丹保憲仁氏「環境の時代?」と内田 樹氏「日本辺境論」 ― 2010/11/24 18:53
2010年11月12日(金)に札幌の寒地土木研究所の講演会で丹保憲仁(たんぼ のりひと)氏が「環境の時代?」と題して特別講演を行った.
地球は人類にとって十分に大きいと思っていたが,今や地球は,人類にとって小さなものとなってしまった.爆発的な成長の時代(近代前期)を経て環境制約の近代後期に入っている.世界的な人口の増加,エネルギー・食料・水問題の深刻化など問題は多く,地球人口100億人の時代を迎える.
このような中で,日本は2000年に1億2,500万人になったが,人口減少に向かっていて2100年には7,000万人弱になると予測されている.このような急激な人口の継続的減少は最近では世界的に経験のない事態である.
江戸時代は日本国内(北海道を除く)のみですべての資源をまかなっていた.この時の人口は,3,000万人程度であった.この人口に北海道分を足した4,000万人程度が日本の国土で養える人口(グリーン人口)と考えると,現在は8,800万人が過剰と言うことになり,2100年でも3,000万人ほどが過剰と言うことになる.
いずれにしろ,日本は先進国で人口減少する後近代へ向かうという最先端の状態にある.これが丹保氏の主要な論点である.
日本では縄文時代中期(今から4,300年前頃)に人口が26万人まで増加し、その後,縄文晩期(2,900年前)に7万6千人まで急激に減少したという研究結果がある.この時は,弥生文化を創り出すことによって1,800年前(紀元3世紀)には約60万人まで人口が増加したとされている.生産技術が発達していなかったとは言え,この時は,まだ国土に十分な余裕があった.しかし,現在は過飽和の状態であり,技術の発達を持ってしてもこの過剰人口を支えるだけの生産力を確保することは難しい.
現在の日本の食糧自給率がカロリーベースで40%であることはよく知られている.1億2,500万人の40%と言えば5,000万人である.単純に考えれば,技術が進歩したとは言え,日本の国土で養えるのはこの程度の人口と言うことになる.
問題は,丹保氏が言うように先進国での人口減少の最前線に立った日本が,解決策を世界に示すことができるかどうかと言うことである.
さて,内田 樹(うちだ たつる)氏の考えの要点は「わたしたちがふらふらして,きょろきょろして,自分が自分であることに全く自信が持てず,つねに新しいものにキャッチアップしようと浮き足立つのは,そういうことをするのが日本人であるというナショナル・アイデンティティを規定したからです.」と言うことである.
また,「他国との比較を通じてしか自国のめざす国家像を描けない.国家戦略を語れない.そのような種類の主題について考えようとすると自動的に思考停止に陥ってしまう,これが日本人の際だった国民的性格です.」とも述べている.そして,このようなメンタリティは,日本列島の住民が歴史に登場した最初から華夷秩序(中華東夷秩序)の中に組み込まれたことに由来すると言う.
後漢の光武帝が「倭」の国王に金印を与えたのが西暦57年,弥生時代後期の初めである.卑弥呼が魏帝から「親魏倭王」の称号を授けられたのが西暦239年,弥生時代後期の最末期である.この頃から,日本列島の支配者は中華から遠く離れた蕃地を実効支配している王の一人として認識していたと言う.「列島の政治意識は辺境民としての自意識から出発した」
否応なく,社会発展が先進国の最先端になってしまった日本が,これからどのような国家を作っていくのかが今問われていることは間違いない.そして,最近の政府の動きを見ていると内田氏の指摘にうなずかざるを得ない.辺境人であるという自己規定を克服できるのだろうか.
石川日出志(2010)農耕社会の成立 シリーズ日本古代史①
内田 樹(2009)日本辺境論.新潮新書.
鬼頭 宏(2000)人口から読む日本の歴史.講談社学術文庫
丹保憲仁編著(2002)人口減少下の社会整備 拡大から縮小への処方箋.土木学会.