〜4つの土木遺産と高速道路トンネル工事現場〜2014/10/23 13:37

土木遺産シリーズ5
港町小樽のインフラ100年の物語
〜4つの土木遺産と高速道路トンネル工事現場〜

 2014年10月18日(土)に行われた土木学会北海道支部主催のバスツアーです。案内は,原口征人氏(北海道開発技術センター)と石川氏でした。
 見学地は,張碓橋,小樽斜路式ケーソンヤード,小樽港北防波堤,小樽総合博物館,奥沢水源池,北海道横断自動車道天狗山トンネル工事現場でした。小樽総合博物館,天狗山トンネルを除いて,いずれも土木学会推奨土木遺産です。


写真1 旧国道5号 張碓大橋

 快晴の札幌を出発し国道5号を通って小樽に向かいました。途中で,旧国道5号に架かる張碓橋を見学しました。この橋は,1933(昭和8)年に架けられました。北海道で初めて造られた形式の鋼アーチ橋で,橋長は72m,中央径間長は48mです。現在も現役として使われていて,見学時にも大型ダンプカーが通っていました。


写真2 小樽築港のケーソンヤード
 クレーンとケーソを組み立てる台座です。台座の下にコンクリートの斜路があり,陸上で製作したケーソンを進水させます。2005(平成17)年に最後のケーソンが進水し,役目を終わりました。

 次は,小樽港の斜路式ケーソンヤードです。斜路と言うのは,ケーソンを組み立てる床が坂(斜路)になっていて,斜路の上の水平な台座で製作したケーソンを斜路を使って海に浮かべる施設です。下のサイトに,ケーソンを海に浮かべる様子の連続写真があります。
( http://www.umeshunkyo.or.jp/108/prom/230/page.html )
 場所は,国道5号を札幌から行った場合,平磯岬のトンネルの手前を海側に曲がって,岬を過ぎたクレーンが立っている場所です。小樽開発建設部小樽港湾事務所の「みなと資料館」があります。


写真3 ケーソン台座とコンクリートの斜路
 保存されている施設は1912(大正元)年に完成したものです。

 第4代北海道長官の北垣国道に,廣井 勇が小樽築港の必要性を説き,内務技監の古市公威の承認を経て1897(明治30)年に北防波堤が着工されました。この当時,外洋に面した防波堤を作るというのは,技術的にかなりの冒険であったと思われますが,札幌への物資などの運搬や道内の鉱工業生産物を運び出すための拠点としての必要性があったと思われます。1882(明治15)年には石狩炭田の幌内と小樽の手宮を結ぶ鉄道が開通しています。
 最初のケーソン製作から120年近くが経っているわけですが,ケーソンで建設された防波堤は,今も現役で残っています。もう一つ,この工事で特筆すべきことは,モルタルブリケットと呼ばれる平たいヒョウタン型のモルタル供試体を約6万個作成し,1937(昭和12)年まで約40年間,経年変化の調査を行っていることです。現在も約4千個が保管されています。


写真4 ケーソンヤードから見た南防波堤
 第1期工事として北防波堤(L=1708m) が造られ,そのあと第2期工事として1908(明治41)年から南防波堤(L=932m) と島防波堤(L=915m) が造られました。この第2期工事で,コンクリートケーソンが採用されました。


写真5 北防波堤の斜塊
 北防波堤ではコンクリートブロックを隣のブロックに,も垂れかかるように斜めに積んだ部分(丙部)があります。この斜塊(斜めのブロック)の地表側が水平になるようにこのような形のブロックを製作しました。このブロックの骨材には,玉砂利のほかに角張った砕石が使われています。角がある骨材の方がコンクリートが丈夫になるという考えからだそうです。様々な工夫がなされました。


写真6 小樽港北防波堤
 この下には砕石によるマウンドがあり,波による洗掘を防ぐブロックが設置されています。

 小樽港南防波堤の付け根から海岸道路を通って北防波堤の付け根に行きました。北防波堤が,小樽港の外洋防波堤の原点です。ここでは,甲,乙,丙の三つのタイプの積み方が使われました。甲部は現場打ちコンクリートブロックを積んだもの,乙部はブロックを直に積んだもの,丙部はブロックを隣のブロックに,もたれかからせて積んだものです。この丙部の積み方は,スローピングブロック(斜塊)工法と呼ばれた工法です。北防波堤の付け根付近は埋め立てが行われ地形が変わっていて当時の防波堤の付け根がどこか,はっきりと特定できないようです。

 この北防波堤の内側に,石炭の積み出しが行われた高架桟橋が設けられました。この高架桟橋は長さ約400mで,桟橋の上から石炭を船に落とし込むという方法で積み込みを行いました。この様子を示した模型は,小樽総合博物館に展示されています。また,下のサイトに1925(大正14年)6月発行の「小樽港湾市街図」(縮尺1万分の1)が載っています。この図では,1914(大正3)年〜〜1923(大正12)年にかけて建設された小樽運河の埋め立て地が,「第一期修築工事」として赤い斜線付きで表示されています。現在,運河公園となっている「日本郵船 船入澗」も描かれています。
( http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002415552_o.html )


写真7 小樽市総合博物館の機関車庫
 レンガ造りの機関車庫で,左が1号,右が3号です。1号機関車庫は片屋根になっていて後ろに雪が落ちます。3号機関車庫は前と後ろに屋根が傾斜しています。その前に機関車の方向転換を行う転車台があります。国の重要文化財ですが,現在でも使われています。

 次に向かったのは,小樽市総合博物館です。鉄道マニアにはおなじみの博物館だと思いますが,今回はレンガ造りの機関車庫を主に見ました。その前に,博物館に展示されている高架桟橋の模型を見ました。石炭を積んだ貨車が自走してきて石炭を落としたあと独りでに戻っていくという仕掛けがしてあったそうです。
 機関車庫はレンガ造りで機関庫の前には転車台があります。そのため,機関庫は扇型になっています。内部は補強用の鐵の支柱と梁が設けられていますが,良く保存されていて,車体の下を検査する溝もそのまま復元されています。1909年にアメリカで製造された蒸気機関車,アイアンホース号が構内の線路を走っています。


写真8 アイアンホース号
 1909(明治42)年にアメリカで製造された機関車で,博物館構内の線路を走ります。
 

写真9 運河公園
 日本郵船の建物の前の運河公園です。ここには,かつて船入澗がありました。噴水の右端の直線に並んだ黒い敷石が,当時の船入澗の範囲を示しています。公園の向こうは運河です。

 昼食の場所に向かう途中で運河公園に寄りました。日本郵船の建物の前で,かつてはここに船入澗がありました。公園の石畳の広場に船入澗のあった場所が色の違う黒灰色の石で示されています。

 昼食は,中央バス小樽バスターミナルの近くの天ぷら屋に入りました。割合,空いていて,揚げたての天丼を食べました。昼休みは,運河の海岸側を歩きました。運河へは於古発川が流れ込んでいて,海へは第三号埠頭と色内埠頭の間で繋がっています。


写真10 奥沢浄水場
 4つの池が並んでいます。左に取水塔からの水の入口があり,右の白い建物のポンプで配水していました。緩速濾過方式で1日約6,000トンの水道水をつくっていました。池に敷き詰められた砂は,石英がキラキラ光る川砂だと思います。

 小樽市の水源であった奥沢水源池は,勝納川(かつない・がわ)の中流にありました。1914(大正3)年に心壁式アースダムとして建設された「奥沢ダム」は,2011(平成23)年にダム堤体に陥没箇所が見つかりダムとしての役割を終えました。現在は,中央部を掘削され勝納川支流の二股沢の水を流しています。奥沢水源池を有名にした階段式溢流路は,勝納川本流の水を流していて現在も健在です。
 まず,水源池の下流にある浄水場を見ました。4つの濾過池を交互に使って緩速濾過方式で1日約6000トンの浄水を造っていました。すでに使用を止めてから4年近くが経っていますが,濾過池の表面には,ほとんど草が生えていません。水の通りが良いためではないかという話でした。
 ダム堤体の左岸に登りました。取水塔が目の前です。上流には人家は一軒もなく,天狗山,於古発山,松倉山,毛無山に囲まれています。


写真11 開削された奥沢ダム
 アースダムで,中心に粘土の遮水壁を持っていました。堤の高さは約28m,貯水量は約42万立方メートルでした。手前の流れは階段式溢流路からの勝納川本流の水で,堤体を横断して流れてくるのは支流の二股沢の水です。右奥に取水塔が見えます。右の水色の橋には浄水場への導水管が通っています。


写真12 階段式溢流路
 ダム左岸に設けられた洪水吐(こうずいばき)からの水を流す流路です。

 最後は,現在工事中の北海道横断自動車道・天狗山トンネルの現場です。延長2,978m,縦断勾配は約1.6%で,地山は新第三紀中新世の含軽石火山砕屑岩類です。掘削幅は約12m,掘削断面積は92m^2です。掘削は,余市側から行われていて,いわゆる「突っ込み」での掘削となっています。緩く下りながらトンネルを掘っています。トンネル開通は2018(平成30)年の予定です。


写真13 天狗山トンネル余市側坑口
 右にベルトコンベアがあり,左の送風管の下にトンネル排水が出てきています。

 この日は,坑口から992mまで掘削が進んでいました。坑口排水量は毎分約1,000リットルで当初予想より多いそうです。1日平均6mで掘進が進んでいるとのことでした。
 このトンネルでは,ズリ運搬にベルトコンベアを使っています。また,覆工コンクリートの養生をアクアカーテンで行っています。これを使うことで,コンクリート打設の翌日には型枠を外してアクアカーテンでの給水養生を行うことができ,質の良いコンクリートができるとのことでした。アクアカーテンは覆工コンクリートに接する面が透水性・保湿性の繊維からできていて給水養生が可能となっています。


写真14 坑口部の支保工
 坑口部の支保パターンは,DIIIa-H-Kで,鋼アーチ支保工はHH-154を使っています。ロックボルトは側壁付近にのみ片側3本づつ打設していて,上半120度の範囲にフォアポーリング(先受けボルト)を打設していると思います。

 現在,NEXCOでは,鋼アーチ支保工は高規格鋼を使っています。DIパターでは鋼アーチ支保工はHH-100(従来は,NH-125),DIIパターンでも鋼アーチ支保工はHH-108(同NH-150)ですので,これまでと比べると頼りない感じがします。
 坑口から300m付近は小樽北照高校の野球場の下を通ります。このグラウンド造成時の切土で地すべりが発生しています。この区間は,補助工としてAGF工法を24シフト(216m:設計時)施工しているため,上半にはロックボルトを打ち込んでいません。
 見学時(2014年10月18日)現在,切羽は坑口から約1,000mですから,於古発川の下を通過するやや手前あたりに達しています。今回切羽を見ることはできませんでしたが,色々と勉強になりました。


写真15 給水養生の様子
 覆工コンクリートを給水養生しています。ズリ運搬がベルトコンベアなのでトンネルの中がきれいな感じがします。


写真16  地すべり直下の支保パターン
 DI-S-a-KM パターンで,鋼アーチ支保工はHH-100を使用しています。ロックボルトは側壁のみです。

 トンネルに入る前に見せてもらったトンネル掘削の様子を写したDVDは非常に良くできていて,トンネルの掘削工程が分かりやすく描かれていました。


写真17 北の誉の酒蔵見学
 酒を搾る機械です。ここから出てくるのが槽口酒(ふなくち・さけ)なんだそうです。

 最後は,北の誉の酒泉館です。1901(明治34)年創業の小樽の酒造りです。奥沢水源池下流の勝納川の河畔にあります。醸造している工場を,製造工程の逆に案内してもらいました。良い香りが漂っていて,なかなか良い感じでした。700円弱の純米吟醸酒の小瓶を買いました。うまかったです。

 このツアーを準備して下さった土木学会北海道支部の方々,見学場所の関係者の方々には深く感謝致します。大変有意義なツアーでした。