本の紹介:マルクス 生を呑み込む資本主義2023/04/16 18:22

本_マルクス

白井 聡、マルクス せいを呑み込む資本主義。講談社現代新書、20232月。

 

資本は、その元を辿れば労働者の労働の産物です。しかし、資本主義社会のもとでは労働者は自分が生産したもの(商品)によって深く支配されてしまいます。マルクスは、これを「疎外」としてとらえました。このことを明らかしたのが、「フォイエルバッハに関するテーゼ」(1845年)と「ドイツ・イデオロギー」(18451846年)です。

 

マルクスの資本論は、商品の分析で始まります。これは、資本主義を分析するにあたっての最小単位が商品であるためです。この商品は、物だけでなく労働力、土地(広くとらえれば「自然」)、そして人間の生き方(生)までを対象としてきました。

1400年代末から1800年代前半にかけて、イギリスでエンクロージャー(土地の囲い込み運動)が起きました。これによって農民が浮浪民化して、自分の労働力を売るしか生きるすべがなくなりました。労働力が商品化されたのです。商品が商品を作るという社会が出現しました。大事なことは、資本主義社会は歴史のある時代から誕生した社会であり、大昔から自然に存在していたわけではないということです。

 

商品は、使用価値と交換価値という二重性を持っています。これに対応して商品を生産する労働も「具体的有用労働」とよばれる労働の質的側面と「抽象的人間労働」とよばれる交換価値を形成する二つの側面があります。

商品の交換は、「一般的等価物」(貨幣)を通して行われます。歴史的にそれは金と定まりました。社会的富=商品となった近代資本主義社会で、初めて諸財の価値が通約可能となりました。それを可能にしたのが抽象的人間労働、すなわち商品化された人間労働力です。

 

貨幣は、物としては金属の塊や紙切れですが、「商品間の社会契約」によって「社会的な力」を持ち、私有財産として持っていれば「私人の私的な力」になります。なので、貨幣を求める衝動には際限がなくなり、「貨幣退蔵」という倒錯した欲望として現れます。

 

資本というのは、剰余価値を獲得する不断で無制限の価値増殖運動です。この剰余価値は、労働者が生産する価値(具体的有用労働によって生産される価値)が労働力の価値(交換価値=賃金:抽象的人間労働の次元)を上回るために生まれてきます。この賃金の水準は、労働者が明日もまた働きに来ることができ、子孫を残すことができるのに最低限必要な程度に一致します。

 

労働時間は、賃金に相当する分の価値を生産している「必要労働時間」と賃金分以上の価値を生産する「剰余労働時間」に分けられます。しかし、資本家は二つの労働時間を合わせた分の労働力を買っているので、賃金をもらって働けば剰余価値は必ず発生するというのが資本主義の仕組みです。労働時間を延ばすことによって剰余価値を増やすのが「絶対的剰余価値」です。これに対して生産力・生産性を向上させて剰余価値を増やすのが「相対的剰余価値」です。相対的剰余価値には、技術革新によって得られる剰余価値である「特別剰余価値」があります。これは他社に先駆けて新技術を導入することによって得られる剰余価値で、現在の価値と未来の価値との差異によって生じるものです。

資本主義社会では「絶えざる生産力の増大、生産性の向上」は資本に内在する価値増殖の欲求なのです。資本主義社会になって生活が豊かになったのは確かですが、資本主義は人間の幸福を第一目標とはしていないのです。資本は人間の道徳的意図や幸福への願望とは全く無関係なロジックで運動しているのです。資本主義の弊害を資本家の貪欲といった人格的な次元に求めても問題は解決しません。

将来のどこかのある一点で資本主義の矛盾が爆発し、「資本主義の私的所有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される」のです。

 

「資本論」では「包摂」という概念が示されています。ここで言う「包摂」は、資本による地球全体の包摂です。これは、社会が受け入れて適切に居場所を与えるという現在一般的に使われている意味ではなく、人間の都合には本質的な次元では一切配慮しないというロジックを持つ資本の包摂のことです。

資本主義的生産方式では、賃金労働者は自らの労働力を資本家に売るほかない状況に置かれます。賃金労働者は望むと望まざるとに関わりなく資本の増殖運動に加担させられ、労働は資本のもとに「包摂」されていることになります。

さらに、生産効率を上げるために、工程は細分化され分業が高度化していきます。そして、生産の主体は人間ではなく機械装置になってしまいます。

 

歴史的に見ると、十九世紀の資本主義は、超長時間労働と最低限の賃金で労働者を使うことによって、剰余価値を最大化し利潤を最大化させようとしました。しかし、生産された商品を買う労働者が貧困になれば購買力が低下します。そこで海外へ市場を求め、ついには二つの世界戦争をもたらしました。個々の資本家は、利潤追求のために合理的な行動を取ったのですが、全体としては資本蓄積が困難になったのです。

第二次大戦後、アメリカの自動車メーカーであるフォード社は、徹底的な合理化によって商品を安くすると同時に、労働者に対しては比較的高い賃金を払いました(フィーディズム)。耐久消費財の大量生産・大量消費で経済成長を実現させ、資本の側も利益を伸ばすことができたのです。

 

1970年代以降の新自由主義の時代になると、労働者による資本の論理の内面化が進行し、実際は資本に奉仕しているに過ぎないのに自分は自由で進歩的であるかのように思い込む心性が蔓延します。人間の精神が包摂されたのです。労働力商品の所有者としての労働者は、自分の商品を有利な条件で販売することにもっぱら関心を持つようになります。

 

<感 想>

「資本論」が明らかにしたことは何なのかを非常に分かりやすく解説しています。

最後のところで、「居酒屋甲子園」の様子と著者の考えが述べられています。資本による包摂が具体的に分かります。

資本論に依拠しながら、白井氏自身の考え方が述べられていて資本論の理解を助けてくれます。同時に、今の社会のあり方について考えさせられる内容です。

いろいろな資本論の解説書は読んでみましたが、この本が一番分かりやすいです。資本主義社会の仕組みを根本の所から理解したい人は読んでみると良いと思います。