ボーリング調査技術講習会 ― 2011/10/03 22:14
地質調査に従事する会社でも,現場技術の伝承は重要な課題です.今回行われたような実務に役立つ講習会は非常に大事だと思います.
2011年10月1日(土)に実際に現地でボーリング機械で掘削し,標準貫入試験を行い,孔内水平載荷試験やシンウォールサンプリングを行うという講習会が行われました.地質調査業協会が会員企業の社員を対象に実施したものです.
土質調査に長年携わってきたベテラン講師の解説で,実際に即した内容の講習会でした.例えば,孔内水平載荷試験を行うためには,できるだけ乱されていない孔壁をつくる必要があるのでサンプリングした箇所では避けること,加圧ステップはN値を参考に決めるなどと言ったことです.
とかく,新技術に目が行きがちですが,現場で正確なデータを取ること無しには経済的で信頼性のある計画は立てられないことを思うと,このような技術講習会は非常に重要と思いました.

写真1 標準貫入試験のサンプラーを割って試料を取り出すところ

写真2 孔内水平載荷試験の説明
左がプルーブ,右が圧力容積計である.円筒状のタンク中央に付いているスタンドパイプでプローブ内に注入された水の量を測定し,ボーリング孔壁の変位を求める.

写真3 様々な土質試料の含水比の推定

写真4 粘性土(左)と砂質土(右の円錐形の山)の違いを実感する

写真5 その場で取り出されたシンウォール試料

写真6 泥炭のかさ比重の測定

写真7 オランダ式二重管コーン試験(ダッチコーン)
強い雨が降ったりやんだりの肌寒い天気でした.秋の札幌に名物.虹も出ました.二重です.

写真8 三成分コーン試験のプローブの挿入
先端抵抗,周面摩擦,間隙水圧の三つが同時に測定できます.

写真9 ふるい分け試験の実演
日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦 ― 2011/10/06 21:34

この番組を見た人も多いと思う.実は,私は見ていません.
この本は,驚くべき内容です.私は,「やましき沈黙」がこの本の主要キーワードだと思いました.
この本(新潮社.2011年7月刊行)では,番組を製作した人たちの思いが随所に書かれています.また,海軍反省会に出席していた人やその遺族への取材の準備,取材時の心の持ち方なども書かれています.そして,膨大な取材内容,資料の収集・読み込みの一端を知ることができます.
NHKは,「戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力」(2001年1月30日放送)で政治的な介入を許し大きな味噌を付けました.これについては,様々な意見がありますが,放送の2日前の1月28日に取材を受けた秦郁彦氏が,放送された番組で「女性国際戦犯法廷」の批判を行っているという事実は確かなようです(例えば,ウィキペディアの「NHK番組改編問題」).2日前に取材し放送すると言うことが特集番組にとって異常な事態であると言うことは,この本を読むと良く分かります.
NHKの不十分な点はまだあるでしょうが,その頃と比べれば,これだけの番組をつくり放送したと言うことは信頼回復に大きく役立つと思います.
本書の目次と執筆者は次のようになっています.
プロローグーーー藤木達弘
第一章 超一級資料との出会いーーー右田千代
第二章 開戦 海軍あって国家なしーーー横井秀信
第三章 特攻 やましき沈黙ーーー右田千代
第四章 特攻 それぞれの戦後ーーー吉田好克
第五章 戦犯裁判 第二の戦争ーーー内山 拓
エピローグーーー小貫 武
私の年齢になると,この本を読みながら「自分は何を後世に残せるのだろうか」と考えざるを得ませんでした.反省会に出席していた人もそうでなかった人も,何人かは,記録だけはキチンと残しておきたいという思いで資料を作成し保管していたことが書かれています.
内容的にはかなり重い本ですが,読んで欲しい本です.
この本は,驚くべき内容です.私は,「やましき沈黙」がこの本の主要キーワードだと思いました.
この本(新潮社.2011年7月刊行)では,番組を製作した人たちの思いが随所に書かれています.また,海軍反省会に出席していた人やその遺族への取材の準備,取材時の心の持ち方なども書かれています.そして,膨大な取材内容,資料の収集・読み込みの一端を知ることができます.
NHKは,「戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力」(2001年1月30日放送)で政治的な介入を許し大きな味噌を付けました.これについては,様々な意見がありますが,放送の2日前の1月28日に取材を受けた秦郁彦氏が,放送された番組で「女性国際戦犯法廷」の批判を行っているという事実は確かなようです(例えば,ウィキペディアの「NHK番組改編問題」).2日前に取材し放送すると言うことが特集番組にとって異常な事態であると言うことは,この本を読むと良く分かります.
NHKの不十分な点はまだあるでしょうが,その頃と比べれば,これだけの番組をつくり放送したと言うことは信頼回復に大きく役立つと思います.
本書の目次と執筆者は次のようになっています.
プロローグーーー藤木達弘
第一章 超一級資料との出会いーーー右田千代
第二章 開戦 海軍あって国家なしーーー横井秀信
第三章 特攻 やましき沈黙ーーー右田千代
第四章 特攻 それぞれの戦後ーーー吉田好克
第五章 戦犯裁判 第二の戦争ーーー内山 拓
エピローグーーー小貫 武
私の年齢になると,この本を読みながら「自分は何を後世に残せるのだろうか」と考えざるを得ませんでした.反省会に出席していた人もそうでなかった人も,何人かは,記録だけはキチンと残しておきたいという思いで資料を作成し保管していたことが書かれています.
内容的にはかなり重い本ですが,読んで欲しい本です.
講演会:『健康リスクをベースにした自然由来汚染のマネジメント』 ― 2011/10/12 12:14

標記講演会が,土壌環境評価学セミナー2011として北海道大学工学部オープンホール(B21教室)で,10月7日午後1時から開かれました.
北海道大学大学院 工学研究院の環境循環システム部門に土壌環境評価学分野(寄附分野)というのがあります.オハイオ州立大学地球科学科の茨木 希氏(いばらき もとむ:北大客員准教授),北大大学院工学研究院の米田哲朗氏(よねだ てつろう)が所属しています.今回の講演会は,この土壌環境評価学分野の主催,(社)北海道開発技術センターの共催で開かれました.
まず,茨木氏が「もしレベッカが地下水の「マネジメント」をしたら」と題して講演しました.
レベッカ(Rebecca)というのはアメリカによくある女性の名前で,もし女性が地下水汚染のマネジメントをしたらどうするかという意味です.「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海,2009)に引っかけています.
RBCA(レベッカ)と言うのは,アメリカで行われている「リスク評価に基づく修復措置」(Risk-Based Corrective Action)のことです.
この方法では,汚染源でリスクを評価するのではなく,人の健康に影響を与える地点(暴露地点)でリスク評価を行って修復措置を取ります.修復の目標は生涯超過ガンリスクを100万分の1以下にすることです.超過リスクであることに注意が必要です.
例えば,かっての商業地や工業地などの汚染された遊休地(ブラウンフィールド)を再利用する場合,駐車場にする場合は1日あたりの暴露時間は短く15分,利用期間も10年程度として利用者の超過健康リスクが100万分の1になるような修復措置を取ります.住宅地として利用する場合は,暴露時間は1日24時間,利用期間は30年として措置を取ります.
このような考え方で地下水汚染に対処することで,健康に対する影響を最低限に抑え,経済的に合理的なリスクマネジメントが出来ると言うことになります.
米田哲朗氏は「重金属類特に砒素の存在状態と溶出特性についてー熱水変質岩の研究事例をもとにー」と題して講演しました.
浅熱水性鉱床では,1)マグマから分離した蒸気ー熱水が周辺の岩石・地下水と反応して還元的で中性の熱水が生じる「低硫化タイプ」と 2)マグマから分離した蒸気ー熱水によって約400℃以下で起こる硫酸イオンの自己酸化還元反応や塩酸・硫酸の分離によって酸性の熱水が生じる「高硫化タイプ」とがあります.それぞれのタイプで晶出する鉱物は異なりますが,黄鉄鉱はどちらのタイプでも形成されます.
砒素は,水素イオン3つと結合した砒化水素(揮発性ガス),水酸化物イオン3つと結合した亜砒酸塩,水酸化物イオン3つと酸素1つと結合した砒酸塩の3つの形態で存在します.亜砒酸塩は還元的な条件で安定な水溶液となり,砒酸塩は酸化的水溶液中で安定です.
札幌西部で稼行していた高硫化タイプ+中間タイプの手稲鉱山と低硫化タイプの轟鉱山を比較すると,黄鉄鉱中の砒素含有量は手稲鉱山の方が高い傾向にあります.
黄鉄鉱に富む試料で砒素の溶出試験を行った結果では,高硫化タイプの手稲鉱山の試料では黄鉄鉱含有量と溶出量は相関が見られます.ただし,方解石を含んでいるとほとんど砒素の溶出は起きません.
低硫化タイプの轟鉱山の試料では砒素の溶出量は検出限界以下でした.
以上のように,砒素の産出状態,溶出形態など詳細な検討を行い,リスク評価に結びつける検討が必要です.
この二つの講演のほかに,自然由来重金属類の対策事例,リスクコミュニケーション,重金属含有岩の酸性化,不溶化材,吸着材についての講演がありました.
参考文献
島田充尭,2005,地下水からなぜヒ素が検出されるのかーグローバルな環境問題ー.深田研ライブラリー,No.87.
*ヒ素についての非常に優れた解説書です.深田研究所での講演を文書化したものなので,分かりやすい説明になっています.
西田道夫,2005,RBCA:リスク評価に基づいた修復措置―“環境リスクの低減”という考え方―.㈱リック『産業と環境』.
<http://www.getrec.or.jp/admin/tmp/1204780815.pdf>
*RBCAについては,インターネット上に様々な資料があります.
明治初期札幌の工業地帯 ― 2011/10/14 11:15
秋の良い天気が戻ってきました.2011年10月13日に豊平川扇状地末端の工場群を見に行きました.
札幌は豊平川扇状地に造られた街です.
街の北西は知事公館敷地,北大植物園,清華亭などに伏流水の湧き水がありました.これを利用して偕楽園と呼ばれる公園が設けられました.現在の北大付近は農学校園として利用されていました.
これに対して,街の北東には千歳鶴,サッポロビール,トモエ醤油などの工場が出来ました.これらの醸造業も水が大切な資源です.
これらのうちで最も古いのは1872(明治5)年に創業した日本清酒株式会社です.創業時は柴田酒造店でした.創業者は石川県能登から来道した柴田與次右衛門(しばた・よじうえもん)で,最初は南1条西2丁目に店を構えました.現在は豊平川の堤防近くの南3条東5丁目に本社,工場があります.市街地に工場を持っているのは,この場所が酒造りに適した地下水が得られるためです.
札幌は豊平川扇状地に造られた街です.
街の北西は知事公館敷地,北大植物園,清華亭などに伏流水の湧き水がありました.これを利用して偕楽園と呼ばれる公園が設けられました.現在の北大付近は農学校園として利用されていました.
これに対して,街の北東には千歳鶴,サッポロビール,トモエ醤油などの工場が出来ました.これらの醸造業も水が大切な資源です.
これらのうちで最も古いのは1872(明治5)年に創業した日本清酒株式会社です.創業時は柴田酒造店でした.創業者は石川県能登から来道した柴田與次右衛門(しばた・よじうえもん)で,最初は南1条西2丁目に店を構えました.現在は豊平川の堤防近くの南3条東5丁目に本社,工場があります.市街地に工場を持っているのは,この場所が酒造りに適した地下水が得られるためです.

写真1 豊平川河畔に建つ千歳鶴の工場
この場所に掘った井戸からの水が酒つくりに最適であるため,あえてこの場所でつくり続けているという.左のアーチ橋は豊平川を横断する豊平川第一水管橋です.
この場所に掘った井戸からの水が酒つくりに最適であるため,あえてこの場所でつくり続けているという.左のアーチ橋は豊平川を横断する豊平川第一水管橋です.

写真2 「千歳鶴」酒ミュージアム入り口の湧水
味があるという水ではないです.ちょっと甘みがあるかなと言う感じですが,全く癖がありません.場所は中央区南3条東5丁目東向き.休日は13時と15時に蔵見学が出来ます.
現在のサッポロファクトリーのレンガ館が,1876(明治9)年に設立された開拓使麦酒醸造所です.北3条通りの南側のレンガの建物が,恐らく,ほぼそのまま残っている建物です.サッポロファクトリーの東には第2代北海道長官・永山武四郎の屋敷があります.北3条通りを西に行くと赤レンガ庁舎(開拓使札幌本庁舎正門)にぶつかります.北3条通りの周辺には工業局製作所,麦酒会社,葡萄酒醸造所,製糸所,紡績所,病院,屯田司令部などがありました.
味があるという水ではないです.ちょっと甘みがあるかなと言う感じですが,全く癖がありません.場所は中央区南3条東5丁目東向き.休日は13時と15時に蔵見学が出来ます.
現在のサッポロファクトリーのレンガ館が,1876(明治9)年に設立された開拓使麦酒醸造所です.北3条通りの南側のレンガの建物が,恐らく,ほぼそのまま残っている建物です.サッポロファクトリーの東には第2代北海道長官・永山武四郎の屋敷があります.北3条通りを西に行くと赤レンガ庁舎(開拓使札幌本庁舎正門)にぶつかります.北3条通りの周辺には工業局製作所,麦酒会社,葡萄酒醸造所,製糸所,紡績所,病院,屯田司令部などがありました.

写真3 サッポロファクトリーのレンガ館
綱の張ったレンガの壁はなかなか趣があります.
綱の張ったレンガの壁はなかなか趣があります.

写真4 レンガ館の東の入口
窓の周りや屋根の先端のレンガの積み方などを見るとなかなか凝っていることが分かります.
窓の周りや屋根の先端のレンガの積み方などを見るとなかなか凝っていることが分かります.

写真5 北3条通りに面したレンガ館
当時の面影を残しているように思います.なお,最初の開拓使麦酒醸造所の建物は,写真で見ると木造です.レンガ造りの建物になったのは,1886(明治19)年に大倉組に払い下げられて以降のようです.
現在,サッポロビール園にあるサッポロビール博物館は,1890(明治23)年に建設された札幌製糖会社の工場です.ビール博物館の展示模型では精麦所となっています.蛇行,分流する伏籠川に周りを囲まれた場所で,鉄道の引き込み線がありました.
当時の面影を残しているように思います.なお,最初の開拓使麦酒醸造所の建物は,写真で見ると木造です.レンガ造りの建物になったのは,1886(明治19)年に大倉組に払い下げられて以降のようです.
現在,サッポロビール園にあるサッポロビール博物館は,1890(明治23)年に建設された札幌製糖会社の工場です.ビール博物館の展示模型では精麦所となっています.蛇行,分流する伏籠川に周りを囲まれた場所で,鉄道の引き込み線がありました.

写真6 サッポロビール博物館

写真7 開業式の開拓使麦酒醸造所
1876(明治9)年9月23日に開業しました.右に積んだ樽に書かれているのが「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる 開業式」という有名な文言です.
札幌でビールの醸造が始まった一つの大きな要因として,岩内で野生ホップが見つかったと言うことが大きいようです.
さらに東に行くと,福山醸造株式会社があります.この会社は1891(明治24)年に福山商店として創業しました.この付近にも伏流水が湧出しているところがありました.
1876(明治9)年9月23日に開業しました.右に積んだ樽に書かれているのが「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる 開業式」という有名な文言です.
札幌でビールの醸造が始まった一つの大きな要因として,岩内で野生ホップが見つかったと言うことが大きいようです.
さらに東に行くと,福山醸造株式会社があります.この会社は1891(明治24)年に福山商店として創業しました.この付近にも伏流水が湧出しているところがありました.

写真8 トモエ醤油の建物
この東には雪印メグミルクの工場があります.
JR苗穂工場は1909(明治42)年に,鉄道院札幌管理局札幌工場として設立されました.この工場の中を伏籠川の支流が蛇行しながら流れていました.
この東には雪印メグミルクの工場があります.
JR苗穂工場は1909(明治42)年に,鉄道院札幌管理局札幌工場として設立されました.この工場の中を伏籠川の支流が蛇行しながら流れていました.

写真9 JR苗穂工場
東11丁目の跨線歩道橋から東を見たところです.
このように,札幌の街は扇状地の末端付近に,水を利用する産業施設を配置するという形で発展を始めたのです.
東11丁目の跨線歩道橋から東を見たところです.
このように,札幌の街は扇状地の末端付近に,水を利用する産業施設を配置するという形で発展を始めたのです.