洞爺湖の北西の独立峰 昆布岳2012/07/01 18:43


 洞爺湖の北西にある昆布岳は,なだらかな裾野と尖った山頂部という独特の山容を見せていて,どこからでも見分けることが出来ます.昆布岳の標高は1,044.9mで,南西にある西昆布岳(標高804m)とともに東西約14km,南北約11kmの火山体を構成しています.西と北東は昆布川とルベシベ川で境され,南は貫気別川が山体から流れ出ています.昆布川とルベシベ川は尻別川に合流して日本海に注ぎます.貫気別川は内浦湾に注いでいます.つまり,昆布岳火山体は太平洋と日本海の分水嶺となっています.

写真1 道々285号香川付近から見た昆布岳
 三角形の山頂と長く尾を引く山体が特徴です.左のコブは西昆布岳です.


写真2 昆布岳登山道入口
 正面の物置の手前を通って登山道入口のポストのところに出ます.まっすぐは民家なので入らないようにします.


写真3 登山ポスト
 この日は一人も登山者がいませんでした.普通の日は1日1人くらいのようです,登山道はよく整備されていますし,標識も一合目からキチンと付いています.楽しみながら登るのに良い山です.


 昆布岳火山体はほとんどが安山岩溶岩で構成されています.5万分の1地質図幅{狩太}では昆布岳の火山活動は層序関係から鮮新世後期とされています.一部,集塊岩(柳ノ沢集塊岩層:ハイアロクラスタイト)がありますが,大部分が安山岩溶岩です.独特の山容は昆布岳の標高900m付近より高いところに分布している昆布岳上部溶岩の残丘と考えられています.
 登山道の九合目からの急登の途中に露岩が尾根を構成していて,これを乗り越えて西側に出ますが,この露頭が昆布岳上部溶岩になります.もちろん,頂上も昆布岳上部溶岩です.頂上に露出している溶岩は,N20°E,20°Wの板状節理を示しています.


写真4 二合目付近の安山岩
 ほとんど斑晶が見られない安山岩です.この安山岩が五合目付近まで続きます.


 昆布岳登山道での地質の見所の一つは,五合目の先にある安山岩のアーチで出来た「めがね岩」です.一定方向を向いていることや節理の出来方から判断して岩脈でしょう.幅3mほどの岩脈で走向・傾斜はN20°E,70°SEです.岩質はガラス質輝石安山岩で,岩脈の側部が浸食され内部構造を見ることができます.アーチが出来るのにちょうど都合の良い節理が発達したために中が崩落しても上部がアーチとして残ったものと思われます.岩脈の方向に直交した板状節理が発達しそれがアーチを支えています.


写真5 めがね岩
 眼鏡と言っても片眼鏡です.全体の伸びの方向はN20°Eで東に70°で傾斜しています.縦方向に板状節理が発達していますが,これを切るような水平に近い不連続面が見られます.アーチの部分では板状節理がアーチを作るように扇形に並んでいます.


写真6 めがね岩の安山岩
 二合目付近の無斑晶の安山岩とは違い白色の斜長石結晶の目立つガラス質安山岩です.


 もう一つは,九合目からの急登部分に露出している安山岩です.硬質で節理の発達したもので昆布岳から南に延びる尾根で露頭を見ることができます.そして,頂上には板状節理の発達した安山岩の露頭が見られます.


写真7 九合目上部の安山岩
昆布岳上部溶岩で比較的新鮮な斜長石と輝石が見られる.この安山岩を超えて西斜面に出るとハイマツが生えている.標高950m付近からハイマツが見られるのは北海道西部では珍しいのではないだろうか.


写真8 頂上の安山岩溶岩
 きれいな板状節理の発達した安山岩である.白濁した斜長石と輝石が認められる.


 九合目までは眺望もきかず,なだらかな山道を散歩すると言った感じですので,新緑の頃か紅葉の頃にゆったりと登るのに適した山です.おまけに,登山道のほとんどが土の道なのでトレールランニングには最適です.

 頂上からの眺めは素晴らしいの一言です.羊蹄山が眼前にあり,時計回りに尻別山,洞爺湖中島,有珠山,遠くに霞む駒ヶ岳,礼文華の海岸,狩場山,雷電山,チセヌプリ、イワオヌプリ、ニセコアンヌプリなど道南の山々が一望できます.


写真9 頂上から見た羊蹄山
 間近に羊蹄山を見ることができます.


写真10 遙かに駒ヶ岳
 中央遠くの駒ヶ岳が見えます.内浦湾沿岸は雲に覆われています.


写真11 西側から見た山頂
 安山岩の露頭と一等三角点があります.左手の三角の山は尻別岳です.


 札幌方面から行くと登山口のある道々914号へ出るのにちょっと手間取ります.国道230号から道々97号に出て、さらに一山越えて道々914号に出ます.登山口は昆布岳のほぼ真南に当たります.

 今回は登りはじめたのが昼の12時頃だったので早足で登りました.露頭は五合目の先の「めがね岩」と九合目から上の上部溶岩のみでした.石を叩きながらでしたが,登りは2時間20分,下りは少々ばててしまって1時間25分でした.

 山登りで,よく足がつるようになりました.一般的にはミネラル不足と言われます.子供の頃は冷たい湖などで泳いで,ふくらはぎが痙ったことがよくありました.その時は,水に潜って足の親指を持ってふくらはぎを伸ばせと教えられ,それで治りました.いろいろやってみたのですが,今のところの対処法は早めに水をイヤと言うほど大量に飲むことです.これが一番効果があるように思います.


右代啓視氏講演「北方四島の考古学」2012/07/09 23:34

 北海道開拓記念館の右代氏の講演がありました.

講演する右代啓視氏

 北方四島は,カムチャッカの諸地域と北海道をつなぐ東のルートとして北海道の先史文化やアイヌ文化の解明に重要な地域です.しかし,1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約で日本は千島列島を放棄したために,北方四島を含む千島列島の考古学的研究は中断されました.
 それでも,2006(平成18)年から国後島へのビザなし渡航の専門家枠で2日間程度の調査を行ってきました.

 3-4世紀の続縄文文化,7-8世紀のオホーツク文化,11-12世紀の擦文文化などの考古資料が古釜布郷土博物館に展示されています.古釜布の近くにはチャシ跡がありアイヌ地と言われている場所もあります.これについては,戦前1933(昭和8)年に名取武光氏が報告をしています.
 古釜布は太平洋に面していますが,その反対側のニキシロにも続縄文からアイヌ期の遺跡があります.

 一般に,人類はシベリアからベーリング海を渡り北アメリカに移動したとされています.あるいは千島列島、カムチャッカ,アリューシャン列島沿いに移動したルートも考えられています.しかし,後者については考古学的資料がほとんどないのが現状です.この課題を研究するには,千島列島の考古学的研究がどうしても必要です.

 右代氏は前段で千島列島の帰属問題の歴史を図入りで分かりやすく話してくれました.

 この時の右代氏の話とは違いますが,以下は私の見解です.

 意外と日本の人たちは知らないのですが,サンフランシスコ平和条約第二条c項では千島列島についてこう書かれています.

 「第二条【領土権の放棄】(c)日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」

 で,ここで言う「千島列島」に択捉島以南の北方四島(歯舞・色丹と南千島)は含まれていない,と言うのが日本政府の主張です.その理由は,1855(安政元)年の「日魯通交条約」で国後島と択捉島の南千島を日本領とすると決まったからだと思います.
 しかし,これは無理な話で,国際的には全く認められないでしょう.と言うのは,その後,1875(明治8)年に「樺太・千島交換条約」で樺太はロシア領,千島列島は日本領となったからです.
 ただし,歯舞諸島,色丹島は,もともと北海道の一部であって千島列島には含まれません.ですから,これらについてはサンフランシスコ平和条約に関係なくすぐに返して貰うべきなのです.しかし,二島が返還されたら北方領土問題は終わりとはならないのです.
 サンフランシスコ平和条約を批准した1951(昭和26)年の国会で,外務省の条約局長は一貫して「千島列島の範囲については,北千島と南千島の両者を含む」と答弁しているのです.ですから,日本の敗戦のどさくさに当時のソ連が武力でかすめ取った千島列島全部を返して貰わなければ,北方領土問題は解決にはならないのです.

 地質的には歯舞・色丹は外弧に属していて火山がありません.根室半島の延長の地質です.これに対して,国後・択捉は知床半島の続きで火山列島です.本当に天気の良い日には国後の爺爺岳(ちゃちゃだけ)が見えることがあります.
 この6月28日に北海道の太平洋沿岸の津波浸水予測図が発表され,浜中町で34.6mの津波が予想されています.この地震の震源断層の東側が何処まで延びるのかについては,国後,択捉での津波堆積物調査が重要になってきます.


右代啓祐選手2012/07/10 11:00

 7月8日に札幌円山陸上競技場で第25階南部忠平記念陸上競技大会がありました.十種競技の日本記録保持者で,ロンドンオリンピック代表の右代啓祐選手が走り幅跳びに出場しました.幅跳びは7m14という立派な記録でした.


写真1 跳ぶ右代選手
 この時はファールでした.幅跳び専門の選手に比べると助走は何となくモタモタしている感じですが,迫力のある跳躍です.この時点では6位でしたが,最後は8位だったと思います.


 競技会が終わった後,道産子選手の簡単なオリンピック壮行会が行われ,右代選手,400mリレーの高平慎士選手400m障害の久保倉里美選手が挨拶しました.
 右代選手は,日本の十種競技を自分が引っ張って行くんだという意気込みを感じさせる良い挨拶をしました.それにしても,身長1m96cmと言うのはでかい.
 
 「You Tube」で日本記録を出した時の1,500mの様子を見ることができます.なかなか見応えのある走りです.
<http://www.youtube.com/watch?v=1CjMRgGf_fA>


写真2 壮行会での右代選手
 左へ高平選手,久保倉選手です.高平選手が子供のように見えます.福島千里選手は体調不良で来ませんでした.


 この大会には,やり投げの村上幸史選手も出場しました.久保倉選手は400mに出場しました.


写真3 400mで力走する久保倉選手
 3コースのゼッケン2が久保倉選手です.記録は53秒56でした.


写真4 やり投げの村上選手
 80mには届きませんでしたが,77m32でした.


士別ハーフマラソン2012/07/23 18:12

 7月22日(日)二行われた士別ハーフマラソンに参加しました.このコースは剣淵川右岸に広がる標高120mほどの士別市街から出発して,東に向かって坂を登って行き,標高140mほどの天塩川流域に出て北西に向かって走り,再び坂を下って市街地に戻ってくるコースです.最高点は最初の坂を登り切ったところで,約140mです.1周約10kmでハーフマラソンはこれを2周します.
 坂を登り切って天塩川流域に出たところは,広々とした水田が拡がり風も気持ちよく感じられます.もちろん,北海道とは言え夏ですから,それなりの暑さですが湿度が高くないのと風が涼しいので,走っていてもそれほど,めげません.
 地形的に不思議に思うのは,この付近では本流の天塩川より支流の剣淵川の方が標高が低いことです.国道40号もJR宗谷線も士別から南では天塩川沿いでなく剣淵川沿いを走っています.
 
 毎年,夏の合宿をかねて有名選手が出場します.今年は埼玉県庁の川内優輝選手が1時間05分00秒で優勝しました.ちょうど私が1周目のゴール地点を通過する頃に川内選手がゴールしました.本当に,あっという間に追いつかれました.川内選手は招待選手ではなく一般参加です.女子ハーフで優勝した伊藤 舞選手も一般参加でした.
  このレースの関門時間は,20kmで2時間20分ですから,10kmを1時間10分ペースで走れば完走できます.私は2時間9分で完走できました.何とか2時間を切りたいと思っているのですが厳しい.

写真1 レース後,木陰でインタビューを受けていた川内選手
 気軽に写真を撮らせてくれました.本当に個人で参加しているのが分かります.また,人に接する態度を見ていて,ほんと良い性格だと思いました.


 ハーフマラソンのスタートは9時半ですので,前の日は名寄市のサンピラーユースホステルに泊まりました.ここは天塩川右岸にある日進山の西斜面の裾に建てられたユースホステルですので,天塩川の向こうに夕日を沈むのを見ることができます.


写真2 なよろサンピラーユースホステル
 夜のとばりに包まれるユースホステル.なかなか良い雰囲気です.


 そして何と言っても,周りにサンピラーパークなどの公園があり,ピヤシリスキー場があり,なよろ市立天文台「きたすばる」があります.今回は,この天文台で土星の輪を見ることができました.プラネタリウムで夏の星座の説明を受けた後,屋上観測室で説明を聞きながら実際の星を見ることができます.今回は観測業務をしていなかったので,本物の観測室にあるピリカ望遠鏡で星を見せてもらいました.このピリカ望遠鏡は口径1.6mの反射式望遠鏡です.


写真3 なよろ市立天文台きたすばる
 右のドームがピリカ望遠鏡です.建物に右に見えるのは街灯です.箱形で出来るだけ外に光が漏れないようなデザインになっています.


写真4 なよろ市立天文台きたすばるのピリカ望遠鏡(「なよろ市立天文台きたすばる」パンフレットから)
 土星の輪がはっきりと見えました.


写真5 同じく屋上観測室にある50cm望遠鏡(「なよろ市立天文台きたすばる」パンフレットから)
 土星の輪を見せてもらいました.少し雲が出ていましたが見ることができました.


 士別に行く途中で幌加内を通りました.坑口が地すべりだった幌加内トンネルを初めて通りました.
 幌加内では,そばの花は咲いていましたが,ちょっとまだ早いようでした.
 土木遺産に選定された雨竜川第3橋梁を見ました.周りは蛇紋岩地帯です.


写真6 幌加内トンネル
 トンネルの多度志側坑口です.坑口付近には蛇紋岩が分布しいくつかの地すべりがありました.深名線のトンネル掘削ズリも坑口付近にありました.


写真7 幌加内のそばの花
 まだ満開という状態ではないようです.


写真8 雨竜川第3橋梁
 説明版もあります.深川から名寄に抜ける鉄道(深名線)の橋梁です.