅臼町熊越橋から見た羅臼岳:山頂の溶岩ドームがかろうじて見える.
斜里岳
火山体としては比高1400m,底面の直径13km,体積26立方キロメートルの規模の成層火山と考えられている.斜里岳は南東にある武佐岳とともにソレイアイト質岩系・カルクアルカリ岩系の安山岩・玄武岩からなり、デイサイト質岩も伴っている.火山麓扇状地が発達している.
活動は100万年前に始まり,主な活動は28ー25万年前に集中している比較的古い火山である.
阿寒岳
日本百名山では阿寒岳となっているが,深田久弥が登ったのは雄阿寒岳である.当時,雌阿寒岳は登山禁止であった.
雄阿寒岳,雌阿寒岳はフレベツ岳やフップシ岳とともに阿寒カルデラの後カルデラ火山であり,阿寒湖,ペエンケトー,パンケトーなどは,阿寒カルデラの湖盆内にできた堰止め湖である.
阿寒カルデラは長径24km,短径13kmの楕円形のカルデラである.このカルデラの活動は130万年以前に遡り,最新の大規模な火砕噴火は34万年前以降まで行われていた.
阿寒カルデラの後カルデラ火山の一つである雄阿寒岳は約12,000年前に降下軽石と降下スコリアを噴出させた.その後,多量の安山岩溶岩が流出し,現在のような成層火山が形成された.山頂には小型の溶岩円頂丘がある.

雄阿寒岳:運が良ければ札幌丘珠空港から中標津空港への便でよく見えた.
大雪山
大雪山は東の黒岳,西の旭岳,その中央に位置する御鉢平カルデラなどからなる火山群で,その山体の規模は東西12km,南北8kmに及ぶ.
火山体を構成するのは,古期溶岩類(100万年前),下部溶岩類,上部溶岩類,御鉢平カルデラ噴出物(3万年前),新期溶岩類(旭岳など:2-3万年前に活動開始)である.古期溶岩類から上部溶岩類までは御鉢平カルデラを取り巻くように分布している.これに対して,御鉢平カルデラ噴出物は御鉢平周辺のほかに北東の層雲峡から北西にかけて,および旭岳の南西に広く分布している.層雲峡,大函,小函などで断崖を形成している溶結凝灰岩は御鉢平カルデラ噴出物の一部である.新期溶岩類は主に旭岳の西方に広く分布している.この溶岩類は2-3万年前から活動を開始し約6,500年前まで溶岩を主に西方に噴出させた.旭岳の地獄谷は,約2,000年前の水蒸気爆発を引き金にして発生した岩屑なだれによってえぐられたものである.
深田久弥は勇駒別(旭岳温泉)から旭岳へ登り,間宮岳から中岳分岐を経て裾合平へ下っている.また,愛山渓から永山岳,比布岳,北鎮岳,雲ノ平(雲の平)を経て黒岳石室に行っている.そこから,烏帽子岳,赤岳を経て銀泉台へ降りている.広大な大雪山群に「四通八達している」道を縦横に歩いている感じである.
トムラウシ山
大雪山の高根ヶ原,平ヶ岳,忠別岳,五色岳,化雲岳,黄金ヶ原,そしてトムラウシ山周辺には広く大雪山の古期溶岩類が分布している.トムラウシ山北麓の北沼や天沼,ヒサゴ沼周辺のなだらかな地形は,御鉢平カルデラ噴出物と同じ時代の安山岩・玄武岩類で構成されている.
トムラウシ山と前トムラウシ山はより新しい溶岩円頂丘で,角閃石輝石安山岩およびデイサイトで構成されている.溶岩円頂丘に特徴的な細かい地形が残っていることから形成時期は最終氷期終了後と考えられている.
トムラウシ山を含む大雪山系の見所の一つは,構造土などの周氷河現象である.白雲岳東側の平地(白雲岳火口底)などの平坦面・緩斜面で見ることができる.トムラウシ山周辺では初夏まで湛水しているような凹地に礫質多角形土が形成されている.
十勝岳
十勝岳は十勝火山群の主峰で,北海道で最も活動的な火山の一つである.
十勝岳火山群は北から,オプタテシケ山,美瑛富士,美瑛岳,平ヶ岳(たいらがだけ),十勝岳,上ホロカメットク山,三峰山(さんぽうざん),富良野岳,南富良野岳と連なり北東-南西方向に配列している.これに直交する方向で上ホロカメットク山から下ホロカメットク山に連なる火山群がある.
十勝岳火山群の噴火活動は約100万年前に始まり断続的に継続してきた.この火山群の中で,現在最も活発に活動しているのが十勝岳である.
グラウンド火口は約5,000年前から3,000年前に活動した.1926(大正115)年の噴火は中央火口(大正火口)で発生,火口丘の西半分が崩壊し塩基性安山岩の火山弾・スコリアが噴出して.崩壊した火口丘は熱い岩屑なだれとなり大規模な泥流が美瑛,中富良野,上富良野に達した.62-2火口は1962(昭和37)年の噴火で形成されたものである.また,1988-1989年にも62-2火口で噴火が発生している.

白金温泉自然の村へ向かう道路から見た十勝岳:中央の三角が十勝岳の山頂である.

望岳台の登山道から見た十勝岳:62−II火口から噴煙が上がっている.
幌尻岳
幌尻岳は日高山脈の中で唯一標高2,000mを超える山である.幌尻岳から額平川上流,千呂露川上流にかけてはポロシリオフィオライト帯(日高変成帯西帯)の変成キュームレイトが分布して分布している.
日高変成帯は東西を白亜系に囲まれていて,ポロシリオフィオライト帯(西帯)と日高変成帯(主帯)に分かれる.日高変成帯は砂質・泥質および塩基性の変成岩や酸性ー超塩基性深成岩からなる島弧地殻であるのに対し,ポロシリオフィオライト帯はオフィオライトを源岩とする塩基性変成岩類からなる.この両者の境界が日高主衝上断層である.
このポロシリオフィオライト帯の中に変成集積岩(キュームレイト)が分布している.集積岩というのはマグマ溜まりの中で晶出した鉱物の集積(cumulate)によって形成された岩石のことを言う.
幌尻岳周辺の変成集積岩は斜長岩,トロクトライト(輝石をほとんど含まないかんらん石斑れい岩),斜長はんれい岩からなりダンかんらん岩を挟在している.これらの岩石は重力作用によって成層したリズミカルな構造を持っているが連続性がなく,固結途中で乱されたスランプ構造がよく見られる.
ポロシリオフィオライト帯は額平川の五ノ沢のやや下流から始まり,緑色片岩,緑れん石角閃岩を経て六ノ沢手前で変成集積岩となる.また,幌尻岳から戸蔦別岳に向かう吊り尾根は変成作用を受けた岩脈である変状角閃岩からなり,標高1,700m付近から1,800m付近には超塩基性岩が分布し,それより高いところには日高変成帯に属する中期始新世(5,200-4,000万年前)の斑れい岩質の深成岩が分布している.
深田久弥は額平川からではなく東の新冠川から遡上して七ッ沼カール,吊り尾根のルートで幌尻岳へ登り,再び七ッ沼カールの上の吊り尾根を通って戸蔦別岳へ行っている.全行程5日間である.
羊蹄山(後方羊蹄山)
羊蹄山は,その平面形がほぼ円に近い円錐形の成層火山で,安山岩の溶岩流,スコリアを繰り返し噴出して成長した.
この火山体には10ー5万年前に活動を開始した標高1,000-1,700mの古羊蹄山が隠されている.この古羊蹄山は約4.5万年前に崩壊し岩屑なだれ堆積物を山麓西方にまき散らした.国道5号の羊蹄付近でこれらの流山を見ることができる.
その後,現在の羊蹄山の山体が成長し古羊蹄山を完全に覆った.4.5-1.0万年の間,主に山頂からの爆発的な噴火と溶岩流出を繰り返し火山体が形成されていった.ふきだし湧水は1.5-1.0万年前に山頂付近から北東に流出した溶岩の末端からの湧水である.一方,南山麓の羊蹄自然公園付近の湧水は4.5-1.5万年前の溶岩から湧出している.
1.0万年より新しい噴出物は山頂から北西方向に流れたものと北西から北の山麓に分布する半月湖火砕丘や巽火砕丘(約6,000年前)などがある.
火山麓扇状地は山体の東側の標高約500m以下の緩斜面を形成している.
現在登山道は四方向から頂上に通じている.深田久弥は倶知安(比羅夫)コースから登っている.
また,松浦武四郎が,1858(安政5)年3月16日(旧暦2月2日)から登りはじめ,翌17日は2合目(雌岳に登ること二分許り)で一睡もできず一夜を過ごし,18日(旧暦2月4日)の午後頂上に達している.5合目付近で恵山,駒ヶ岳,えとも,などを間近に望むと書かれていて,松浦武四郎の登ったのは東からとされている.

西南西から見た5月初旬の羊蹄山
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://geocivil.asablo.jp/blog/2010/12/02/5552450/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。