本の紹介:原子力村中枢部での体験から10年の葛藤で掴んだ事故原因 ― 2021/09/16 13:52

北村俊郎、原子力村中枢部での体験から 10年の葛藤で掴んだ事故原因。かもがわ出版、2021年9月。
大学の経済学部を卒業し日本原子力発電株式会社(日本原電)に入社して2005年に退職するまで、38年間原子力発電に関わってきた著者が、福島第一原子力発電所の事故原因についての考えを記した書です。
著者は帰還困難区域である福島県・富岡町に終の棲家を設けましたが、今は月1度、庭の手入れなどに訪れるという生活をしています。
「筆者がこの10年間、避難先でかつて業界にいた立場からこの事故とその背景を考えたこと、気づいたことをまとめて公にすることは、福島第一原発の事故という史上まれに見る大事故の全容を解き明かすジグゾーパズルの一片となるとの思いを持つに至った」(本書4ページ)のが、著者がこの本を書いた動機です。
内容は多岐にわたります。目次は次のようです。
はじめに
第一章 福島原発事故は日本の原子力開発の帰結
第二章 巨大組織は何故大事故を起こしたか
第三章 事故後の現地に見る日本型対応
第四章 処分出来ない汚染水と放射性廃棄物
第五章 日本で原発なしは可能か
第六章 原発の根本的問題は克服出来るのか
おわりに
あとがき
主な参考文献
第五章で「1、将来のエネルギーの前提条件」として5点述べています。
第一に、二酸化炭素を排出しないこと。
第二に、廃棄物が少ないものであること。
第三に、需要を満たすだけの供給が経済的にかつ安定的に出来るものであること。
第四に、高い安全性と自然災害やテロ等に対する強靱性があること。技術的にこれから発展する可能性が大きいこと。
<感 想>
長いこと原子力発電に携わってきた著者には、原子力発電に対する愛着が随所に見られます。しかし、事故を起こした福島第一原発だけでなく、電力業界の欠点を経験者の立場から的確に指摘しています。
日本の原子力発電は、1957年8月に初臨界に達した研究炉を建設・運転させた日本原子力研究所(現・国立研究開発法人 日本原子力研究開発機構:原子力機構)による1963年10月26日の動力試験炉での発電に始まります。
著者が1967年に入社した日本原電は1957年に発足し、1966年7月に英国のコールダーホール改良型によって営業運転を始めていました。
この頃、国内ではアメリカが開発した軽水型発電炉への取り組みが始まり、日本原電は1965年9月に敦賀発電所1号機を建設し1970年3月に営業運転を開始しました。
著者は、日本の原子力発電とともに歩んできたのです。この本には、耳を傾けるべき多くのことが指摘されています。
秋のモエレ沼公園と石狩川 ― 2021/09/16 18:21
札幌は朝晩寒いくらいの気候になりました。少しは秋らしくなったかと晴天の9月15日夕方、自転車で出かけました。
写真1 綠が復活したモエレ山
7月と8月前半は雨が少なかったので芝が茶色になっていましたが、綠が復活しました。雲一つない快晴です。
写真2 恵庭岳
右手奥が恵庭岳です。左のなだらかな斜面は支笏火砕流の台地です。手前の木々は、なんとなく色づいています。
写真3 芦別岳と夕張岳
遠く左が芦別岳で、右が夕張岳です。手前は屋根付き駐車場、ガラスのピラミッド、モエレ沼です。
写真4 石狩平野
ほぼ真東を見ています。地平線が見えます。
写真5 モエレ山の北西斜面
写真6 モエレ山の北斜面
写真7 プレイマウンテン
写真8 モエレ沼のカモ
写
真9 石狩川と樺戸山地
遠くは、左から神居尻山、ピンネシリ、待根山、隈根尻山です。手前中央付近のなだらかな山は自衛隊基地のある阿蘇岩山です。石狩川河岸のアシが黄色く染まっています。
写真10 石狩川と豊平川の合流
右から豊平川が流れ込んでいます。遠くに芦別岳、夕張岳が見えます。
写真11 手稲山











