ナントロサイズ ― 2009/10/08 19:43
ナントロサイズ(NantroSEIZE:Nankai Trough Seismogenic Zone Experiments)というのは南海トラフで地震発生帯を掘削して計器を設置し,地震活動自体のほかに歪み蓄積過程,断層内物質の間隙水圧などを測定する計画である.
沈み込み帯の掘削に先鞭を付けたのは,1968年にアメリカが始めたグローマーチャレンジャー号による深海掘削(DSDP:Deep Sea Drilling Project)である.
海洋底でボーリングを行い,モホ面を捉えようという計画は,モホール計画として準備されたが実現しなかった.しかし,この過程で得られた技術のいくつかが グローマーチャレンジャー号に生かされた.
グローマーチャレンジャー号は1971年に北米大陸太平洋岸のカスカディア縁辺の海溝充塡物の分布域での掘削に成功した.さらに,アラスカ縁辺掘削により40万年間の海溝堆積物を採取して2回の氷河期と1回の間氷期を確認し,変形している堆積物を掘削した.
1950年代後半から1960年代前半は地球科学上のいろいろなことが進行していた.
やや先行するが,W.リビーが放射性炭素14を用いる年代測定法を確立したのが1952年である.
C. エミリアーニが有孔虫殻の酸素同位体比の変化から海水の古温度を推定し更新世に7回の周期的変動があったことを見いだし1955年に発表した..
また,エアガンによる起振とハイドロフォンによる受振で海底の地下構造を連続的に探査する方法が,1961年にラモント研究所の調査船ビーマ号によりメキシコ湾で実施された.これにより広い範囲の海底地下構造を明らかにすることが可能になった.
この頃,地球磁場の逆転が物理的に不可能ではないことが明らかにされていた.そして,1965年までには過去400万年間の磁気年代尺度が確立された.
このような状況の中で,1963年には F.ヴァインと D.マシューズが北大西洋と北西インド洋海底の磁気縞異常の論文を「ネイチャー」に発表した.
海洋底拡大の実態が明らかになる素地が整えられつつあったのがこの時代である.
1975年からは深海掘削国際計画(IPOD:The International Phase of Ocean Drilling)が,日米ほか6カ国が参加して始まった.この計画では沈み込み帯の実態が次々と明らかにされた.
1977年の55航海で小泉 格,56航海で岡田博有,57航海で奈須紀幸が共同主席研究員として乗船している.これが深海掘削計画に日本人科学者が携わった最初である.
DSDP から IPOD と続いた深海掘削は,グローマーチャレンジャー号の老朽化により96航海(Leg96)で終了した.
1985年からは海洋掘削計画(ODP:Ocean Drillin Program) として新たな段階に入った.この計画には19カ国が参加した.このために建造されたのが,ジョイデス・レゾリューション号である.
ジョイデス(JOIDES:Joint Oceanographic Institutions for Deep Earth Sampling)というのは,1964年にマイアミ,ラモント,スクリップス,ウッズ・ホールの4研究所によって設立された組織で,深海底サンプリング海洋科学研究所共同研究機構あるいは深海底試料採取国際研究所連合と呼ばれていて,現在はアメリカの18の大学・研究所が,外国からは東京大学海洋研究所を始め7つの研究所などが参加した組織となっている.
2003年の210航海で終了した ODP は多くの成果をもたらした.急激な気候変動,ミランコビッチサイクルと海水準変動のリンク,6,640万年前の惑星衝突による大量絶滅を含む生物の絶滅,海洋性地殻の形成メカニズム,その他多くの成果が挙げられる.
そして,2004年6月には IODP(Integrated Ocean Drilling Program:統合国際深海掘削計画)の最初の航海(Exp.301)がジョイデスレゾリューション号によってファンデフカ海嶺の東翼で実施された.
ファンデフカ海嶺はアメリカ西海岸シアトル沖にある海嶺で,ここで形成された800万年前のファンデフカプレートが東に沈み込んでいる.
この航海の主な目的は,海洋地殻中の熱水循環と地下生物圏を明らかにすることであった.
これに先立つ2001年の IDOP の当初の科学計画では,活動的なプレート間地震発生帯で掘削を行い計器を設置することが非常に高い重要性を持つと確認されていた.その研究場所として熊野灘沖の南海地震を発生させた巨大衝上断層が選ばれた.この地震断層の実態を明らかにすることが巨大地震・津波が発生するメカニズムの解明につながるという位置付けである.
この計画に使われるのは地球深部探査船「ちきゅう」とアメリカの科学的海洋掘削船(SODV)である.ジョイデスレゾリューション号も大幅な改修工事を行い2009年3月にホノルルから最初の研究航海に出発した.
このような経過で「ちきゅう」による熊野灘沖の調査が開始された.
2007年9月から11月にかけて第一次研究航海(IODP Exp.314),2007年11月から12月にかけて第二次航海{IODP Exp.315),2007年12月から2008年2月にかけて第三次航海(IODP EXp.316)が実施され,2009年8月には「南海トラフ巨大分岐断層の起源と全歴史を解明」というプレスリリースが出され,同時に Nature Geoscience(電子版)に論文が掲載された.
さらに,2009年5月から2009年8月までの IODP Exp.319(IODP 第319次研究航海)を行い,現在「ちきゅう」は2009年9月から始まった IODP Exp.322を実施中である.
第319研究航海では掘削地点C0009A(NT2-11B、北緯33度27分、東経136度32分)でライザー掘削により海底下1,510m から1,594m 間で9本のコアを採取した.
第322次研究航海では掘削地点C0011(NT1-07、北緯32度50分、東経136度53分)でコアリングを行い,海底下881m まで掘削した.2009年10月3日時点で,掘削地点C0012(NT1-01、北緯32度45分、東経136度55分)で海底下576m まで掘削を完了した.
今後,これまでの研究成果が次々と発表されると同時に,南海地震発生源付近での孔内観測によって巨大地震発生機構について解明が進むことが期待される.
<参考図書など>
K.シュー,高柳洋吉訳,1999,地球科学に革命を起こした船 グローマー・チャレンジャー号.東海大学出版会.
*海洋底掘削計画がどのように進んできたかを概観できる好著である.また,著者が地向斜造山論からプレートテクトニクスへと考えを変えた過程も描かれている.
木村 学・木下正高編,2009,付加体と巨大地震発生帯 南海地震の解明に向けて.東京大学出版会.
*沈み込み帯での地震発生機構解明に向けての現在の到達点を分かりやすく述べた本である.
小泉 格,1998,21世紀の深海掘削計画.地質学論集,第49号,227-232.
徳山英一,2003,国際深海掘削計画(ODP)の終焉と層統合深海掘削計画の幕開け.
<http://ofgs.ori.u-tokyo.ac.jp/~odpjapan/ ODP 終了にあたり>
JAMSTEC プレスリリース
<http://www.jamstec.go.jp/chikyu/jp/index.html>
*各航海の日誌は現場の状況が分かり読んでいて面白い.
沈み込み帯の掘削に先鞭を付けたのは,1968年にアメリカが始めたグローマーチャレンジャー号による深海掘削(DSDP:Deep Sea Drilling Project)である.
海洋底でボーリングを行い,モホ面を捉えようという計画は,モホール計画として準備されたが実現しなかった.しかし,この過程で得られた技術のいくつかが グローマーチャレンジャー号に生かされた.
グローマーチャレンジャー号は1971年に北米大陸太平洋岸のカスカディア縁辺の海溝充塡物の分布域での掘削に成功した.さらに,アラスカ縁辺掘削により40万年間の海溝堆積物を採取して2回の氷河期と1回の間氷期を確認し,変形している堆積物を掘削した.
1950年代後半から1960年代前半は地球科学上のいろいろなことが進行していた.
やや先行するが,W.リビーが放射性炭素14を用いる年代測定法を確立したのが1952年である.
C. エミリアーニが有孔虫殻の酸素同位体比の変化から海水の古温度を推定し更新世に7回の周期的変動があったことを見いだし1955年に発表した..
また,エアガンによる起振とハイドロフォンによる受振で海底の地下構造を連続的に探査する方法が,1961年にラモント研究所の調査船ビーマ号によりメキシコ湾で実施された.これにより広い範囲の海底地下構造を明らかにすることが可能になった.
この頃,地球磁場の逆転が物理的に不可能ではないことが明らかにされていた.そして,1965年までには過去400万年間の磁気年代尺度が確立された.
このような状況の中で,1963年には F.ヴァインと D.マシューズが北大西洋と北西インド洋海底の磁気縞異常の論文を「ネイチャー」に発表した.
海洋底拡大の実態が明らかになる素地が整えられつつあったのがこの時代である.
1975年からは深海掘削国際計画(IPOD:The International Phase of Ocean Drilling)が,日米ほか6カ国が参加して始まった.この計画では沈み込み帯の実態が次々と明らかにされた.
1977年の55航海で小泉 格,56航海で岡田博有,57航海で奈須紀幸が共同主席研究員として乗船している.これが深海掘削計画に日本人科学者が携わった最初である.
DSDP から IPOD と続いた深海掘削は,グローマーチャレンジャー号の老朽化により96航海(Leg96)で終了した.
1985年からは海洋掘削計画(ODP:Ocean Drillin Program) として新たな段階に入った.この計画には19カ国が参加した.このために建造されたのが,ジョイデス・レゾリューション号である.
ジョイデス(JOIDES:Joint Oceanographic Institutions for Deep Earth Sampling)というのは,1964年にマイアミ,ラモント,スクリップス,ウッズ・ホールの4研究所によって設立された組織で,深海底サンプリング海洋科学研究所共同研究機構あるいは深海底試料採取国際研究所連合と呼ばれていて,現在はアメリカの18の大学・研究所が,外国からは東京大学海洋研究所を始め7つの研究所などが参加した組織となっている.
2003年の210航海で終了した ODP は多くの成果をもたらした.急激な気候変動,ミランコビッチサイクルと海水準変動のリンク,6,640万年前の惑星衝突による大量絶滅を含む生物の絶滅,海洋性地殻の形成メカニズム,その他多くの成果が挙げられる.
そして,2004年6月には IODP(Integrated Ocean Drilling Program:統合国際深海掘削計画)の最初の航海(Exp.301)がジョイデスレゾリューション号によってファンデフカ海嶺の東翼で実施された.
ファンデフカ海嶺はアメリカ西海岸シアトル沖にある海嶺で,ここで形成された800万年前のファンデフカプレートが東に沈み込んでいる.
この航海の主な目的は,海洋地殻中の熱水循環と地下生物圏を明らかにすることであった.
これに先立つ2001年の IDOP の当初の科学計画では,活動的なプレート間地震発生帯で掘削を行い計器を設置することが非常に高い重要性を持つと確認されていた.その研究場所として熊野灘沖の南海地震を発生させた巨大衝上断層が選ばれた.この地震断層の実態を明らかにすることが巨大地震・津波が発生するメカニズムの解明につながるという位置付けである.
この計画に使われるのは地球深部探査船「ちきゅう」とアメリカの科学的海洋掘削船(SODV)である.ジョイデスレゾリューション号も大幅な改修工事を行い2009年3月にホノルルから最初の研究航海に出発した.
このような経過で「ちきゅう」による熊野灘沖の調査が開始された.
2007年9月から11月にかけて第一次研究航海(IODP Exp.314),2007年11月から12月にかけて第二次航海{IODP Exp.315),2007年12月から2008年2月にかけて第三次航海(IODP EXp.316)が実施され,2009年8月には「南海トラフ巨大分岐断層の起源と全歴史を解明」というプレスリリースが出され,同時に Nature Geoscience(電子版)に論文が掲載された.
さらに,2009年5月から2009年8月までの IODP Exp.319(IODP 第319次研究航海)を行い,現在「ちきゅう」は2009年9月から始まった IODP Exp.322を実施中である.
第319研究航海では掘削地点C0009A(NT2-11B、北緯33度27分、東経136度32分)でライザー掘削により海底下1,510m から1,594m 間で9本のコアを採取した.
第322次研究航海では掘削地点C0011(NT1-07、北緯32度50分、東経136度53分)でコアリングを行い,海底下881m まで掘削した.2009年10月3日時点で,掘削地点C0012(NT1-01、北緯32度45分、東経136度55分)で海底下576m まで掘削を完了した.
今後,これまでの研究成果が次々と発表されると同時に,南海地震発生源付近での孔内観測によって巨大地震発生機構について解明が進むことが期待される.
<参考図書など>
K.シュー,高柳洋吉訳,1999,地球科学に革命を起こした船 グローマー・チャレンジャー号.東海大学出版会.
*海洋底掘削計画がどのように進んできたかを概観できる好著である.また,著者が地向斜造山論からプレートテクトニクスへと考えを変えた過程も描かれている.
木村 学・木下正高編,2009,付加体と巨大地震発生帯 南海地震の解明に向けて.東京大学出版会.
*沈み込み帯での地震発生機構解明に向けての現在の到達点を分かりやすく述べた本である.
小泉 格,1998,21世紀の深海掘削計画.地質学論集,第49号,227-232.
徳山英一,2003,国際深海掘削計画(ODP)の終焉と層統合深海掘削計画の幕開け.
<http://ofgs.ori.u-tokyo.ac.jp/~odpjapan/ ODP 終了にあたり>
JAMSTEC プレスリリース
<http://www.jamstec.go.jp/chikyu/jp/index.html>
*各航海の日誌は現場の状況が分かり読んでいて面白い.
「シンポジウム 豊かな水を育む森林 水源林の役割」の感想 ― 2009/10/21 18:43
「豊かな水を育む森林 水源林の役割」が09年10月19日に札幌市教育文化会館で開かれました.
講演の中で私が興味深かったのは次の三つでした.
池部英明氏(南富良野町森林組合)の話は民有林の再生・保全・利用の報告でした.
南富良野町 落合の’内の沢’,幾寅(いくとら)の’内藤の沢’の民有林で,区域分けをして治山事業を展開し,そのうちの一つの区域で極相の森を作り出している.北海道の場合,トドマツ,エゾマツ,ナラ,シナノキなどの混交林が極相である.保全と利用では間伐・最低限の手入れでの保存,択伐による樹勢回復などを組み合わせて行っている.
梶 幹男(東大北海道演習林長・教授)は東大演習林が目指す『理想の森林』づくり」について講演しました.
東大演習林は1899(明治32)年に東大がもらい受けて農業と造林のための演習林として経営してきたもので,1958(昭和33)年以来,高橋延清林長が提唱した「林分施業法」を行い,森林の生長量に見合う収穫を持続的に行えるようになってきた.非常に身近なところで「ほぼ原生林」を見ることができる.
尾崎研一氏(森林総合研究所 北海道支所)はカラマツ人工林での昆虫類の多様性について講演しました.
カラマツは本州中部などが自生地で北海道では国内移入樹種である.一般に人工林では,下草とカラマツだけといった具合に植生が単調となるため生物多様性が保持できないとされている.日本の場合,人工林は全森林の44%を占め,北海道でも27%が人工林である.人工林に住む昆虫は種類が少ないけれどもかなり多様性に富んでいて,カラマツ林に広葉樹を導入する,大きな木と幼い木を混合させる2段林にする,古木を残すというような管理を行えば,十分,生物多様性を保持することができる.
森林を育てるという仕事はじつに息の長い仕事です.植林から伐採までの1サイクルの年数を50年から80年に延ばして収穫量を上げるという工夫もされています.一人の人の人生で1サイクルを見ることが難しいわけで,本当に頭が下がります.
NHK で放送した番組(「秩父山中・花のあとさき」)で.それまで畑だったところに木を植えて花を咲かせて,道を通る人に喜んでもらおうとしていた御夫婦が紹介されたことがありました.「畑を山に返すんだ」という思いで,使わなくなった畑に木を植え続けて亡くなったそうで,すでに名所になっているそうです.
地質学というのは非常に長い時間を扱っていて感動する事象がたくさんありますが,このような息の長い人の営みと言うのも感動します.
なお,持続的な森林の活用を実践している場所として北大苫小牧研究林があります.ここの林長を永く勤めた石城(いしがき)謙吉氏の「森林と人間ーある都市近郊林の物語ー」(岩波新書)は大変面白い.この研究林は苫小牧市民の憩いの場となっています.
<参考>
森林農地整備センターのウェブサイト
<http://www.green.go.jp/annai/aisatsu.html>
東大北海道演習林のウェブサイト
<http://www.uf.a.u-tokyo.ac.jp/hokuen/gaiyou/gaiyou.html>
北大北方生物圏フィールド科学センター
<http://www.hokudai.ac.jp/fsc/>
講演の中で私が興味深かったのは次の三つでした.
池部英明氏(南富良野町森林組合)の話は民有林の再生・保全・利用の報告でした.
南富良野町 落合の’内の沢’,幾寅(いくとら)の’内藤の沢’の民有林で,区域分けをして治山事業を展開し,そのうちの一つの区域で極相の森を作り出している.北海道の場合,トドマツ,エゾマツ,ナラ,シナノキなどの混交林が極相である.保全と利用では間伐・最低限の手入れでの保存,択伐による樹勢回復などを組み合わせて行っている.
梶 幹男(東大北海道演習林長・教授)は東大演習林が目指す『理想の森林』づくり」について講演しました.
東大演習林は1899(明治32)年に東大がもらい受けて農業と造林のための演習林として経営してきたもので,1958(昭和33)年以来,高橋延清林長が提唱した「林分施業法」を行い,森林の生長量に見合う収穫を持続的に行えるようになってきた.非常に身近なところで「ほぼ原生林」を見ることができる.
尾崎研一氏(森林総合研究所 北海道支所)はカラマツ人工林での昆虫類の多様性について講演しました.
カラマツは本州中部などが自生地で北海道では国内移入樹種である.一般に人工林では,下草とカラマツだけといった具合に植生が単調となるため生物多様性が保持できないとされている.日本の場合,人工林は全森林の44%を占め,北海道でも27%が人工林である.人工林に住む昆虫は種類が少ないけれどもかなり多様性に富んでいて,カラマツ林に広葉樹を導入する,大きな木と幼い木を混合させる2段林にする,古木を残すというような管理を行えば,十分,生物多様性を保持することができる.
森林を育てるという仕事はじつに息の長い仕事です.植林から伐採までの1サイクルの年数を50年から80年に延ばして収穫量を上げるという工夫もされています.一人の人の人生で1サイクルを見ることが難しいわけで,本当に頭が下がります.
NHK で放送した番組(「秩父山中・花のあとさき」)で.それまで畑だったところに木を植えて花を咲かせて,道を通る人に喜んでもらおうとしていた御夫婦が紹介されたことがありました.「畑を山に返すんだ」という思いで,使わなくなった畑に木を植え続けて亡くなったそうで,すでに名所になっているそうです.
地質学というのは非常に長い時間を扱っていて感動する事象がたくさんありますが,このような息の長い人の営みと言うのも感動します.
なお,持続的な森林の活用を実践している場所として北大苫小牧研究林があります.ここの林長を永く勤めた石城(いしがき)謙吉氏の「森林と人間ーある都市近郊林の物語ー」(岩波新書)は大変面白い.この研究林は苫小牧市民の憩いの場となっています.
<参考>
森林農地整備センターのウェブサイト
<http://www.green.go.jp/annai/aisatsu.html>
東大北海道演習林のウェブサイト
<http://www.uf.a.u-tokyo.ac.jp/hokuen/gaiyou/gaiyou.html>
北大北方生物圏フィールド科学センター
<http://www.hokudai.ac.jp/fsc/>
冬のモエレ山 ― 2009/10/24 23:16
モエレ山のてっぺんからソリで滑り降りるのはかなりの恐怖である.
[札幌のモエレ沼公園の記事おしまい]
[札幌のモエレ沼公園の記事おしまい]
モエレ山のブロッケン ― 2009/10/24 23:17
札幌の北東部は湿地が多く豊平川が近いこともあり霧が出ることが多い.ブロッケンを見ることができる.左手,遠くの山は手稲山である.
モエレ山から見たガラスのピラミッドとモエレ沼 ― 2009/10/24 23:19
定番の風景であるが,いつ見ても良い.ピラミッドの手前の四角い建物は駐車場である.冬に訪れる時はとても有り難い.