令和6年能登半島地震三ヶ月報告会2024/04/09 11:10

 2024325日(月)午前9時00分から午後240分まで表記報告会が開かれました。会場での開催はなく、ZOOM webinarYouTubeでした。

 主催は日本学術会議・防災減災学術連携委員会と(一社)防災学術連携体です。

 

 プログラムは次のとおりです。セッション1から4まで分野別に分かれていて、学術連携体ならではの総合的な報告会でした。

 全体の量は膨大ですが、一つ一つの講演は10分程度なので興味のあるものだけを聞けば負担にはなりません。

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司会:米田雅子(防災学術連携体代表幹事、東京工業大学特任教授)

 永野正行(日本学術会議連携会員、東京理科大学教授)


開会挨拶 三枝信子(日本学術会議副会長、国立環境研究所地球システム領域長)

趣旨説明 竹内 徹(日本学術会議会員、防災減災学術連携委員会委員長)

来賓挨拶 高橋謙司(内閣府 政策統括官(防災担当))

 

【セッション1令和6年能登半島地震について】

■日本地震学会「令和6年能登半島地震とその災害について」吾妻崇(産業技術総合研究所主任研究員)

■日本第四紀学会「津波堆積物を用いた能登半島地震による浸水高の推定」北村晃寿(静岡大学教授)

■日本火災学会「能登半島地震に伴う地震火災・津波火災について」西野智研(京都大学准教授)

■日本リモートセンシング学会「令和6年能登半島地震におけるリモートセンシングが果たした役割・成果」伊東明彦(株式会社ツクリエ)

■廃棄物資源循環学会「令和6年能登半島地震における災害廃棄物処理への対応」佐伯孝(富山県立大学准教授)

 

【セッション2 地形変化と土砂災害について】

■日本地質学会「令和6年能登半島地震震源域の変動地形と海陸境界断層」石山達也(東京大学准教授)

日本応用地質学会「令和6年能登半島地震の土砂災害とその応用地質学的な特徴」塚脇真二(金沢大学教授)

■砂防学会「2024年1月「令和6年能登半島地震」による土砂災害 」堤大三(信州大学教授)

■地盤工学会「令和6年能登半島地震により発生した液状化・側方流動被害」豊田浩史(長岡技術科学大学教授)


【セッション3 被災状況と対策、復興について】

■日本地震工学会「志賀原子力発電所の地震被害に関する速報」高田毅士(東京大学名誉教授)

■土木学会「令和6年能登半島地震によるライフライン被害」小野祐輔(鳥取大学教授)

■日本免震構造協会「能登半島地震における免震建物の挙動について」久田嘉章(工学院大学教授)

■日本建築構造技術者協会「令和6年能登半島地震を踏まえて_建築構造設計者として何ができるか」小林秀雄(日本設計執行役員フェロー)

■日本都市計画学会「復興の論点」加藤孝明(東京大学 教授)

 

【セッション4避難・救援について】

■日本災害看護学会「能登半島地震における中長期看護活動」酒井明子(福井大学名誉教授)

■日本災害医学会「令和6年能登半島地震への災害医療対応」近藤久禎(国立病院機構DMAT事務局長)

■日本公衆衛生学会「令和6年能登半島地震における公衆衛生活動」奥田博子(国立保健医療科学院上席主任研究官)

■日本災害復興学会「能登半島地震でのボランティア活動」頼政良太(関西学院大学助教)
■日本社会学会「二次避難による被災者の無力化と地域コミュニティ離散」阿部晃成(宮城大学特任助教)

■地域安全学会「石川県庁の能登半島地震対応へのアクション・リサーチ」菅野拓(大阪公立大学准教授)


閉会挨拶 和田 章(防災学術連携体代表理事、東京工業大学名誉教授)

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 今回の報告会では、それぞれの学会が地震後どのような活動を行ってきたかも紹介されました。興味深かった幾つかの報告の概要を紹介します。

 なお、この報告会の様子は防災学術連携体のホームページからYouTubeで視聴できます(2024年4月9日確認)。

< https://janet-dr.com/index.html 

 

<吾妻 崇氏>

 地震調査研究本部(地震本部)では地震翌日の1月2日に臨時会を開き評価文書を公表しました。1月15日には定例会議を開き津波浸水域、海岸隆起、陸域の変状について報告しました。

 2月29日には地震予知連絡会を開きました。3月12日にはワークショップを開きました。

 震源断層は南東傾斜で20235月に起きた能登半島沖を震源とする地震より深いところで発生しています。破壊は東から西へ進みその後、再び東に進みました。海底活断層は4m隆起していました。地表変状は2mの上下変動が記録されています。

 地震動は最大2,828ガルが記録され、揺れは数十秒間続きました。

地震学会としてはオンライン談話会を2月に4回行いました。30分の講演のあと30分質疑を行うという形式で、各回2名の発表を行いました。

 

<北村晃寿(あきひさ)氏>

 今回の地震の被災状況は、伊豆半島で類似の被災状況となる可能性を示しています。

 津波堆積物調査は、箕浦ほか(2001)が仙台平野で行い、宍倉(2010)も行っています。これらの調査で869年の貞観津波以前に1枚の津波堆積物が見つかっています。800年~1000年の間隔で巨大津波が起きています。

 津波浸水予測では、珠洲市・野々江地区では8.5mでしたが実際は4.3mでした。能登半島西海岸の輪島市・黒島漁港では地盤隆起が3.2mで津波高は2.95mでした。

 浸水高34mの津波堆積物の再検討が必要と感じます。

 

<石山達也氏>

 能登半島では過去にもマグニチュード6以上の地震がたくさん起きています。

 地震による地盤の隆起で海成段丘が形成されています。12.5万年前は現在と海水準がほぼ同じでした。半島の北東部は12.5万年前以降100m以上隆起しています。半島の北岸に沿って隆起量分布図を作成しました。猿山岬で4.7mの隆起量です。

 完新世の海成段丘も形成されていて、L2面は標高4.5m、L3面は同じく2.3mです。

 国交省の日本海東縁海底活断層図のF43が今回の震源断層です。この断層と今回の地震の余震分布は一部合っていないところがありますが、ほぼ合っています。海陸統合探査によって陸域の断層と海域の断層を総合的に把握する必要があります。

 

<塚脇真二氏>

 地震が起きた時の感じは、ゆっくりした揺れが長く続いたということでした。

 応用地質学会としては、12日には災害本部を設置し、15日から7日にかけて情報収集を行いました。123日に災害調査団を結成しました。25日には奥能登へ調査範囲を広げました。

 金沢北稜高校の校庭の谷埋め盛土が崩壊しました。この付近は震度5程度でした。崩壊した土砂は、北陸自動車道の手前で止まりました。古い擁壁がそれなりの効果を発揮しました。崩壊土量は約5万立方メートルです。

 写真でいくつかの土砂災害を紹介します。

 内灘町の液状化、志賀町の盛土沈下、珠洲市・若山町の隆起などです。火砕岩分布域の崩壊が激しいです。景勝地での崩壊も袖ヶ浜、鴨ヶ浦、見附島、トトロ岩などで発生しました。

 今後、10月の日本応用地質学会・研究発表会で報告することを考えています。

 

<豊田浩史氏>

 地震による液状化について報告します。

 震源から160kmの所で液状化が起きています。新潟市の砂丘縁辺では海岸沿いの6.5㎞で液状化が起きています。砂丘の陸側の低地部です。旧河道部では側方流動が起きています。

 金沢市のすぐ北の内灘町では緩い砂層と浅い地下水が液状化の原因となっています。内灘町・室では側方流動が起きています。

 

<久田嘉章氏>

 地震による建物の揺れを軽減する方法としては耐震構造と免震構造があります。

 耐震構造では、ある程度建物を揺らして一部は壊れるけれど致命的な被害を受けません。これに対して免震構造では、地震動を吸収して建物の揺れを低減します。ですから、免震構造がより優れています。

 免震構造は、建物をゆっくり震動させるアイソレータ(支承)と揺れを抑えるダンパーからなります。配管が追随するようにし、ケガキ盤(ケガキ式地震変位記録装置)で地震動を記録します。

 今回の地震では、七尾市の恵寿総合病院の免震棟は無事でしたが耐震棟は被害を受けました。ただ、免震棟の周囲の地盤が沈下しました。

 特に公共施設は免震構造化が必須と考えます。建物が壊れないので瓦礫が出ません。建物が無事なので避難先にもなります。

 

<小林秀雄氏>

 今回の地震動は、0.1秒~0.2秒と23秒の周期にピークがみられます。石川県では74,000棟が被害を受けました。新耐震基準の建物では被害家屋は8.7%、平成122000)年以降の耐震基準の建物では2.2%でした。

 BCP(事業継続計画)が浸透し、人の命を守ることと日常生活を維持することができるようになってきています。

 大正関東地震の破壊域は、東京から箱根までの距離に相当する長さです。

 全国の耐震化率は平均87%です。

 

<加藤孝明氏>

 復興の論点についてです。

 今回の地震でもタスクフォースの派遣はうまくいきました。被害調査を含めて復興ボードを立ち上げました。社会的役割を自覚し、円滑に速やかに適切に行動することが必要です。様々な分野の連携が大事です。

 人の顔が見えるスケールでの復興支援が必要です。そのために、総合的な地域づくりのための復興討論会を組織しました。様々な知見を集約し創発(個々の要素間の相互作用が全体に影響を与え新たな秩序が形成されること)を行い適時性のある提言を行いました。

 能登半島では2007年にも地震が起き被害が発生しています。人口減少、働き方改革、団塊世代の引退などが問題となっています。

 復興の目標をどこに置くか。

 今までは元に戻すことが復興の目標でした。今後は、二度と同じような被害は起こさないという視点での復興が必要です。

 関東大震災の復興では地域の持続可能性の回復を目指し、街の機能の復興にプラスして地域文化の継承が考慮されました。

 社会のレジリエンスを構築することによって早期復興が可能になります。復興には不連続性と連続性があります。これらを考慮したビジョン型の復興が必要です。

 

<感 想>

 防災学術連携体らしい総合的な報告会です。ここで紹介した以外にも興味深い報告が多くありました。

 東日本大震災の復興を経て、これまでの復興のあり方が問われているのを感じます。加藤氏が言う「人の顔が見えるスケールでの復興」が重要だと思います。

 建物の免震構造の重要性は、もっと知られてよい話です。今回の地震では古い建物の倒壊が多く発生しました。既存の住宅を地震の被害から守る工法としては、費用の面から耐震あるいは制震が現実的なようです。

 

 防災学術連携体では2024730日に「令和6年 能登半島沖地震・7か月報告会」を開きます。

 

 

 

 

雪が融けたモエレ沼公園2024/04/05 17:30

 今日は風もなく穏やかな天気なので、走ってモエレ沼公園に行ってきました。


 モエレ沼公園は札幌市の北東にある公園で、三日月湖の中をゴミで埋め立てて造った公園です。

 2022年度のモエレ沼公園の訪問者数は98万人で、札幌市の公園では円山動物園の73万人を上回っています(北海道新聞、202443日)。


 イサム・ノグチが死の直前に設計した公園です。標高62mのモエレ山もプレイマウンテンもゴミの山です。ですから、2005年に全面開園して20年近く経つ今でも、公園内は火を使えません。メタンの発生が懸念されるためです。

 

タマネギ畑

写真1 タマネギ畑と手稲山

 モエレ沼公園に行く途中です。まだ一面、雪が残っています。この日はアスファルトの水溜まりに氷は張っていませんでした。暖かい穏やかな天気です。

 

タマネギ畑

写真2 タマネギ畑と藻岩山と手稲山

 すっかり雪が融けたタマネギ畑です。畑には所々に水溜まりがあり、水はけが悪いのが分かります。

 

モエレ沼

写真3 まだ氷が残るモエレ沼

 札幌市の東区から北区のあいの里に抜ける道道脇付近のモエレ沼です。遠くに見える橋は、水郷西大橋です。モエレ沼を渡る橋は三つありますが、その名前と方角が一致していないので注意が必要です。

 

プライマウンテン

写真4 プレイマウンテンとテトラマウンド

 プレイマウンテンの西斜面にはまだ雪が残っています。

 

モエレ山

写真5 モエレ山

 今年も東斜面で全層雪崩が起きたようです。西風が強いので、上の方は雪が風で飛ばされてあまり積もりません。

 

西を見る

写真6 モエレ山の頂上から西を見る

 分かりにくいですが、右に手稲山。左に藻岩山が見えます。

 

雪捨て場

写真7 雪捨て場

 モエレ沼公園の南西にある雪捨て場です。今年は雪の量が少ないようです。

 

 

 



本の紹介:色の図鑑2024/04/03 21:52

色の図鑑

 ingectar-e著、桜井輝子 監修、色のひみつがすべてわかる! すごすぎる色の図鑑。KADOKAWA202210月 初版、20237月 8版。

 

 この本の表紙自体が色のすごさを示しています。

 

 「CHAPTER 1 色のきほん」では、色の正体、テレビ・スマホの画面の色やカラー印刷の色がどうやって表現されているのか、色相・明度・彩度についての説明から始まり、色が精神に及ぼす影響について述べています。

 

 「CHAPTER 2 色のふしぎ」では、色の名前の由来、世界各国での色の感じ方の違い、点描画の秘密などなどが説明されています。

 

 「CHAPTER 3 色のべんり」では、みんなが同じ色に見えるわけじゃない話から始まって、色のイメージが時代・国・文化によって違うことや世界で一番好まれる色は何かなど興味深い話が載っています。

 

 カラーユニバーサルデザイン(CUD)についての説明や色弱の人に色がどう見えているかのカラーでの説明など、すごく勉強になります。

 

 すべての漢字にルビが振ってあるので、興味さえあれば小学校の高学年で読むことができます。なんと言っても、色々な色が例示されているので、非常に理解しやすいです。



佐竹健治教授の最終講義2024/03/27 15:21

 東京大学地震研究所の佐竹健治教授の最終講義が、2024318日午後1時半から午後2時半まで、東大地震研究所の会場とオンラインで開かれました。私はzoomで視聴しました。

 講演のタイトルは「同時代の地震から学んできたこと」です。概要を紹介します。

 

 佐竹氏は、1982年に北海道大学理学部地球物理学科を卒業し、1987年に東京大学で学位を取得しました。1988年から1995年までカリフォルニア工科大学、ミシガン大学で教職に就いたのち、1995年に地質調査所に入所しました。その後、2008年に東大地震研究所に入り、所長を務めた後、20243月に退職しました。

 

 この間、1983年の日本海中部地震、1992年のニカラグア地震、2004年のスマトラ・アンダマン地震、2011年の東北地方太平洋沖地震を経験しています。

 

 北大では横山 泉教授のもとで研究を行いました。この時、2011年の東北地方太平洋沖地震発生時に政府の地震調査委員会の委員長を務めていた故阿部勝征氏が一緒でした。

 

 1983年の日本海中部地震の時には北大の有珠観測所にいて、有珠近辺の地震でないことはすぐに確信しました。テレビで輪島港の津波の映像を見ていました。地震の発生は526日午前1159分で、1214分に大津波警報が発令されました。津波による犠牲者は100名で、この中には能代港で41人(多分35人)の死者、男鹿市の加茂青砂小学校の児童13人の犠牲者が含まれています。

 

 この地震では、積丹半島に3mの津波が襲来しました。61日にはメカニズム解を出し讀賣新聞が正断層型と報じました。表面波の解析も行い、モーメントマグニチュード(Mw7.8という結果を得ました。

 日本海で発生する地震に関連して、1940年の積丹半島沖地震と1964年の新潟地震の見直しが行われ、水路部がこれらの地震による海底隆起を確認しました。

 また、地震による自由震動や検潮所のデータを用いて津波波形インバージョン解析(逆解析)を行いました。1990年から津波波形インバージョン解析は迅速にできるようになりました。

 

 1992年のニカラグア地震は、津波地震で最大10mの津波が襲来しました。

 

 カスケード沈み込み帯の1700年地震の液状化の調査を行いました。この地震はマグニチュード9で、震源断層の長さは1,000kmでした。

 

 1995年に地質調査所に入所して霧多布湿原での津波堆積物調査を行いました。泥炭と火山灰が積み重なっていて、その間に十勝根室沖で起きる地震の砂質津波堆積物が挟まっています。

 

 2004年にスマトラ・アンダマン地震(スマトラ島沖地震)が起きました。15分後に震源を推定し65分後にはマグニチュード8.5としました(最終的にMw=9.1)。この時、太平洋沿岸諸国には津波警報を出すネットワークができていましたが、インド洋沿岸諸国は入っていませんでした。死者は228,000人で、ヨーロッパから来ていた観光客がかなり犠牲になりました。

 アンダマン島で津波堆積物調査を行いました。その結果、アンダマン島では北部が隆起し南部が沈降している証拠を得ることができました。

 

 日本海溝でマグニチュード9クラスの連動型巨大地震が起きる可能性は、2008年にはわかっていました。石巻平野や仙台平野で869年の貞観地震津波の堆積物が見つかっていました。1896年(明治三陸地震津波)、1933年(昭和三陸地震津波)、1960年(チリ地震津波)、2011年(東北地方太平洋沖地震)の津波堆積物があります。

 

 東北地方太平洋沖地震津波の波形は、釜石沖の波高計が捉えていました。それを見ると最初はゆっくりと水面が上昇して、その後急激に上昇しています。869年の地震と1896年の地震が同時に発生したような波形です。

 

<感 想>

 佐竹氏が地質調査所に入った1995年は、地質調査所の発注で私たちが大成町・平浜で北海道南西沖地震の津波堆積物調査を行った年です。以後、道東の厚岸町・国泰寺前で行った津波堆積物のトレンチ調査や浜中湿原での津波堆積物調査でも一緒に作業をしました。


 私にとって印象的な佐竹氏の仕事は、1741年の渡島大島山体崩壊による津波について決着をつけた論文です(Satake, K. and Kato, Y. , Geophys . Res . Lett . , 28 , 427-430 , 2001 .)。

 渡島半島の西海岸には、あちこちに渡島大島の1741年の火山灰が見られるので渡島大島が噴火したのは確かなのですが、津波の規模が大きすぎるという意見が多数だったように思います。この論文は、渡島大島の北側の海底の深度1,200m付近まで崩壊跡があり、その先深度2,000m付近まで流山を含む移動土塊があることを明らかにしたものです。

 

シンポジウム 北海道の地震火山現象2024/03/19 16:49

 2024316日(土)午後1時から4時まで、北大学術交流会館の会場とYouTubeで行われました。YouTubeで視聴しました。

 

 プログラムは以下のとおりです。

 

 開会挨拶

高橋浩晃氏:十勝根室沖のひずみ蓄積状況と超巨大地震

青山 裕氏:十勝岳の観測研究から見えてきた活動変化と内部構造

ポスター展示による研究紹介(休憩時間)

橋本武志氏:北海道の地下構造〜電磁気で見る地震・火山噴火の発生場

西村裕一氏:地質痕跡に基づく北海道における長期地震活動の特徴

質疑応答・閉会の挨拶

 

高橋浩晃氏

 北海道は海に囲まれています。

 

 日本海沿岸では1940年に積丹半島沖地震、1964年に新潟地震、1983年に日本海中部地震、1993年に北海道南西沖地震、2007年に新潟県中越沖地震、そして2024年の能登半島沖地震などが起きています。

 

 千島海溝では、2004年の釧路沖地震以来、大きな地震は起きていず、現在も静穏期が継続中です。たまたまです。

 古文書の記録としては厚岸町国泰寺に保存されている日観記に1843年の十勝沖地震の記録があり、1939(大正14)年以降は地震記録がそろっています。

 

 古文書に残っていない、より古い記録は、津波堆積物の調査で明らかにされています。浜中町の調査では6,000年前からの津波堆積物が確認されています。

 

 地震の発生確率は、簡単に言えば地震の起こりやすさです。

 政府の地震調査研究推進本部(地震本部)では根室沖でマグニチュード7.88.5程度の巨大地震が起きる確率は80%程度としています。千島海溝南部ではマグニチュード8.8の超巨大地震が起きる確率は740%で、同じ方法で計算すると南海トラフ地震の発生確率は20%となります。

 

 道東の太平洋側では津波被害が甚大になります。津波浸水想定では釧路川を津波が10㎞遡るとされています。

 

 千島海溝でどんなプレート境界地震が起きるかを明らかにするために海底の動きを観測しています。海底地殻変動観測です。

 まず、海底⾯に基準点となる標識を設置します。船などで基準点の直上まで行って船と基準点の距離を測定します。船の位置は衛星測位技術で計測します。これによって、ある時間でどの程度海底面が動いたかが分かります。現在、三つの基準点を設置して観測をしています。

 

 プレート間巨大地震では、2011年東北地方太平洋沖地震のように浅いところで広い範囲にわたってひずみがたまって超巨大津波を起こすタイプと2003年十勝沖地震のようにやや深いところにひずみがたまっていて巨大津波を起こさないタイプがあります。

 今までに得られたデータでは十勝根室沖では2011年タイプのひずみの溜まり方をしていると考えられます。十勝根室沖では全域が固着していて、地震が起きた場合の最大モーメントマグニチュードは9.3と想定しています。

 

<青山 氏>

 十勝岳は大雪山国立公園の一部であり、史跡名勝天然記念物であり、十勝岳ジオパークです。

 

 十勝岳で現在盛んに噴気を上げているのは前十勝の東にある62II火口です。

 十勝岳の近年の噴火は、1926年のマグマ水蒸気噴火と中央火口丘の崩壊による土石流の流下、1962年の準プリニー式噴火、1988年~1989年にかけての噴火です。この3回の噴火の間隔は36年と26年で、現在すでに最後の噴火から35年経過しています。

 

 十勝岳の火山活動はマグマ噴火の先行現象があります。昔は大正火口付近で硫黄の採掘を行っていました。噴火活動が活発になる前に熱活動が活発になる、硫黄が出る、体感地震がある、地表に亀裂ができるといった現象がありました。

 

 地表面の変動については1964年から気象庁がデータをそろえています。62-II火口では噴気が連続的になり一時衰退した後、2018年から再び活発になっています。


 望岳台と前十勝の距離を測定しています。それによると12年間で50㎝長くなっています。地下の浅いところで膨張していることを示しています。

 

 北大では2014m年から精密観測を行っています。その結果によると、20155月~7月にかけて山体の膨張が加速し山が盛り上がって割れ目が形成されました。

 2005年までは安定した活動で2006年から2018年は静穏になり2018年以後活発になっています。地磁気、温度、圧力を観測し解析を行いました。

 201911月には前十勝観測点で1ラジアンの地殻変動が観測されました。この変動の場所が移動しました。モデル計算をしたところ前十勝の地下500mで円盤状物質が収縮しているという結果となりました。

 

 2020914日には深いところの情報を得ることができました。海面下1㎞の深いところに変動源があると考えられます。

 富良野川の深さ2030㎞の位置で深部低周波が観測されています。

 

 マグマ噴火は切迫していません。火山ガスを衛星画像で観測した結果、1日数百トンの火山ガスが出ていることが分かりました。

 20227月には地温が80℃になりました。山体は安定していますが、変質作用が進行して山体を保持する強度が弱くなっている可能性があります。

 

<橋本武志氏>

 電磁気を利用した地下構造探査を行い地震発生・火山噴火の発生場を探っています。

 

 北海道の地質は約1500万年前に三つの地質体が合体して出来上がりました。現在は太平洋プレートが年8㎝の速度で移動し北海道を圧縮しています。活断層の走向は南北で、活火山は千島海溝、日本海溝に並行に分布しています。

 

 地下構造探査では地下の伝導度を測る電磁気探査を用います。マグマは電気を通しやすく、震源分布は電気の通りにくい、やや硬いところに集中しています。

 電磁探査の方法はマグネトテルリク法(MT法)で、磁場センサと電場センサを用いて自然の地磁気と地電流を観測します。測定器を設置して数週間、観測を続けます。

 

 北海道を東西に横切る測線で観測を行いました。

 

 支笏湖から日高山脈を横断して十勝川河口に至る測線では、地下50kmまで探査できました。結果は次のようでした。

・日高山脈の下は硬くてガチガチの状態です。

・日高山脈の西側に地震帯があります。

・石狩平野、十勝平野は厚い堆積層です。

・支笏カルデラの地下には電気の通りやすい塊があり、マグマがあると推定されます。

 

 増毛山地から富良野盆地を通り、十勝岳から中標津に抜ける測線で探査を行いました。結果は次のようでした。

・富良野盆地の下に柔らかい物質があります。

・富良野盆地では、深度2040kmに電気の通りやすい領域があります。この領域の周囲で深部低周波地震が起きています。

・十勝岳から大雪山にかけて巨大な低比抵抗物体があります。マグマの供給系だと推定されます。

・この物体の周りで深部低周波地震が発生していて、真上に大雪山系と十勝連峰があります。これはマグマ溜まりの元になるマグマレザーバで、粥状のマグマがあると考えられます。

 

<西村裕一氏>

 最初に、能登半島地震の津波痕跡調査に行ってきたので、その話をします。

 砂浜の海岸には浮遊物の帯ができています。これが津波の遡上した位置を示しています。遡上限界は5m以下でした。

 珠洲市の永橋漁港では地盤が2,2m隆起していました。サンゴ藻(サンゴモ)が付着している位置が地震前の海面です。

 気象庁の津波観測装置は津波で破壊されて観測不能になっていました。

 

 津波の履歴調査は自然現象と社会環境とに目配りが必要です。古文書や伝承は人の住んでいるところのデータです。北海道では1611年の津波の記録が最も古く、300年少し前までしか分かりません。そこで、津波堆積物の調査が役に立ちます。

 

 2011年の東北地方太平洋沖地震の津波堆積物調査を行いました。海の砂が仙台平野一面を埋め尽くしていました。この砂を掘ると1611年の津波堆積物、915年の十和田火山灰、869年の津波堆積物が確認できました。

 

 北海道・浦幌町の海岸から500mほど内陸で津波堆積物の調査をしました。ここは、人が住んだ痕跡がなく川の流路もありません。歴史時代の津波堆積物は、ここまで達していません。数千年間には海岸線の位置も変わりますし、砂丘の発達具合によっては津波が遮られます。

 ここでは、3,000年間に8回の巨大津波がありました。平均間隔は350400年です。2007年には500年間隔地震津波が想定されるようになりました。

 

 このような長期評価は決定論的評価で超大規模地震津波を想定しハザードマップを作り避難タワーなどを設置します。

 これに対して、確率論的評価ではさまざまなケースを考えて津波の全体像を明らかにし、小さな津波も評価します。これは保険料率の設定に利用されます。

 

 日本海沿岸は古い津波の記録がなく情報不足で確率論的評価になります。

 オホーツク海沿岸は津波被害の記録がなく、津波堆積物も確認されていません。

 

 注意が必要なのは根室海峡沿岸です。ここでは津波堆積物が見つかっています。


 千島海溝沿岸では、花咲に20m以上の津波が2,500年で7回襲っています。別海では2,500年で2回、国後島の泊で2,500年に3回の津波、色丹島で6回の津波がありました。

 

 襟裳岬から西では17世紀に巨大津波があり、高さ10mの段丘の上を500m浸入しました。1610年の慶長奥州津波の可能性があります。

 

<感 想>

 電磁気探査による地下深部の構造解明は非常に興味深いものでした。支笏カルデラのマグマ溜まり、大雪連峰・十勝連峰へのマグマ供給源と考えられる巨大な低比抵抗物質など、いつ爆発的噴火が起きるか分かりませんが、人類が記憶していない巨大な噴火が起きる可能性を否定できないデータのように思います。

 

 北大地震火山観測研究センターの一連の講演会は、非常に興味深い内容です。