「北方領土」返還論のおかしさ2016/12/07 14:26

 明治十七(1884)年7月,千島列島の一番北にあるシュムシュ島のアイヌ民族19戸・97名がシコタン島に強制移住させられました.
 これは,明治八(1875)年8月に批准された樺太千島交換条約で,千島列島全島が日本領となったためです.
 当時の千島列島は,エトロフ島のすぐ北のウルップ島とシムシル島にはアリュート民族,24軒・90人が住んでいました.千島列島の北の端,シュムシュ島にはアイヌ民族が住んでいたのです.
 ウルップ島にもシュムシュ島にもロシア正教の教会が一つずつありました.この頃のシュムシュ島のアイヌ民族は,ロシア人との接触が長かったのでロシア文化の影響を受け,ロシア正教の信徒が多い上,名前もロシア人風でした.このような状況を変えるために,明治政府はシュムシュ島を拠点とするアイヌ民族に物資を輸送し,獣皮類の交易を行いました.
 さらに,冒頭で書いたようにシコタン島への強制移住を行ったのです.

 しかし,新しい環境に適応できなかったシュムシュ島のアイヌ民族は減少し続け,第二次世界大戦直前には数名を数えるに過ぎなくなったのです.
(以上は,榎森 進,アイヌ民族の歴史.草風館,2007による)

 「日本国民」として扱い,強制的に移住させた人たちの故郷を日本に取り戻さなくて良いのでしょうか.
 確かに,歴史的にみると「択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる北方領土は、私たちの父祖が開拓し受け継いできたもので、未だかつて一度も外国の領土となったことのない我が国固有の領土です。」(北方領土復帰期成同盟のウェブサイト)というのは,納得できないではありません.
 しかし,平和的な交渉によって日本の領土となった地域を放棄するというのは,どう考えてもおかしいと言わざるを得ません.腰を据えて取り組まなければならないことですが,原則を譲ってしまっては,それこそ孫子の代に顔向けできないでしょう.