石狩川左岸堤防を下る ― 2021/06/02 18:00
2021年6月1日、天気が良いので昼から自転車で石狩川右岸堤防を下り、留萌へ行く国道231号の石狩河口橋で折り返し、左岸堤防を戻ってきました。走行距離は約45kmでした。
お尻の部分にパッドがついたサイクルパンツを初めて使いました。今回走ったのは、ほぼ水平の舗装道路でしたが、お尻が痛くならないで走ることが出来ました。
写真1 タマネギ畑と札幌西方山地
タマネギの苗はすくすくと育ち、新しくトウキビの苗が植えられています。
写真2 芦別岳と夕張岳
国道337号の札幌大橋から見た東の山です。赤白鉄塔の左に芦別岳、右の鉄塔の左に夕張岳です。手前の林は石狩川の高水敷(こうすいじき)です。
堤防の向こうに塔のように見えるのは、「文学碑 石狩川」です。本庄陸男(ほんじょう・むつお)の生誕の地は、ここより数百m下流の太美ビトヱ番外地でした。
文学碑は茨城県の稲田花崗岩でつくられています。稲田花崗岩は、JR水戸線の稲田駅周辺に分布している古第三紀前期(6,000万年前頃)の花崗閃緑岩で白っぽいのが特徴です。
写真3 石狩川と手稲山
ビトヱ付近から見た石狩川と手稲山です。この付近は蛇行する石狩川を捷水路(しょうすいろ:ショートカット)で切断したため、旧石狩川は茨戸川と名を変えて残っています。
写真4 広大な石狩川
旧石狩川であった真薫別川(まくんべつ・がわ)の向かい付近に開発局の石狩吹雪実験場があります。その少し下流に河畔へ近づける道がついています。この写真は、上流側を見たものです。石狩川はここで西に蛇行し、国道231号の石狩河口橋(いしかりかこう・きょう)の先で北東に流れを変え海に注いでいます。
写真5 下流を見る
同じ場所から下流を見た写真で、かすかに石狩河口橋が見えます。まだ融雪水で水量は豊富です。
写真6 右岸の風景
石狩市北生振(きたおやふる)付近の風景です。牧草地が多く、水田はあまりありません。手前の増毛山地の雪は、ほとんど消えたようです。雪をかぶった頭をのぞかせている山は暑寒別山群です。
写真7 石狩河口橋から下流を見る
川は北東に流れを変え石狩湾に注ぎます。対岸は石狩川によって形成された砂州で、年とともに右(北東)に伸びています。ただし、大雪ダム(1975年竣工)や忠別ダム(2006年竣工)など上流に大規模なダムが完成したので土砂供給量が減少する可能性があります。
写真8 石狩河口橋
国道231号の橋で、全長約1.4kmです。斜張橋(長さ289m)と鋼鈑桁橋(長さ1,125m)の合成橋です。斜張橋部には風による橋桁の振動を抑える「翼」がついています。
写真9 制振装置
石狩河口橋の斜張橋部分に設置された橋桁の制振装置です。ケーブルの先に見える斜めの鋼板が三角形になっています。
写真10 紅葉山砂丘の北東延長部
約6,000年前に海面が上昇したときに出来た砂丘で、本体は石狩市花川の紅葉山です。その北東延長は茨戸川を超えて生振寺(しょうしん・じ)の高まり、そして、この「ばらと霊園」のすぐ南の林へと続きます。現在の石狩川(生振捷水路:おやふる・しょうすいろ)を越えて美登位(びとい)の北三号の高まりが北東の終端になります。
写真11 美登位の砂丘
現石狩川右岸の旧砂丘です。林になっている所が砂丘の高まりで、ちょっと掘ると均質な砂が出てきます。この付近では、北西-南東方向に長軸を持つ砂丘が二つ並んでいます。
写真12 茨戸川と藻岩山
生振捷水路で切断された茨戸川から見た藻岩山です。手前右手が藻岩山でそのすぐ左奥に空沼岳、一番左に恵庭岳です。
写真13 芦別岳と夕張岳
手前の川は石狩川で、遠く左端に芦別岳、右に夕張岳です。かなりきれいに見えています。
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