アルディ(アルディピテクス・ラミダス)−鮮新世最初の人類−2009/11/03 18:42

 約440万年前の人類の祖先,アルディピテクス・ラミダス(アルディ)が話題となっています.この人類の祖先は,1992年12月に歯の化石が発見されています.多くの化石の破片をつなぎ合わせて復元されました.全身骨格から身長120cm,体重45〜50kg,脳の大きさが300〜350ミリリットル程度です.
 このアルディの発掘・研究には諏訪元東京大学教授が関わっています.

 300万〜400万年前に生きていたルーシー(アウストラロピテクス・アファレンシス)の一族は,身長100〜150cm で脳の容量は375〜500ミリリットルです.ルーシー一族はその骨盤から二足歩行していたことは確実とされています.
 250万年前頃から世界的な寒冷化し始め,この頃にホモ属(最初の人類)がアフリカのサバンナに登場しました.このホモ属は石器を作り,かなり大きな脳を発達させて狩猟採集民への道を歩み始めました.第四紀(人類紀)の始まりです.

 アルディの復元図や復元骨格を見ると両手は膝のあたりまであり,足の親指は木の枝をつかむことができるように親指が離れています.木の上で生活していますが,時々地面に降りてきて,真っ直ぐに立って足で歩くことができました.

 初めに示したヒト科の不完全な系統樹は後期中新世から完新世に至るものです(「S.オッペンハイマー,中村明子訳,人類の足跡10万年全史.草思社」に地質年代を加筆した.地質年代はアメリカ地質調査所の2009地質的年代尺度による).アルディは鮮新世で最も古いヒト科であることが分かります.また,ホモ属が最初に現れるのは,約260万年前のホモ・ルドルフエンシスで続いてホモ・ハビリスが現れます.

 アルディに先行するヒト科としては中新世後期,700万〜600万年前に生活していたサヘラントロプスやオロリンがいます.

 このように見てくると,今回のアルディの骨格復元は,ヒト科の進化の上で重要な情報をもたらしたことが分かると思います.

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北海道大学 第二農場2009/11/26 16:43

 北海道大学は札幌駅の北にあり,その敷地は北8条から北24条までにわたっている.この北大構内を唯一横切っているのが環状通(北18条通り)のエルムトンネルである.エルムトンネルの東の入口付近に北大第二農場の建物群が保存されている.

入口付近から見た第二農場の建物群
 右から反時計回りに,牧牛舎,モデルバーン(模範家畜房),奥に見えるのがコーンバーン(穀物庫),収穫室および脱ぷ室である.脱ぷ室の「ぷ」は「稃」で「籾殻,米穀の殻」のことである.つまり,脱ぷ室というのは籾摺り室のことである.
 中央の歩道の左手に,秤量所,釜場,精乳所がある.

入口付近から見た第二農場の建物群


牧牛舎(Milking-cow Barn) の正面
 左右19間の切り妻造りで,8基の換気塔を持っている.正面が入口である.モデル搾乳牛舎として設計され,1909(明治42)年の最新技術を使って新築された.

牧牛舎(Milking-cow Barn) の正面


モデルバーン(模範家畜房:Model Dairy Barn)
 1877(明治10)年に地下室と馬車道付きで造られたが,1911(明治43)年に地下室と馬車道を除いて移築された.
 2階は乾草収納室で当初は斜路を設けて乾草を満載した馬車が直接乗り入れることができるようになっていた.1階は乳牛の産室と追込み所,耕馬舎である.
 左右8間半,奥行き17間の切り妻造り総2階建てである.モデルバーンという呼び名はクラーク博士が使ったために通称となったもので,帳簿上は「産室追込所及耕馬舎」となっている.

モデルバーン(模範家畜房:Model Dairy Barn)


穀物庫(Corn Barn)と脱ぷ室
 写真の右が穀物庫,左が脱ぷ室と収穫室である.
 穀物庫は鼠返し付高床式で収穫穀物と種子の貯蔵庫として1877(明治10)年に建てられた.左右6間,奥行き6間半である.2階の通路は左の脱ぷ室からコンベアで穀物を運搬するために後年,増設されたものである.
 左の2階建ての建物が収穫室で平屋が脱ぷ室である.1911(明治44)年にそれ以前に建築されていた作業室を移転して作られたものである.左右9間,奥行き4.5間である.

穀物庫(Corn Barn)と脱ぷ室


釜場(Food Proccesing Plant)
 1910(明治44)年に新築されたもので,竈(かまど)と大釜によって豚などの餌を煮込み,つぶして混ぜる作業をする家畜飼料の加工場であった.全体が札幌軟石(支笏溶結凝灰岩)で造られている.
 間口4間,奥行き5間の平屋建である.

釜場(Food Proccesing Plant)